「無の境地」とは?意味や類語!表現の使い方
皆さんは、「無の境地」という言葉を聞いたことがあるかと思います。
この言葉は、とても精神性の高い言葉で、何やら難しい言葉のように感じられるかもしれません。
そこで今回は、この「無の境地」について説明をしていくことにします。
目次
- 「無の境地」とは?意味
- 「無の境地」の表現の使い方
- 「無の境地に達する」の意味
- 「無の境地」を使った例文と意味を解釈
- 「無の境地」の類語や類義語・言い換え
「無の境地」とは?意味
「無の境地」という言葉を聞くと、どうしても悟りや解脱といった仏教の言葉として、宗教色の強い言葉としてのイメージがあります。
「無の境地」の行きつく先は、虚無的な考えのようなものが存在するのではないかと思われるかもしれません。
しかし、決してそのような意味ではなく、「どのような困難なことに遇ったとしても、そこから生じる苦痛を感じない精神状態に達する」ということが、本来の意味とされています。
- 「無の境地」の読み方
「無の境地」の読み方
「無の境地」は「むのきょうち」と読みますので、忘れないようにしっかりとチェックしておくといいでしょう。
「無の境地」の表現の使い方
「無の境地」という言葉の意味を理解しても、やはり難しく感じてしまい、活用場面もかなり限定されるイメージがあります。
しかし、身近な所でも当てはまる場面がよくあります。
幼い子供が公園で夢中で遊んでいる時は、他のことにまったく気づかず、雨が降ってきても、濡れていることを気にせず遊び続けています。
このような状態も「無の境地」と言えるのです。
言い換えると、「没頭している」状態とでも言うことができると思います。
「無の境地に達する」の意味
「無の境地」は、「人が本能から解き放たれて心の迷いが打ち消された状態」のことを指しています。
このことから、もし、自分に災難やトラブルが立ちはだかったとしてと、決して慌てることなく、冷静な心を維持しつつ、物事に対処することができるはずです。
このことが「無の境地に達する」ということになります。
「悟りをひらく」という言葉も、この状態のことを指しています。
「無の境地」を使った例文と意味を解釈
では、ここで「無の境地」を使った例文をいくつか見ていくので、具体的な使い方の理解を深めてもらえればと思います。
- 「無の境地」を使った例文1
- 「無の境地」を使った例文2
「無の境地」を使った例文1
「座禅をすることで、無の境地になれる。その結果、自分の心から自我ななくなり、あるがままのことを受け入れられるようになるのです」
座禅に集中することができたなら、一切のこだわりを捨てて、自分と周りの世界との境界線がなくなり、自然と一体になることができるとされています。
そして、次第に周りの音がよく聴こえるようになっていきます。
「無の境地」を使った例文2
「無の境地に近づくということは、余計な思考や感情を捨て去り、涅槃の状態のなることです」
この例文の解釈は結構難しそうに思えるのですが、「無の境地」になることで、あるがまま本来の姿に近づくということを言っています。
人は何かと感情に流されて、私利私欲になりがちどすが、その時は正常な思考ができません。
「無の境地」になることで、余計な雑念を取り払い、物事の真理に近づくことができるのです。
「無の境地」の類語や類義語・言い換え
「無の境地」をほかの言葉で言うと、次のようなものが挙げられます。
- 「悟り」
- 「自己を滅却」
- 「無私無欲の境地」
「悟り」
「悟り」とは、現代的な解釈だと「理解すること」、「それに気づくこと」という意味になりますが、「無の境地」の類義語としては、「心の迷いがなくなり真理を会得する」という意味になります。
「自己を滅却」
「滅却」とは「消え滅びること」、「消し滅ぼすこと」という意味を持つ言葉で、「自己を滅却」は、「自分の存在を消すことで、世界と1つになる」という理解につながります。
「無私無欲の境地」
「無私無欲の境地」とは、「雑念を排除し、完全にものに執着しなくなった心の状態」のことになります。
「無の境地」の意味や使い方を紹介してきましたが、この言葉の意味を知ると、身近な所でも体感することができることが分かってきます。
是非、このような心境になれることを目指してみるのもいいことだと思います。