「水を得た魚」の意味とは?類語や使い方、例文や反対語を紹介!
メダカを飼育したことがある人なら、知らないうちにメダカが水槽から飛び出していたという経験をしたことがあるのではないでしょうか。
メダカは、水の外ではぐったりしていても水中に放つと元気に泳ぎだします。
では、「水を得た魚」にはどのようなことわざなのでしょうか。
目次
- 「水を得た魚」の意味とは?
- 「水を得た魚」の類語や似たことわざや四字熟語はどんなものがあるの?
- 「水を得た魚」の使い方
- 「水を得た魚」の反対語や似た対義語はなんだろう?
- 「水を得た魚」の英語の英語での表現は?
- 「水を得た魚」をもっと深読みしてみよう
「水を得た魚」の意味とは?
「水を得た魚」とは、自分に合った環境や自分の得意な分野などになったときに、生き生きとしてよく活躍している様子のことをいいます。
どんな人にもひとつやふたつは得意なことがあるものです。
「自分は何も得意なものなんてない」と思っている人でも、好きなアイドルのコンサートにいけば「水を得た魚」のように楽しんでいるはずです。
- 「水を得た魚」の読み方
- 「水を得た魚」の語源はなに?
「水を得た魚」の読み方
「みずをえたうお」と読みます。
「みずをえたサカナ」と読むのは誤りなので気をつけましょう。
いまでは「さかな」を使うことが多くなっていますが、元々日本では魚類を「うお」と読んでいました。
「さかな」は「酒菜」と書くように、「さか」はお酒、「な」とは副食のこと、つまりお酒を飲むときに一緒に食べる物を指していました。
今でも、「酒の肴(さけのさかな)」といいますよね。
ちなみに、魚のことを「さかな」と呼ぶようになったのは江戸時代以降になってからとのことです。
「水を得た魚」の語源はなに?
陸にあがった魚は水がないと生きていけないことから、切っても切れない親しいつきあいや関係を例えることを陸にあがった魚は水がないと生きていけないことから、切っても切れない親しいつきあいや関係を「魚と水(うおとみず)」といいます。
すでに名声を得ていた劉備がまだ一部にしか知られていない諸葛公明を迎えたときに、彼らの交際に不満を募らせる関羽や張飛に対して言った言葉が出典です。
「狐の孔明有るは、猶魚の水有るがごときなり。願わくは諸君復言うこと勿れ」
(自分にとって孔明がいることはちょうど魚にとって水があるように欠くことができないものだから、諸君はもう何も言わないでくれ)
このことから、「ふさわしい場所で活躍する」という意味でも使われるようになりました。
「水を得た魚」の類語や似たことわざや四字熟語はどんなものがあるの?
自分の「得意分野」や「整った環境」でハツラツと活躍する様子をいう「水を得た魚」とよく似た意味をもつことわざや四文字熟語を集めてみました。
- 「水に放たれた魚」【みずをはなれたうお】
- 「兎の登り坂」【うさぎののぼりざか】
- 「適材適所」【てきざいてきしょ】
「水に放たれた魚」【みずをはなれたうお】
「水に放たれた魚」とは、離れることのできない気心のしれたつきあいや、間柄のたとえのことや、苦境から抜け出したり、その人にふさわしい場所を得て能力を発揮し、大いに活躍することのたとえです。
「水を得た魚」とほぼ同じ意味です。
「兎の登り坂」【うさぎののぼりざか】
「兎の登り坂」とは、得意分野で実力を発揮することのたとえです。
ウサギの足は前足が短くて後ろ足が短いので、下り坂は足がつんのめってしまうため苦手なのを知っていますか?しかし、登り坂の場合は、それこそ「水を得た魚」のように、ピョンピョンと跳ね登っていきます。
その様子から、持ち前の力を振るえるので、物事が早く進むことを「兎の登り坂」といいます。
「適材適所」【てきざいてきしょ】
その人の適性や能力に応じて、それにふさわしい地位や仕事に就かせることを、「適材適所」といいます。
「適材(てきざい)」とは、ある仕事、職務に適した才能や能力をもつ人のこと、「適所」とは、その人にふさわしい地位や仕事をいいます。
語源は、建築現場での木材の使い分けといわれています。
家の建材である檜(ひのき)などの木は切り倒して数年間放置しておくと、真っ直ぐのまま乾燥するものや、乾燥するにつれて曲がっていくものが出てきます。
しかし、曲がってしまった木材でもその癖を生かしてうまく組み合わせて建築すれば、真っ直ぐな木材だけで組むよりもしっかりとした建築物を造ることができるのです。
「水を得た魚」の使い方
「水を得た魚」は「得意分野などで生き生きと活躍」していることをいいます。
魚を水に放したら、スイスイと泳いで遠くへいってしまうからといって、「逃げ足がはやい」の意味は持っていないのでご注意くださいね。
- 「水を得た魚」の例文1
- 「水を得た魚」の例文2
「水を得た魚」の例文1
「彼女は転職して今はジムのインストラクターになったそうよ。事務職にいたころとは違って『水を得た魚』のように活躍しているみたい。元々、身体を動かすのが好きだったものね」
「水を得た魚」の例文2
「いつもはぼんやりしているあいつだけど、キャンプにいったときは『水を得た魚』のように、テントを立てたりしてテキパキと働いて、見直したよ」
「水を得た魚」の反対語や似た対義語はなんだろう?
「生き生きと」の反対はなんでしょうか。
元気がない、意気消沈したなど、どれも暗い要素がありますね。
また、「活躍」「環境」という視点でその反対の意味を持つ言葉を集めてみました。
- 「水を離れた魚」【みずをはなれたうお】
- 「陸へ上がった河童」【おかへあがったかっぱ】
- 「木から落ちた猿」【きからおちたさる】
- 「猿も木から落ちる」
「水を離れた魚」【みずをはなれたうお】
「水を離れた魚」とは、頼りを失って自由がきかない、身動きがどれないことのたとえです。
エラ呼吸をする魚が生きるためには水が必要です。
水がなければ、ぐったりとしてしまい、やがては命を落としてしまいます。
それほどに、無力な状態だということです。
「陸へ上がった河童」【おかへあがったかっぱ】
「陸へ上がった河童」とは、能力の高い人でも、環境が一変して自分に適したことから離れると、本来の力が発揮できずに無力になってしまうことをたとえていいます。
「陸」は「りく」ではなく、「おか」と読むのでご注意くださいね。
人間の「尻子玉(しりこだま)」をとる妖怪と知られる河童(かっぱ)は、河に棲んでいるといわれています。
水の中では泳ぎの得意な河童ですが、陸に上がると何もできなくなることがその由来です。
「木から落ちた猿」【きからおちたさる】
「木から落ちた猿」とは、生活の頼りとなるものを失ってしまい、どうしたらいいのかわからず、途方に暮れている状態のたとえです。
木の上では活発に動き回っている猿、木から滑り落ちて掴む枝がなければ元にいた場所へ戻れなくなってしまいます。
そんな様子を表したことわざです。
「猿も木から落ちる」
「木から落ちた猿」と同じく、「猿」と「木」がつくことわざの「猿も木から落ちる(さるもきからおちる)」ですが、こちらは、技術が他の人よりすぐれている人や得意であることでも、時には失敗をすることがあるというたとえです。
「水を得た魚」の英語の英語での表現は?
- “a fish in water”
- “in one's element”
“a fish in water”
直訳すると、「水中の魚」。
つまり、「水を得た魚」と同じ表現です。
“When it comes to comics, he talks like a fish in water.” (マンガの話になると彼は『水を得た魚』のように話す)"のように使います。
また、“fish in water”には「有能な部下」「有能な部下を抱えて」という意味があるそうです。
「魚と水」とよく似ていますよね。
“in one's element”
“element”とは、「エレメント(要素)」という意味で使うことが多いと思いますが、「(人の)得意分野」という意味があるのです。
つまり、“in one's element”とは、「(…の)得意分野である」という意味です。
“He is in his element playing baseball.”(彼は野球をしているときは『水を得た魚』のようだ ")のように使います。
「水を得た魚」をもっと深読みしてみよう
自分に合った環境や自分の得意な分野などで、活躍するという意味を持つ「水を得た魚」。
「水」と「魚」という、とてもシンプルな言葉から出来ていますよね。
この「水」と「魚」を深く読みこんでいってみましょう。
- 魚にとっての「水」は、人間にとっての「空気」?
- 「魚」とは何を表しているのだろう
- 「水を得た魚」の「水」は、決して濁らない
魚にとっての「水」は、人間にとっての「空気」?
一般に、魚が呼吸し、生活するには水が必要不可欠です。
それと同じく、人間にとって呼吸に必要なものは「空気」です。
もし、空気がなければ、人間は生きていくことはできません。
空気は、約80%が窒素で約20%が「酸素」で構成されています。
空気の中でも人間を含むほとんどの生き物に必要なものはこの酸素です。
水にも含まれていますよね。
ところが、呼吸するのに酸素が100%だと、体のあらゆる部分に障害が出てしまうため、呼吸する際には吸引する「空気」の濃度が大切なのです。
つまり、ちょどいい「環境」が重要だということです。
「魚」とは何を表しているのだろう
「水を得た魚」は、適した環境にいる人という意味だということは、「魚」は「人」を例えたものです。
生き生きと活躍している人の心の中は、ウキウキと飛び跳ねる気持ちでしょう。
すると、どんなことだって頑張ろう、やりとげよう、という前向きな心が働いていきます。
すると、ますますよい結果につながっていくのです。
「水を得た魚」の「水」は、決して濁らない
いくら「水を得た魚」といえども、澱んだ水に棲む魚はどうでしょうか。
「水」とは人にとっての「生きがい」「やりがい」でもあるのです。
何かを成し遂げると達成感を感じます。
達成感を感じると心が満たされ、ますますその分野に通じていくのです。
「水」は常に流れていくので、濁ることはないのです。
常に流れている「水」に棲む「魚」はいつも元気に活躍できるのです。
また、「水」は、環境でもあります。
よい環境でいれば、気持ちも豊かになることで、物事が成功、実現しやすくなるのではないでしょうか。
環境や得意分野で人が活躍する様子やさまをいう「水を得た魚」ということわざには、開放感、自由とイメージがあります。
広々とした自分に合った環境で、本領発揮して、伸び伸び、生き生きと仕事をしたり、趣味に興じれば、ストレスも軽減していきます。
ストレスが少なくなれば、人間関係もうまくいきがちになります。
自分にとってよい「水」を見つけ、自由に動き回る「魚」になりたいものです。