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「賽は投げられた」の意味とは?反対語や使い方、例文や例えを紹介!

日常的に使う言葉では決してありませんが、日本人ならどこかで聞いた覚えがあるこの表現。

一体どこでどのようにして生まれたのでしょうか。

賽は投げられた

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「賽は投げられた」の意味とは?反対語や使い方、例文や例えを紹介!>


目次

  • 「賽は投げられた」の意味とは?
  • 「賽は投げられた」の意味
  • 「賽は投げられた」の類語や言い換え
  • 「賽は投げられた」の使い方や例文
  • 「賽は投げられた」を実際に引用した歴史上の人物
  • 「賽は投げられた」の反対語や似た対義語
  • 「賽は投げられた」を英語で言うと


「賽は投げられた」の意味とは?

「賽は投げられた」の意味とは?

この「賽」(さい)とは、もちろんサイコロのことを指します。

賽は采と書く場合もあり、まさに天の采配といったところでしょうか。

話は前後しますが、この言葉が生まれた時代にはすでに、賭博や盤遊戯などの娯楽目的でサイコロが作られていました。

私たちが目にする普通の6面体のみならず、20面体などの多面体サイコロもあったといいます。

6面体サイコロにしても、現代とほぼ変わらないデザインのものが発見されているのですから驚きです。

投げられた「賽」がはたして何面体だったのかは明らかにされていませんので、ここでは一般的な正方形のサイコロをイメージしていただいて間違いないと思います。



「賽は投げられた」の意味

「賽は投げられた」の意味

端的に言うと、「後戻りできない決断を下した。進む他ない」ということです。

そして、「物事が動き出してしまい、もう止められない」ということでもあります。

サイコロは一度手から離れれば、必ずどれかの目を上にして止まります。

拾い上げてもう一度転がしても、もうそれは次の出目であり、今の結果に二度はありません。

皆さんがお正月に遊ばれるすごろくゲームでさえ「気に入らなければ何回でも振ってよい」などと指示されているものはそうそうないでしょう。

それは人生において最も重要なことの一つといえる「運命の選択」を、無作為で非論理的な方法に委ねる、ある意味危険な行為なのです。

しかも人間には、頭の中で振られたサイコロが何の目を出して止まったのか、確認することはできません。

ついてきた結果が失敗に終わっても、何が悪かったのかを検証するのはとても大変です。

但し、必ずしも全くのでたらめな成り行きに任せるというわけではありません。

また「もうどうしようもない」という諦めとも、「ケセラセラ(なるようになるさ)」といったゆるい心構えとも違います。

それまでの自分の歩いてきた道のりをしっかりと見据え、それでも自分の力だけでは及ばないこともある。

そんな時は全てを尽くした上で、運命の力の導きに従う他ない、という意味も、この言葉には込められています。

特に指導者・経営者クラスの方々には、身にしみる言葉ではないでしょうか。

少なくとも自分の国や会社の命運をサイコロだけで決めるような真似は控えてほしいですよね。

  • 「賽は投げられた」の由来

「賽は投げられた」の由来

この言葉を発言したのは、今から2000年以上前の共和制ローマ期の人物であり、他にもいくつもの言葉が後世に残っている政治家、「ユリウス・カエサル」です。

自身の地位の解除と、本国ローマへの帰還命令を出されていた「カエサル」

その黒幕は、かつて共に三頭政治を行い、今は統治機関である元老院寄りの立場にいるポンペイウスです。

これを不服とし、政敵と内戦を起こすために進軍していた彼は、ルビコン川と呼ばれる今でいうイタリア北部を東西に横切る川に辿り着きました。

その川はイタリア本土との境界線であったため、武力を持った者が渡河することは禁じられていました。

もし破れば重大な領域侵犯、ローマに対して剣を向けるのと同義だったのです。

そしてそれこそがポンペイウス側のねらいでした。

当時の「カエサル」は、特に市民からの支持が強い英雄のような存在。

そんな彼がさらなる力をつけるとなれば、他の権力者たちにとっては脅威でしかありません。

「カエサル」が武装せずにローマ入りすれば、たちまち捕えられてしまうのは明らかだったのです。

この一線は非常に重い一線だと承知している「カエサル」はそれでも軍を進め、この言葉で檄を飛ばしたと伝えられています。

結局ろくな準備も整えられなかったポンペイウスは敗れ、「カエサル」の賭けは当たりました。

軍人にして文人でもあった彼はこれを自らの手で「内乱記」という著書にし、現代の私たちに残してくれたのです。

ところでこの言葉は、この場で「カエサル」自身が考えたものではなく、さらに200年ほど前の喜劇作家メナンドロスの作品から引用されたものだといいます。

原典では「賽は投げてしまえ」となり、若干ニュアンスが違ってきます。

後世では「カエサル」の発言も「投げられた」だったのか「投げよう」だったのかという、解釈の違いをめぐる研究まで行われました。

またそれを記した歴史書の方に綴り間違いや誤訳があったのではという指摘もあり、今日でも明らかになっていません。

その真相はともかく、この言葉の意味するところの重みは、私たちにも深く刻まれています。

「賽は投げられた」の類語や言い換え

「賽は投げられた」の類語や言い換え

今日の私たちでも、進学や仕事、結婚など、時に本当にサイコロで決めたくなるような難しい岐路に立たされる場合があります。

この言葉と似た意味を持つ、あるいは言い換えたものには、例えば次のようなものがあります。

  • 「乾坤一擲」【けんこんいってき】
  • 「伸るか反るか」【のるかそるか】
  • 「背水の陣」【はいすいのじん】
  • 「不退転」【ふたいてん】
  • 「のっぴきならない」「よんどころない」
  • 「人事を尽くして天命を待つ」【じんじをつくしててんめいをまつ】
  • 「ルビコン川を渡る」【るびこんがわをわたる】

「乾坤一擲」【けんこんいってき】

中国故事から。

乾坤は天と地、一擲はサイコロ一振りの意味。

国も時代も違えどまさに同じ意味といえます。

「伸るか反るか」【のるかそるか】

これらも行き先不透明な博打を打った時の言葉。

「のる」「伸る」と書き、大きく伸びていくさまをあらわします。

他に「一か八か」「運を天に任せる」も同様です。

「背水の陣」【はいすいのじん】

これも中国故事より。

一歩もあとには退けない状況ですが、さらに「絶体絶命の危機」というニュアンスも含まれています。

「不退転」【ふたいてん】

読んで字のごとく、絶対に退かないという強い意志のあらわれ。

元は仏教の修行に用いられ、何があっても止めずにやり抜くといった意味があります。

現代でも政治界や、相撲界の口上でよく耳にする言葉です。

「のっぴきならない」「よんどころない」

のっぴきは避ける、退くを合わせた言葉、よんどころは拠り所の意味。

つまりどちらも、止むを得ない状況を表します。

「人事を尽くして天命を待つ」【じんじをつくしててんめいをまつ】

これは退路がないという意味あいからは少し外れた表現です。

やるだけの準備をした上で、天の意思≒運命を強く意識している点で、似ているのではないでしょうか。

「ルビコン川を渡る」【るびこんがわをわたる】

これは類語というより、その当時の状況をそのまま描写したちょっと遠まわしな言い換えといえるでしょう。



「賽は投げられた」の使い方や例文

 「賽は投げられた」の使い方や例文
  • 「賽は投げられた」の使い方
  • 「賽は投げられた」の例文

「賽は投げられた」の使い方

上記のように「もうやり直しの効かない一線を越えてしまったのだから、このまま進むしかない」という場合に用います。

私たちの生活に関わるような「賽が投げられた」状況とはどういうものでしょう。

「落第のかかった試験で、わからない選択肢を鉛筆を転がして決めた」

「全く同じタイミングで未知数の案件が二つ舞い込んできた。選べるのは一つだけ」

「明らかに偏差値の届かない学校に、願書を提出してしまった」

「自営業の夢のために、会社を辞めて銀行に融資を頼んだ」

事の大小と、そこに至るまでどれほどの積み重ねがあったかは様々ですが、よほどの慎重派の人でない限り、何かしらの経験があるはずです。

「賽は投げられた」の例文

「億単位のプロジェクトにゴーサインを出した。もはや賽は投げられた」

「けが人の多い中スポーツ大会の決勝まできた。相手は優勝候補最右翼。審判の笛が鳴り試合が始まった。賽は投げられたのだ」

「賽は投げられた」を実際に引用した歴史上の人物

「賽は投げられた」を実際に引用した歴史上の人物

自身の演説の中でこの言葉を引用し、記録に残っている人物がいます。

20世紀の独裁者としてあまりにも有名なナチスドイツの指導者、アドルフ・ヒトラーです。

1933年1月30日、ヒトラーはドイツ国の首相に任命されました。

その後のナチスドイツは誰もが知る通り、恐慌からの経済回復や様々な公共事業を進める一方、人種差別や弾圧、武力行使による領土拡大を経て第二次世界大戦を引き起こしました。

同年、自身が首相となった1月30日を指してこの言葉を用いている演説記録が残されています。

「賽は投げられた」の反対語や似た対義語

「賽は投げられた」の反対語や似た対義語

「やり直しができず」「退くこともできず」「転がり始めた運命」こうした状況と反対のさまを表すのには、以下のような表現があります。

  • 「新規蒔き直し」【しんきまきなおし】
  • 「白紙に戻す」【はくしにもどす】
  • 「三十六計逃げるに如かず」【さんじゅうろっけいにげるにしかず】

「新規蒔き直し」【しんきまきなおし】

「やり直しができるかどうか」に着目した場合で、新しく最初から種を蒔きなおすという意味です。

「白紙に戻す」【はくしにもどす】

これも全てをなかったことにして一から始めるという慣用句です。

「三十六計逃げるに如かず」【さんじゅうろっけいにげるにしかず】

魏晋南北朝時代の中国の将軍が記した、「兵法三十六計」の最後の項目です。

色々とその場に応じた戦いの心得を書いてきたが、駄目だと思ったら逃げてしまえばよいと書かれています。

元々は敵前逃亡の卑怯者を指したものだという説もありますが、そこから転じて、逃げて再起を図るという意味が生まれました。

「賽は投げられた」を英語で言うと

「賽は投げられた」を英語で言うと

元々はラテン語で“alea iacta est”(estはestoの誤りで、意味が違うとの説もあり)と表記します。

これを英語で言う場合は、“the die is cast”となります。

dieはダイス、つまりサイコロの単数形であり、“cast”は放り投げるという意味ですが、“throw”などよりも若干力の抜けた、やんわりとした投げ方のニュアンスがあるようです。

イメージしてみると確かにその通りで、怒りに任せている時以外はサイコロを叩きつけたりなんてしませんよね。

物事を決まった位置に収めるという用法もあり、これは私たちにもわかり易いいわゆる「キャスティング」のことです。

また変わったところでは、「魔法をかける」“cast a spell”とも表現します。

その他同じような意味で“an arrow shot off from a bowstring”(弦を離れた矢)、“show must go on”(ショーは止められない)というのもあります。

icon おわりに

日常会話よりも演劇や文学作品などで使われそうな重々しい言葉ですが、その意味するところは私たちの人生に大きく関わっています。

私たちも自分のポリシーをしっかり持って、やるだけのことをやってから賽を投げるようにしたいですね。