「悟りの境地」とは?意味や類語!表現の使い方
「悟りの境地」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
修行をしているわけではなくても、この表現は使うことが可能です。
ここでは「悟りの境地」という言葉について紹介します。
目次
- 「悟りの境地」とは?意味
- 「悟りの境地」の表現の使い方
- 「悟り」について詳しく解釈
- 「悟りの境地」を使った例文と意味を解釈
- 「悟りの境地」の類語や類義語・言い換え
「悟りの境地」とは?意味
「悟りの境地」というのは物事の本質を理解して見抜くことが可能なレベルに達している、という意味になります。
悟りという事は物事の本質を理解することであり、境地というのはその場所に自分が置かれているという状況を指しているのです。
物事の本質を理解し、見抜ける状態になっていれば、それは「悟りの境地」に達したということになるのです。
例えば時間がなくなる、無の境地に達している、無意識に本能のまま生きることが可能である、真理を悟っている、などという場合に「悟りの境地」という表現が使われます。
- 「悟りの境地」の読み方
「悟りの境地」の読み方
「悟りの境地」という表現は「さとりのきょうち」と読みます。
日常生活でも使える言い回しですのでぜひ覚えておきましょう。
「悟りの境地」の表現の使い方
「悟りの境地」という表現は、例えば自分の欲がない、何かに執着することがない、常に謙虚でいられる、感謝の気持ちがある、などという時に使える表現です。
生きていると嫌なことがありますよね。
そんな時も自分がどうしたいかということを考えるのではなく、相手の気持ちを第一に考えられる、「自分だってできるのに」などといった考え方を持たない、などという場合に使えます。
だからといって自分を卑下するわけではなく、広大な心を持つ時にこの表現が使われます。
「悟り」について詳しく解釈
悟りという表現は迷いの世界を超えて心理を体得するという意味になります。
何かに気づいた時に悟った、という表現を使いますが、人生観を達観しているお年寄りなどに対して「あの人は悟りを開いている」などと表現することもあるのではないでしょうか。
物事の真の意味を知ることや理解という意味でも使われます。
「悟りの境地」を使った例文と意味を解釈
ここでは「悟りの境地」という表現を使った例文を紹介します。
- 「悟りの境地」を使った例文1
- 「悟りの境地」を使った例文2
「悟りの境地」を使った例文1
「姉は悟りの境地に達していますから、何かあっても簡単には動揺しません」
生きていると嫌なこともありますし、焦ってしまうこともあるのではないでしょうか。
しかし、何かあったとしても「それで死ぬわけではない」「この人も困っている」などと考え、焦らずに相手の気持ちを考えて行動できる、自分の気持ちを最優先にしない、などという場合に悟りの境地という表現が使えます。
精神的に焦らないため、「悟りの境地」というのは非常に健康的な考え方だともいえます。
「悟りの境地」を使った例文2
「彼は悟りの境地を開いた方が良い、日常的にイライラしすぎる」
日常的にイライラしてしまう、すぐに人を批判してしまう、などという人は「悟りの境地」を開く必要がありそうです。
自分の欲を表に出しすぎてしまう人も注意が必要です。
仮に自分の欲が満たされなかったとしても誰かが死ぬわけでは無いのですし、余裕を持った考え方が必要になります。
「悟りの境地」の類語や類義語・言い換え
ここでは「悟りの境地」という表現の類義語を紹介します。
- 「無心の境地」【むしんのきょうち】
- 「自己を滅却」【じこをげんきゃく】
- 「明鏡止水の境地」【めいきょうしすいのきょうち】
「無心の境地」【むしんのきょうち】
無心の境地、という表現は雑念を排除して完全に物に執着しないという心持ちを指しています。
無心という言葉には邪念がないこと、という意味があります。
「自己を滅却」【じこをげんきゃく】
自己を滅却という表現には、無心の境地という表現と同じく、雑念を取り除いて物に執着しないという状態を指しています。
自己滅却ということもあり、欲望から解放された状態を表します。
「明鏡止水の境地」【めいきょうしすいのきょうち】
明鏡止水の境地という表現は一点の曇りのない鏡や、波がなくて静止している水のように心にわだかまりがなく、澄み切った気持ちをさしています。
明鏡というのは曇りがない鏡、止水というのは水面が止まって静かになっている水を指します。
この2つを合わせて意味を強調しているのです。
荘子の話した内容からこの言葉ができたと考えられます。
「悟りの境地」は難しく聞こえるかもしれませんが、平穏な日々を送る上で非常に重要です。
自我を押し通すのではなく、落ち着いた気持ちで生活をしていきたいものです。