「禍を転じて福と為す」の意味とは?読み方、反対語や使い方、例文・例えを紹介!
「禍を転じて福と為す」という表現を聞いたことがあるでしょうか。
なんとなく感じから意味がわかると思う人もいるかもしれませんね。
ここでは、「禍を転じて福と為す」の意味について解説します。
目次
- 「禍を転じて福と為す」の意味とは?
- 「禍を転じて福と為す」の類義語
- 「禍を転じて福と為す」の使い方や例文
- 「禍を転じて福と為す」の対義語
- 「禍を転じて福と為す」の場面
- 「禍を転じて福と為す」の教訓について
「禍を転じて福と為す」の意味とは?
「禍を転じて福と為す」には、「自分のみに降りかかって災難や失敗を上手に利用し、逆に自分にとって有利になるように工夫をすること」という意味があります。
失敗をもとに成功を収めるという意味もあり、『戦国策』の「聖人の事を規制するや、禍を転じて福と為し、敗に因りて功を為す」と書かれています。
また『史記』蘇秦列伝には「臣聞く、古の善く事を制する者は禍を転じて福と為し、敗に因りて功を為す」と書かれています。
- 「禍を転じて福と為す」の読み方
「禍を転じて福と為す」の読み方
「禍を転じて福と為す」は「わざわいをてんじてふくとなす」と読みます。
漢字で書く場合は「災いを転じて福となす」とする場合もあります。
「禍を転じて福と為す」の類義語
- 「失敗は成功の母」【しっぱいはせいこうのはは】
- 「失敗は成功の元」【しっぱいはせいこうのもと】
- 「七転び八起き」【ななころびやおき】
- 「怪我の功名」【けがのこうみょう】
- 「人生楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」【じんせいらくあればくあり、くあればらくあり】
「失敗は成功の母」【しっぱいはせいこうのはは】
「失敗は成功の母」というのは「失敗したとしてもその原因を追求し、欠点をしっかりと反省して改善させることにより、かえって成功に近づくことができる」という意味を指しています。
失敗することによってやり方を改めることができますし、失敗したとしてもそれ自体が成功につながるということから、1回や2回失敗したとしてもくじけてはいけない、という教えを持っています。
逆に「失敗したとしてもその原因を理解することなく、やり方を改善することができなければまた同じような失敗を繰り返すだろう」という意味を持っています。
「失敗することによって成功に近づく」という意味から「失敗は成功の母」と言えるのです。
「失敗は成功の元」【しっぱいはせいこうのもと】
「失敗は成功の元」というのは「失敗は成功の母」と似たような意味を持っています。
失敗したとしてもなぜ失敗したのかということを理解し、悪かったところを反省して直していくことにより、逆に成功に近づかせることができます。
「七転び八起き」【ななころびやおき】
「七転び八起き」というのは「何回失敗したとしても諦めずに立ち上がる」という意味を持っています。
浮き沈みの激しい人生を表すこともあります。
「7回転んでも8回起き上がる」という意味でこの言い回しをしています。
「七転八倒」という言い方がありますが、これは「転げ回ってもがき苦しむ」という意味を持ちますので、「七転び八起き」とは意味が異なります。
「七転び八起き」はその漢字の通り、「七回転んでも八回起き上がる」という意味ですが、「七転八倒」は「七回転んで八回倒れる」という意味になります。
そのため、「七転び八起き」と「七転八倒」は根本的に意味が異なります。
「怪我の功名」【けがのこうみょう】
「怪我の功名」というのは「失敗や過ちが思いがけず、良い結果をもたらすことがある」という意味になります。
「怪我というのは不測の事態を指し、功名というのは手柄を立てて名前を上げること」という意味を持ちます。
つまり、「不測の事態が起こったとしても良い結果につながるかもしれない」という意味になるのです。
「人生楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」【じんせいらくあればくあり、くあればらくあり】
その言葉通り、人生には苦しいことがあれば楽しいこともたくさんあります。
そして、苦しいことや楽しいことは交互にやってくるものです。
だから例え苦しいことがあったとしても、心配することはありません。
その後には必ず楽しいことがやってきます。
また、楽しいことが起こったとしてもその後には苦しいことが起こる可能性がありますから、そのまま安心していてはいけません。
「禍を転じて福と為す」の使い方や例文
- 「禍を転じて福と為す」の例文1
- 「禍を転じて福と為す」の例文2
- 「禍を転じて福と為す」の例文3
「禍を転じて福と為す」の例文1
「禍を転じて福と為すと思えば頑張れるよ」
どれだけ失敗を繰り返してうまくいかない、と思ったとしても、この失敗によって学ぶことができ、いつか成功につながる、と思えたら頑張ろうと感じられるのではないでしょうか。
確かに何度失敗を繰り返したとしても同じことを繰り返しているだけでは成功に結びつけることができません。
しかし、逆に失敗した場合は何が悪かったのか、ということを反省することができますし、次回は成功に少しだけ近づけることができるかもしれません。
また、まだまだ成功に近づかなかったとしても少なくとも何をしたら失敗するのか、ということがわかりますよね。
そう思ったらまだまだ頑張ろうと思えるものです。
「禍を転じて福と為す」の例文2
「就職に失敗してしまったけれど、禍を転じて福と為すで、違う会社が採用してくれたんだ」
どの時代でも就職活動というのは大変なものです。
就職氷河期という言葉もありますよね。
しかし、就職に失敗してうまくいかなかったとしても、もしかしたらその就活でちょっとした縁がきっかけとなり、採用につながるということもあるかもしれません。
不採用だったとしても、そこに至るまでに学んだことが生かされ、就職につながるということもあるものです。
また、就職活動中で出会った人から良い情報をもらえるということもあるかもしれませんね。
大変かもしれませんが、悪い経験も必ず良い結果につながるものです。
「禍を転じて福と為す」の例文3
「レギュラーから下されたけれど、禍を転じて福と為すで、補欠の人の気持ちもわかった気がする」
スポーツをしているとレギュラーから下ろされるというのはなかなか屈辱です。
しかし、補欠になったら今まで感じたことのない補欠の人の気持ちというものもわかるのではないでしょうか。
レギュラーの立場から物事を見ているだけではなく、補欠の立場から物事を見ることにより、視野が広がるということもあるかもしれませんね。
視野が広がれば、周りの人の気持ちもわかるようになりますから、今度はキャプテン等として活躍することもできるかもしれません。
レギュラーから下ろされるというのはなかなか大変ですが、悪いことばかりでは無いものです。
「禍を転じて福と為す」の対義語
- 「人間万事塞翁が馬」【にんげんばんじさいおうがうま】
- 「禍福は糾える縄の如し」【かふくはあざなえるなわのごとし】
「人間万事塞翁が馬」【にんげんばんじさいおうがうま】
「人間万事塞翁が馬」は「塞翁が馬」という場合もあります。
これは諺ですから、知る人も多いかもしれませんね。
「人生何が不幸か幸せかわからない、人生は何が起こるかわからない」という意味を持っています。
中国で、ある日塞翁と呼ばれる人物の馬が逃げてしまいましたが、今度はその馬が春馬を連れて帰ってきました。
しかし今度はその駿馬に乗った息子が落馬し、足を骨折してしまったのです。
しかしそのおかげで翌年戦争が始まった時、息子は戦争に行く必要がありませんでした。
兵役を免れた息子は戦死せずに済んだのです。
このように、「たとえ不幸に見えたとしてもそれが良いことに転じることもあれば、良いことに見えたとしてもそれが悪いことに転じることもある」という意味になります。
「禍福は糾える縄の如し」【かふくはあざなえるなわのごとし】
「禍福は糾える縄の如し」というのは幸福と不幸というものは表裏一体であり、代わる代わるにやってくるものだ、ということです。
より合わせた縄が代わる代わるやってくるように、「不幸だと思っていたにもかかわらずその出来事が幸福に転じたり、幸福だと思っていたことが不幸に転じたり、物事は目まぐるしく変化していく」という意味を指します。
「禍を転じて福と為す」は「自分に起きた災難をうまく利用して幸福につなげる」という意味ですが、「禍福は糾える縄の如し」は「心配しなくても幸福や災難は交互にやってくる」という意味を指します。
そのためこれらは対義語と言えるのです。
「禍を転じて福と為す」の場面
それならば、「禍を転じて福と為す」はどのような場面を指すのでしょうか。
例えば、病気になって入院したとしましょう。
仕事も休まなければいけませんし、家族のために動くこともできません。
しかし、もしも今まで休みもないほど一生懸命働いてきたならば、入院中はゆっくり休むことができますよね。
また、パートナーが献身的に看病してくれたら、パートナーとの仲も深まるかもしれません。
あるいは、転勤で全く違う土地に引っ越しをしなければならなくなったとしましょう。
パートナーや子供を連れての引っ越しはなかなか大変ですが、それによって新しい人間関係が出来上がります。
もちろん、元の土地に友達関係を置いてきてしまうわけですからそれが嫌だ、という人もいるかもしれませんが、少なからず引っ越し先で新しい友達ができ、新しい環境に出会えるわけです。
そこから得られるものも多いかもしれません。
「禍を転じて福と為す」の教訓について
「禍を転じて福と為す」というのは「自分に起こった際何を利用し、利益になるようにすること、あるいは自分に降りかかった災難がいってんし、幸福に転じること」という意味を持っています。
つまりこの「禍を転じて福と為す」という言い回しには悪いことがあってもくよくよ落ち込むことなく、諦めずに進みなさい、という教えが含まれているのです。
人間は悪いことがあると落ち込みますよね。
場合によってはなかなか前向きになれないということもあるかもしれません。
しかしこのことわざが私たちを励ましてくれるかもしれません。
大丈夫、絶対に幸福が訪れるから諦めてはいけない、という気持ちになれるのではないでしょうか。
いかがでしょうか。
人生には辛いこともあれば良いこともたくさんありますよね。
辛いことが起こってしまうと二度と幸せなことが起こらないような気になってしまい、何日も何日もくよくよ落ち込んでしまうということもあるかもしれません。
しかし、その辛いことから学ぶ事はいくらでもできます。
その失敗を二度と繰り返さないように、そしてその失敗を引きずらないように、今後改善されていけばより良い人生を送ることができるのではないでしょうか。
また、視線を変えることも大切です。
辛い環境だからこそ、その中にある小さな幸せを見出していくことで人間は幸せになれるものです。
悪いことばかりに目をとらわれるのではなく、小さな幸せに目を向けていきましょう。