「看板倒れ」の意味とは?類語、使い方や例文を紹介!
見た目とは違って意外と良かったというものや、思ったより悪かったといったように、最初に思っていた事と違ったという経験をしたことはないでしょうか。
特に予想以上に物事が悪かった場合はガッカリしますし、裏切られた気さえ感じるかもしれません。
そのような状況を「看板倒れ」と言ったりしますが、この言葉についてどのような意味があるのかを、今回はご紹介したいと思います。
目次
- 「看板倒れ」の意味とは?
- 「看板倒れ」の類語や似たことわざ
- 「看板倒れ」の使い方
- 「看板倒れ」を使った例文
- 「看板倒れ」の反対語や対照語
- 「看板倒れ」から学びたい事
「看板倒れ」の意味とは?
「看板倒れ」は「かんばんだおれ」と読み、見かけは立派で素晴らしいにも関わらず、実質的には全く内容が伴っていないものを指します。
「看板」とはお客さんを呼び込むための広告や宣伝なので、つまり見かけに(看板)釣られてお店に入ったものの、看板と比べると貧相で大した事がなかったという意味になります。
また「倒れ」は、実際に看板が倒れてくるという意味ではなく、看板だけに"頼っている"といったニュアンスになります。
頼るという事は寄り掛かかる事なので、その重荷(期待や実情)に耐えきれなくなるといつか倒れてしまうという意味だと思われます。
またこのたとえは物だけではなく人に対しても使われ、一見すると立派にみえたり人脈があるなど有能に見える人が実際付き合ってみると、中身が空っぽでまともに会話もできないような人の事を「看板倒れ」と表す事もあります。
表面上や見た目は素晴らしいものでも、実際蓋を開けてみるとお粗末だった事を表す時によく使われる言葉だと言えるでしょう。
「看板倒れ」の類語や似たことわざ
- 「見掛け倒し」【みかけだおし】
- 「羊頭狗肉」【ようとうくにく】
- 「ハリボテ」【はりぼて】
「見掛け倒し」【みかけだおし】
看板倒れと同じ、そのままの意味になりますが、見掛け倒しとはそのまま見掛けだけで内容がなく貧相なことを言います。
例えば体が大きく、筋肉ムキムキで向かうとこ敵なしに見えるのに、チワワほどの小さな犬にキャンキャン吠えられただけで怯んでしまうというような状態や人の事を「見掛け倒し」といいます。
「羊頭狗肉」【ようとうくにく】
羊頭狗肉は中国の故事成語になり、見かけと実情が伴わないことを言います。
肉屋が看板に羊の頭を売っていると書いていたのにも関わらず、実際に売っていたのは狗(犬)の肉だったという事のたとえから、表面と内容が一致しない事や、見せかけだけで内容が伴わず粗末な事を表します。
「ハリボテ」【はりぼて】
ハリボテとは、張り子(または張子)という木型や粘土などで形作られたものに紙を重ねて貼っていき、のりが乾いたら型にしていた木型や粘土を取り除くという手法で作られる、中が空洞で軽量の作り物の事を言います。
張り子は古くから中国に存在し、のちにアジアやヨーロッパにその技術が広まっていきました。
日本には平安時代に伝えられたと言われており、現在では伝統的な工芸品や玩具細工に使用され、幅広い場所で使用されています。
そして、ハリボテはその中身がなく持ち運びに便利であったり表面だけ取り繕って中身が空っぽということから、舞台の背景セットや小道具として使われ、「安っぽく中身のないもの」という意味で使われるようになりました。
「看板倒れ」の使い方
期待していた事があまりにも貧相で内容がない時や、素晴らしいと聞いてワクワクしていたのに、実際に経験したり鑑賞すると、ワクワクを返して欲しいと思うくらいにつまらなく退屈だった時などに使います。
「看板倒れ」を使った例文
- 「まかないに出すくらいならいいけれど、とてもこの料理をお客様に出すなんて看板倒れになってしまうし、評価が下がる」
- 「素晴らしいから一度経験してみてと言われて行ったマッサージは、施設にお金をかけたぶん高額だっただけで、全く体が楽にはならず看板倒れだった」
- 「CMで美味しそうな物が映っていたので買ってみたけれど、看板倒れでちっともCMのようではなかった」
「まかないに出すくらいならいいけれど、とてもこの料理をお客様に出すなんて看板倒れになってしまうし、評価が下がる」
珍しいパターンではありますが、自分の行為についても、「看板倒れ」を使うという応用編になります。
自分の行動に対し内容がない事だと分かっていれば使える表現になります。
「素晴らしいから一度経験してみてと言われて行ったマッサージは、施設にお金をかけたぶん高額だっただけで、全く体が楽にはならず看板倒れだった」
「看板倒れ」の意味がそのまま使われている例文になります。
看板、つまり見た目だけ豪華で肝心な内容は大した事なく、何をしに行ったか意味が分からないと言った場合に使います。
「CMで美味しそうな物が映っていたので買ってみたけれど、看板倒れでちっともCMのようではなかった」
看板を信じてかったのに、期待はずれでまんまと騙された感を表現している文章になります。
「看板倒れ」の反対語や対照語
- 「看板に偽り無し」【かんばんにいつわりなし】
- 「言行一致」【げんこういっち】
- 「予想以上」【よそういじょう】
「看板に偽り無し」【かんばんにいつわりなし】
実際に看板に掲げている内容と、実際に手元に届いた物や、サービスなどのレベルが一致している事を言います。
また言っている事とやっている事が一致している状況や人物にも使います。
「言行一致」【げんこういっち】
言行一致の意味とは、口に出した言葉と、その行動が一致する事を言います。
発言と行動に矛盾がなくズレがなくそういった行動を取る人の事を言います。
「予想以上」【よそういじょう】
物事や、状況、人物など全てのことに対して考えていたり、思っていた以上の結果になることを表します。
ただいい場合もあれば、悪い場合もあるので、看板倒れに対照するとなれば結果がいい場合に使う事になるでしょう。
予想とはある程度の枠がありその中での変動を表します。
よく似た言葉で「想像以上」という言葉がありますが、想像とは人によって違いますし、枠がありません。
ですから範囲で言えば想像の方が大きく「看板倒れ」に近い意味合いとしては「予想以上」が反対に近いと思われます。
「看板倒れ」から学びたい事
- 中身が大切だという事
- 他人に期待をするという事
- 場合によっては内容が伴っていく場合もある
中身が大切だという事
「看板倒れ」になってしまうという事は、外見ばかり気にして中身を気にせず磨いていない事を表します。
何においてもそうですが、特に人間関係においてはこの状態ではトラブルになったり困ってしまう事が多いのではないでしょうか。
もちろん外見や容姿が好みではないと心が動かない事もある事は否定できません。
綺麗事ばかり言ってられませんし、実際人間はパッケージに心が惹かれるという部分を持っています。
ですが例えば対ヒトであった場合、ずっと付き合っていくことを考えるとどれほど外見がタイプでも、中身がなくペラペラでは話も出来ませんし、コミュニケーションを図ることができません。
気性が合わないや、退屈をしたりお互いに学ぶところがないと一緒にいる意味がないのではないでしょうか。
外見が好みだという事は大きな要素にはなりますが、関係を継続していくという意味ではずっと外見に頼るばかりでは厳しい部分があるでしょう。
それは外見や容姿というものは変化していくものであり、"代わり"がどんどん出てくるものだからです。
ですがその人が培った能力、知識、教養や実力などは増える事はあっても減る事はありません。
また色褪せる事も変化することもありません。
それじゃないと駄目だという物がない限りいくら"看板"にだけ力を入れても意味がありません。
"看板"に力を入れる事も大切ではありますが、やはり中身が伴わないと最初は良くても飽きられますし、内容が伴った素晴らしい"看板"に心が移っていくものではないでしょうか。
他人に期待をするという事
「看板倒れ」を少し見方を変えて考えてみると、"看板"、つまり広告や宣伝、外見や見掛けを信じて行動に移した結果大した事なかったという事は、自分にも少なからず責任があったという事になります。
もちろん前提として"看板"を立てる側の責任や自覚、その"看板"にふさわしい中身を提供する事は当然であり義務でもありますが、何事も完璧はありませんし、看板を立てる側にとってそのレベルが最高なら仕方がない事です。
つまり"看板"を信じたのは自分であり、人に期待をしたのは自分自信という事になります。
期待をさせるような"看板"にも責任はありますが、やはり躍らされ、まんまと乗ったのは自己責任でありその期間は楽しめた筈です。
自分に見る目があれば、アクションを起こす前にそこまで期待をする必要もないですし、期待ハズレを経験する事もありません。
例えば「とても大きな仕事を紹介する」と言われて回ってきた仕事が自分にとって大した事がなく、言っていた内容と違った場合でも調査をしなかった事も、自分の中の固定観念で"大きさ"を決めていたのも自分なのです。
「看板倒れ」だと思う事には問題はありませんが、選んだのは自分だという自覚は必要ですし、学習したという余裕も大切ではないでしょうか。
場合によっては内容が伴っていく場合もある
よく何かをするにあたり、必ず形から入る人がいます。
用具や衣裳、小道具といった物を先に買い集め肝心の中身はまずその衣裳や小物を身に付けてみたり、鏡の前で上達している状況の自分を想像し、楽しんでから物事に入る人の事をいいます。
このタイプの人はまずいい状態を想像しやすくする為に中身より外見を固める傾向があります。
そうする事でモチベーションが上がりやる気が出るのです。
もしくはある意味先に道具を揃える事で自分を追い込み、やらなければいけないと仕向けているのかもしれません。
中には揃える事が好きなだけの人や、面倒臭くなってやめてしまう人も居ますが、気合が入って頑張る人も沢山います。
つまり最初は"看板"は立派ではあったものの、やっていくうちにその"看板"を超えていく事もあるのです。
いつまでも看板倒れでは話になりませんが、手探りでも一生懸命努力をする事で最初は上手くいかなくても徐々に内容が伴う事もあるので、すぐに諦めたり他力本願にならないようにする事は大切ではないでしょうか。
例えば本物のハリボテのように舞台上で使うようなセットや小物などには中身が詰まっているとむしろ使い勝手が悪くなり、本来の目的が発揮できない場合もあります。
それは元々ハリボテとして作られた物であり、だからこそ意味があるので中身がなくていいのですが、通常はそうはいきません。
中身があってこそだと思っているのが人の常なので看板だけが立派では人の心は離れてしまうでしょう。