「ルビコン川を渡る」の意味とは?反対語、使い方や例文・例えを紹介!
「ルビコン川を渡る」という表現を聞いたことがあるでしょうか。
これは故事ことわざの1つですが、カタカナがあるということに驚く人もいるかもしれませんね。
ここでは、「ルビコン川を渡る」という表現について解説します。
目次
- 「ルビコン川を渡る」の意味とは?
- 「ルビコン川」について
- 「ルビコン川を渡る」の類義語
- 「ルビコン川を渡る」の対義語
- 「ルビコン川を渡る」の例文
「ルビコン川を渡る」の意味とは?
- 「ルビコン川を渡る」の意味
- 「ルビコン川を渡る」の由来
「ルビコン川を渡る」の意味
「ルビコン川を渡る」というのはある重大な決断やある重大な行動をすることを指します。
後戻りはできないという覚悟を持った上で決断や行動を起こす、ということを表します。
「ルビコン川を渡る」の由来
「ルビコン川」というのは古代ローマ時代、ガリアとイタリアとの間に流れていた側のことを指します。
「ルビコン川」よりも内側には軍隊を伝えていくことが禁止されていました。
違反した場合は反逆者として処罰されることがありましたが、カエサルが大軍を引き連れてこの川を渡ってローマに向かったのです。
その時カエサルは「塞は投げられた」と叫んで元老院令を無視し、川を渡って行ったのです。
「ルビコン川」について
- カエサルが川を渡った背景
- 元老院との戦い
- ルビコン川とは
カエサルが川を渡った背景
「ユリウス・シーザー」と呼ばれる人物を知っているでしょうか。
この人物こそ「カエサル」です。
「カエサル」はローマの辺境にあるガリアという土地に総督として赴くことになりました。
これは実際はローマが「カエサル」を疎んじて左遷したのではないかとも考えられています。
しかし「カエサル」はガリアを収め、平和を取り戻し、ローマに凱旋することになりました。
元老院との戦い
勝利した「カエサル」は大きな軍隊を伴い、ローマに凱旋するはずでした。
しかしローマに入るためには武装解除をしなければならず、武装解除をしなければ中央政府に対する反逆罪とみなされることとなっていたのです。
その際「カエサル」がローマに向かう途中に越えなければいけなかったのが「ルビコン川」だったのです。
つまり、ローマの内側に入るときには武装解除しなければいけないというのは、「ルビコン川」を渡るときに武装解除をし、ローマに向かわなければいけないという法律であり、それは元老院の法律だったのです。
カエサルはその法律を無視し、「ルビコン川」を渡り、元老院と戦うことになりました。
この時に「塞は投げられた」という有名な言葉が出来上がったとされています。
そして「カエサル」は元老院に勝利を収め、ローマに凱旋しました。
ルビコン川とは
先ほども述べた通り、「ルビコン川」というのはローマの辺境にある側です。
「カエサル」が軍を率いて渡ったというところから、大きな川だったのではないかと言われていましたが、実は場所もよくわからない小さな川だったのではないかという説が有力です。
最近ではフィウミチーノ川が「ルビコン川」だったのではないかなどとも言われていますが、歴史自体があまりにも古すぎてはっきりしていません。
このフィウミチーノ川も全長30キロもないような川なのです。
歴史家の間にはちょっとした議論の的になっています。
ちなみにイタリアのムッソリーニはフィウミチーノ川をルビコーネ川と改称してしまいました。
その結果英雄物語にちなんだ場所を無理矢理決めてしまったということになり、逆に議論を煽ってしまったとされています。
フィウミチーノ川以外にもピシャロッテ川やウーゾ川も「ルビコン川」だった可能性があると考えられています。
「ルビコン川を渡る」の類義語
- 「清水の舞台から飛び降りる」【きよみずのぶたいからとびおりる】
- 「一か八かの賭けに出る」【いちかばちかのかけにでる】
- 「乾坤一擲」【けんこんいってき】
- 「塞は投げられた」【さいはなげられた】
- 「当たって砕けろ」【あたってくだけろ】
「清水の舞台から飛び降りる」【きよみずのぶたいからとびおりる】
「清水の舞台から飛び降り」とは「思い切って大きな決断をすること」を指します。
京都の清水寺は誰もが知る大きなお寺ですよね。
そこには高い崖に張り出して作られた舞台があり、この崖から飛び降りると怪我をしない、あるいは心で成仏できると考えられていました。
そのため、ここから身を投げるものが足りなかったと言われています。
このような清水の舞台から飛び降りるほど必死の覚悟で実行する時、この言葉が使われます。
多くの場合は値段の高いものを購入する時や値段を大きく負ける時などに使われます。
なお、これは清水寺から来た表現ですので、「清水」はあくまで「きよみず」であり、「しみず」ではありません。
「一か八かの賭けに出る」【いちかばちかのかけにでる】
「一か八かの賭けに出る」という表現も大きな決断をするときに使われる言葉です。
「一か八か」という表現自体が結果がわからないまま運を天に任せて勝負を試みること、という意味を持っています。
一と八という数字に関してはカルタ賭博から発生したのではないかと考えられています。
まず、賭博における「丁か半か」の漢字の上の部分を取ったのではないか、という説があります。
なんとなく説得力があるようにも感じますが、「八」を「ばち」と呼んでいるため、わざわざ「一」でなく「八」だけ訓読になっているという事から疑問が生じています。
また、「ばち」と濁音化していることに対しても疑問が残っていると考えられます。
「乾坤一擲」【けんこんいってき】
「乾坤一擲」という表現も運を天に任せ、一世一代の大勝負に出ることを指します。
「一擲」は「サイコロを投げること」を指しており、天地をかけて1回サイコロを投げるということから、「自分の運命をかけてのるかそるかの勝負に出ること」を指すようになったのです。
韓愈の詩からこの表現が出来上がりました。
「塞は投げられた」【さいはなげられた】
先ほども述べた通り、カエサルが残した名言「塞は投げられた」も「事は既に始まっているのだから、考えている余裕は無い、もはや行動するしかない」ということを指しています。
勝負を決めるサイコロはすでに振られてしまった、という意味です。
「塞」は賭博に使うサイコロのことを指しており、賽銭ではありませんよ!「采は投げられた」と書くこともあります。
本来のラテン語では“Alea jacta est”といいます。
「当たって砕けろ」【あたってくだけろ】
「当たって砕けろ」というのは成功するかどうかはわからなくてもとにかく思い切ってやってみよう、という意味を持っています。
もちろん当たって砕けてしまっては元も子もありません。
しかしそれだけの覚悟で望めば成功する可能性も高くなる、やるだけやってみよう、という意味を持つのです。
だめでもともとという気持ちがあれば、案外うまくいくこともあるかもしれません。
そのため極めて難しい状況を頑張ろう、打開しよう、やってみよう、という気持ちになるために使われる表現でもあります。
好きな人に告白するときなどに使われることもありますね。
米軍日系2世舞台の合言葉として“Go for broke”という表現が「当たって砕けろ」として使われていたこともあります。
「ルビコン川を渡る」の対義語
- 「石橋を叩いて渡る」【いしばしをたたいてわたる】
- 「転ばの先の杖」【ころばぬさきのつえ】
- 「後悔先に立たず」【こうかいさきにたたず】
- 「備えあれば憂いなし」【そなえあればうれいなし】
「石橋を叩いて渡る」【いしばしをたたいてわたる】
「石橋を叩いて渡る」というのは幼児の上にさらに用心を重ねて物事を行うことを指します。
強固な石の橋は既に壊れるはずがありませんよね。
しかし石を叩いて安全性を確かめて渡ることから、用心しすぎるほど用心深くなっている状態を指しています。
慎重すぎる人、臆病な人に対して使うこともありますが、この場合は皮肉を込めて使うことが多いです。
石橋を叩いて渡る」などと用心を促す際に使われることもあります。
ただし、用心に用心を重ねたのにも関わらず結局行動しないことにした、用心深くなりすぎたために失敗した、などということを指して「石橋を叩いてもわからない」「石橋を叩いて壊す」などという表現も存在します。
ちなみに「危ない橋を渡る」とは意味が違います。
「転ばの先の杖」【ころばぬさきのつえ】
「転ばの先の杖」というのは失敗しないように万が一に備え、あらかじめ準備をしておくことを指しています。
転んでから杖を準備しても何の意味もないですよね。
この分前から用心して杖を手に持っておくことが大切です。
「先」というのは時間的に前、という状態を指しており、「転ばぬ」の「ぬ」は打ち消しの助動詞です。
「転ぶ先の杖」といっても同じ意味になりますが、ことわざとしては「転ばぬ先の杖」という言い方が一般的です。
「後悔先に立たず」【こうかいさきにたたず】
「後悔先に立たず」というのは既に終わってしまったことをいくら悔やんでも取り返しがつかないということになります。
済んでしまったことを後からどれだけ考えてもその時間帯に戻ることができません。
だからこそ事前に十分に注意しなさい、という意味になります。
「後の悔い先に立たず」ということもあります。
「備えあれば憂いなし」【そなえあればうれいなし】
「備えあれば憂いなし」というのは普段からしっかりと準備しておけばいざという時に心配がない、ということになります。
そしてこれは神仏に供えるという意味ではありませんから「供え」と書くのは誤りです。
「ルビコン川を渡る」の例文
- ルビコン川を渡る」の例文1
- ルビコン川を渡る」の例文2
ルビコン川を渡る」の例文1
「あの女性に告白をするなんて、ルビコン川を渡るようなものだ」
好きな人に想いを伝えるとき、あまりにも理想が高すぎてうまくいくはずがないと思っているとなかなか告白するのも辛いですよね。
よく恋愛では「当たって砕けろ」という表現が使われることがあります。
しかし、「ルビコン川を渡る」という表現を使うことも可能です。
ルビコン川を渡る」の例文2
「ルビコン川を渡るような気持ちで受験してくるよ」
誰にでも試験を受けた経験がありますよね。
学校での試験や入学試験、就職試験など様々なものがあります。
おそらくうまくいくはずがないだろうと思う高い理想のところを受験する時、「ルビコン川を渡る」という言い方ができます。
もしかしたら落ちてしまうかもしれないけれど、むしろ落ちてしまう可能性が高いけれど、とりあえずやってみるよ、という時に使うことができますね。
いかがでしょうか。
「ルビコン川を渡る」という表現はなかなか聞いたことがないという人も多いかもしれませんね。
だからこそ、ビジネスの場で使うと知的な印象を与えることができます。
ただし、ビジネスなどで一か八かという考え方は良くありませんので、しっかりと事前準備をすることも忘れないようにしましょう。
しっかりと用意をしてこそ、良い結果を生み出すことができるのです。