「忘我の境地」とは?意味や類語!表現の使い方
皆さんは「忘我の境地」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
この言葉は身近な会話の中やビジネスシーンでも使われることは、めったにありません。
それだけにどのような意味があるのか非常に興味深い言葉なので、ここで「忘我の境地」について見ていきましょう。
目次
- 「忘我の境地」とは?意味
- 「忘我の境地」の表現の使い方
- 「忘我の境地」を分解して解釈
- 「忘我の境地」を使った例文と意味を解釈
- 「忘我の境地」の類語や言い換え
「忘我の境地」とは?意味
「忘我の境地」とは、「何かに意識が集中して、周りが見えないように取り組んでいる状態」のことを指しています。
1-1 「忘我の境地」の読み方
「忘我の境地」は「ぼうがのきょうち」と読みますが、普段の会話の中で出てくる言葉ではないので、ここで忘れないようにしっかりとチェックをしておきましょう。
「忘我の境地」の表現の使い方
「忘我の境地」を使うシーンとしては、何か自分の得意な分野や興味のあることを取り組んで、周りから声をかけられても、気付くことがないような場面で使われることになるでしょう。
「忘我の境地」を分解して解釈
では、この言葉を「忘我」と「境地」の2つに分けて、それぞれの言葉の意味を解釈してみることにしましょう。
- 「忘我」
- 「境地」
「忘我」
「忘我」とは「何か物事に熱中して自分を忘れること」という意味になります。
特に自分の好きなことをしている時は、すごく意識が集中して時間が経つのも忘れてしまいます。
「境地」
「境地」とは、「その人の置かれている立場」や「ある段階まで到達した時の心の状態」などの意味があります。
このことから「忘我の境地」とは、「自分を忘れるくらいに意識が集中している」という解釈ができるのです。
「忘我の境地」を使った例文と意味を解釈
では、ここで「忘我の境地」を使った例文を見ていくことにしましょう。
- 「忘我の境地」を使った例文1
- 「忘我の境地」を使った例文2
「忘我の境地」を使った例文1
「愛弟子は、長い瞑想の末に自分が生きているのか死んでいるのかも分からぬほどの忘我の境地に達することができたのだ」
今では、座禅や瞑想が静かなブームとなっており、禅寺でも瞑想を自由にさせてくれる環境を提供してくれることがあります。
しかし、このような例文に見る「愛弟子」の人は、深い瞑想の末に完全に「忘我の境地」に到達しているようです。
「忘我の境地」を使った例文2
「大好きなソーシャルゲームをしている時の僕はおそらく忘我の境地になっているはずだ」
この例文のように「忘我の境地」に至るのは、必ずしも瞑想だけではありません。
自分の好きなソーシャルゲームをしている時でさえ、夢中になってしまうのです。
「忘我の境地」の類語や言い換え
では、ここでは「忘我の境地」に近い意味を持つ類義語をいくつか挙げてみることにしました。
- 「無我夢中」
- 「一心不乱」
「無我夢中」
「むが-むちゅう」という読み方をする「無我夢中」が「忘我の境地」に近い意味を持つ言葉の1つでしょう。
「あることにすっかり心を奪われてしまい、我を忘れてしまうこと」という意味ですが、元々「無我」とは仏教用語で「自分に捕らわれる心を超越した心のこと」を指しており、そこから転じて「自分を忘れる」とい意味に変化してきました。
また、「夢中」は「物事にすっかり熱中して他のことを考えられない状態」のことを意味する言葉です。
何か瞑想状態に近い感じがします。
「一心不乱」
「一心不乱」も類義語として扱うことができ、「何かに夢中になった精神状態のこと」を意味しています。
「忘我の境地」という言葉を使う頻度はあまりないくらいに珍しい言葉なのかもしれませんが、意味を理解すると、このような解釈が当てはまる場面はかなりあることが分かります。
せっかくの機会なので、意識的にこの表現を使ってみることも面白いかもしれません。