「諦めの境地」の意味・読み方・類語・英語【使い方や例文】
人は一生懸命に何かの目標に向かって立ち向かっている時は、とても美しいものです。
努力することで、普通に考えれば到底なし得ないことでも、やり遂げることができます。
しかし、全てのことに対して願いが叶うというものでもありません。
残念ながら、自分の目標があまりにも高すぎて、手が届かないことも少なくありません。
是が非でも頑張ってやり遂げるという強い意思を持ってしても不可能なことがあります。
このような時に出てくる言葉が、「諦めの境地」という言葉かもしれません。
この言葉は、色々な場面で使われている言葉なのですが、正確な意味を理解できないままに使っていることもあるのではないでしょうか?
ここでは、この「諦めの境地」の意味や具体的な活用例を挙げながら、説明していきたいと思います。
目次
- 「諦めの境地」の意味とは?
- 「諦めの境地」を分解して解釈
- 「諦めの境地」の使い方
- 「諦めの境地」を使った例文・短文(解釈)
- 「諦めの境地」の英語
- 「諦めの境地」の類語や言い換え
「諦めの境地」の意味とは?
「諦めの境地」とは、「物事に対して、諦めることも考えるような立場や境遇にいる様子」を意味する表現です。
私達がどうしても到達できないような高いハードルが目の前に出てくると、使いたくなる表現です。
- 「諦めの境地」の読み方
「諦めの境地」の読み方
「諦めの境地」は、「あきらめのきょうち」という読み方になります。
「諦めの境地」を分解して解釈
では、ここで「諦め」と「境地」の2つの言葉に分解して、これらの言葉の意味に踏み込んでいくことにします。
- 「諦め」
- 「境地」
「諦め」
「諦め」とは「希望していることを途中で止めること」という意味で、「放棄」、「断念」など、マイナス的なイメージが強いのですが、「諦」という漢字は悪い意味がありません。
仏教用語では、satya(サティア)の意味で当てられている漢字でもあり、「真実」、「真理」、「悟り」を指しているいいもじなのです。
日本語では「明らかにする」という解釈に近いのですが、日本語の「諦める」と「明らか」は、言葉としては同じ語源であることから、「物事の真実の姿やありさまを明らかにすることで、諦められることができる」という意味に発展していったとされているのです。
それが時代を追うにつれて、「明らかにする」の意か失われて、「望んでいることを途中で止める」となってしまいました。
「境地」
「境地」とは、「身体や心が置かれている状態」、または「ある段階に達した心の状態」などの意味があり、「悟りの境地」などの形で使われている言葉です。
「諦め」と「境地」が組み合わさり、「諦めることも考えるような立場や境遇」という解釈になっていくのです。
「諦めの境地」の使い方
「諦めの境地」を使う場面としては、目の前に立ちはだかる壁(困難なこと)に置かれた時に全てのことを止めてしまうような時に使われます。
「諦めの境地」を使った例文・短文(解釈)
では、ここから「諦めの境地」を例文で見ることで、どのような場面で使うことができるかを理解していただければと思います。
- 「諦めの境地」の例文1
- 「諦めの境地」の例文2
- 「諦めの境地」の例文3
「諦めの境地」の例文1
「成績に関しては、もはや諦めの境地に達している浩二君だが、もちろん、他の生徒の多くはそんな心境ではなかった」
成績が思わないように振るわなかった浩二君は、次の試験ではもうこれ以上努力してもダメという心境なのですが、他の生徒達は、まだ頑張れる意志が残っているのです。
「諦めの境地」の例文2
「山中にとっては、とてもやさしい試験だったが、他の2人はもはや諦あきらめの境地に達しているのだった」
これも試験にまつわる例文ですが、ここでは主人公の「山中」にとっては、とても優しい試験なのに、他の2人はすでにギブアップしていることを言っている文章です。
まだまだ諦めるには、早いのかもしれませんが。
「諦めの境地」の例文3
「彼女の目には、厳しい決意と諦めの境地が入り混じったような色が浮かんでいた」
「彼女」は、どのようなことに対して、立ち向かおうとしているのでしょうか?
「何がなんでも、成功させなければならない」という強い決意と、「普通では成功することができない」と諦めの半分の複雑な気持ちなのかもしれませんが、2つの相矛盾する心境が入り交じって複雑な心理状態なのでしょう。
「諦めの境地」の英語
「諦めの境地」を英語で言うなら、“come to accept one's fate with resignatio”や“Frontiers of resignation”という表現で例えることができます。
「諦めの境地」の類語や言い換え
では、ここで「諦めの境地」の類義語を見ていくことにしますが、どのような言葉があるでしょうか?
- 観念
- 「お手上げの心境」
- も「はやこれまでの感」
観念
「諦めの境地」に近い意味を持つ言葉の1つに「観念(する)」があります。
「観念」とは、「あるものについて抱く意識内容」という意味がある他に「もうこれまでだと、諦めること」という意味も含まれています。
「死んだものと観念する」といったような場面で使われていますのが、昔の武士の時代には、往生際が悪いよりも、潔く観念する方が良いという見方もあったようです。
「お手上げの心境」
「お手上げの心境」とは、「全くどうにもしようがなくなること」という意味がありますが、「降伏の印に両手を上げることから、どうにもならない」、「手の施しようがない」という意味になったとされています。
ビジネスマンが、困難な出来事に出くわした時に、ありとあらゆる対策を施して、何とか乗り越えようと努力します。
しかし、それでもその難関を越えることができずに、「お手上げ状態」となることが少なくありません。
ここまでくると、もう諦めが肝心です。
も「はやこれまでの感」
「もはやこれまで」というセリフは時代劇で追い詰められた武将が言うセリフですが、「これで終わりだという心境」という意味になります。
「もはやこれまで」の解釈には、「これからが本番」や「ここが正念場だ」という意味もありますが、今では、「諦めの境地」としての解釈が強いと思われます。
「潔く諦める」ことも時として必要な場合がありますが、それでも「すぐに諦めること」と「粘ってできることを全てやり尽くして諦める」のでは、その後の心境が全く異なってきます。
後から「あれをやっておけばよかった」と後悔するよりも、トコトンやって、成功しなかったなら、潔く諦めることが大切です。
そして、気持ちを切り替えて、前向きな気持ちで新しいことにチャレンジすることが必要です。
恐らく「諦めの境地」になったことでも、トコトンやり尽くしたのであれば、その経験は必ず後々活かされることになるはずです。