「過信」の意味とは?読み方、類語や使い方、例文を紹介!
人が行動する時には色々な姿勢があります。
何か目標を立てて、それに向かって力強く突き進む姿勢があれば、何事にも、石橋を叩いて渡る姿勢の人もいます。
それは行動する時に、その人の中に自信があるかどうかということになります。
しかし、その自信が自らの行動を失敗に追い込んでしまうことも少なくありません。
それはその人の中に、「過信」が生まれていたからかもしれないからです。
目次
- 「過信」の意味とは?
- 「過信」の類語や言い換え
- 「過信」の使い方
- 「過信」を使った例文
- 「過信」の対義語
- 過信する心理
「過信」の意味とは?
「過信」とは、どのような意味を持ち、どのような時にこんな状態になるでしょうか?
「過信」とは、自分価値や力量などを実際の力よりも高く見過ぎることによって、み信頼しすぎること」を意味しています。
「実力を過信する」と言うような場合に使います。
これは、自分や他人の実力を過大評価することだけでなく、物や考え方等の事象に対しても、「過信」するということがあります。
最近では、インターネットが普及して生活がとても便利になりました。
その利便性の高さゆえに、その価値に便り過ぎることがないでしょうか?
そのような時に台風等の災害で、インターネットかと使えないことがあります。
この時にまさにインターネットを「過信」したことになるのです。
- 「過信」の読み方
「過信」の読み方
「過信」は、「かしん」という読み方になります。
「信じる」ことを「過ぎる」こと。
言い換えれば、「行き過ぎた(過度な)」「信頼」が、「過信」ということになるでしょう。
「過信」の類語や言い換え
過度の信頼を持ってしまい、失敗してしまう原因とも言える「過信」。
この言葉は、次のような言葉で置き換えることができるでしょう。
- 「増長する」
- 「有頂天になる」
- 「天狗になる」
「増長する」
「増長する」は、「ものの程度やレベルが、思ったより、予想以上にどんどんと高まっていく状態」を指しています。
「あいつは、この頃、成績がいいせいか、かなり増長しているな。」
「彼は上司から可愛がられているので、ちょっと増長気味かもしれないな。」
このような表現になるでしょう。
物事が段々とエスカレートすることや、わるい方向に心理的な状態が発展することも挙げられます。
この他にも、「度を越す」、「激化する」、「悪化する」、「強化される」、「強まる」、「激しくなる」、「激しさを増す」、「強調される」、「ひどくなる」、「進行する」、「激する」と言った言葉も「増長する」という言葉で表現することがあります。
「有頂天になる」
「有頂天になる」という言葉も、「過信」に近い言葉です。
「いい気になってしまい増長すること」あるいは、「頭に乗ること」とも言えます。
「有頂天になる」ことは、「好い気になる・調子に乗る」、「上機嫌になる」、「すっかりその気になる」、「得意になる」、「いい気になる」、「舞い上がる」、「夢中になる」と言うような心の状態の時に使うことが多いでしょう。
「あいつは、多くの敵を打ち負かして、今、有頂天になっている」
「狙うなら今だ!」
多くの敵と戦い、まさに「破竹の勢い」という状態の武将。
有頂天になっていることから、油断が生まれてきて、撒ける恐れも出てくるはずです。
「天狗になる」
「天狗になる」とは、「いい気になり、増長すること」や「好い気になる」ことです。
「何か、最近、あいつは調子に乗っているな!」ということを、「あいつ天狗になっているな。」とも言うことができます。
これも「過信」と同じ言葉です。
「成績が良すぎて、すっかりその気になっているな」「いい気になり過ぎだ。」というような表現も、「天狗になる」とという状態です。
この他にも、「舞い上がる」、「夢中になる」、「うわの空になる」、「おだてに乗る」、「自惚れる」、「思い上がる」、「謙虚でなくなる」、「鼻にかける」、「大きい顔をする」、などの表現も「天狗になる」に繋がっていきます。
こんなふうにはなりたくないですが、人は調子が良くなると、どうしても、天狗になりやすくなるのでしょうか?
「過信」の使い方
「過信」は、物事の状態を高く評価し過ぎてしまうことによって、間違った結果を生み出してしまうことでもあひます。
したがって、色々な事象があまりにも、好調に進みすぎている時に、「過信」という言葉は、使うことになるでしょう。
「過信」を使った例文
「過信」を使うケースは次のような場合となるでしょう。
- 「過信」の例文1
- 「過信」の例文2
- 「過信」の例文3
「過信」の例文1
「自分の力を過信していたために、多くのの仲間の命を失ったのかもしれない」
まるで、戦争や戦国時代の時にセリフです。
自分の力を信じ過ぎたことで、的確に戦局を把握できずに、間違った戦略を立ててしまった結果、大きな犠牲を作ってしまったのです。
このようなことは、戦の時だけでなく、ビジネスでもありがちなことです。
「過信」の例文2
「僕は心のどこかで、冷静に対処できると過信していたと思います。それが失敗の原因です」
これもやはり、自分の実力を高く評価していたので、結果的に失敗に終わったのです。
「過信」の例文3
「自分の布陣を過信していたために、負けてしまったのである」
こんないい方もできます。
「過信」の対義語
「行き過ぎた信頼・評価」の「過信」の対義語としては、次の言葉があります。
- 「慎重」【しんちょう】
「慎重」【しんちょう】
「慎重」は、「過信」と対極にある言葉として挙げられるでしょう。
この言葉の意味は、「注意深くて、軽々しく行動しないこと」です。
「慎重を期する」、「万事に慎重な人」「慎重に検討を重ねる」という例え方になるでしょう。
「彼はどんなに調子が良くても、決して過信することなく、慎重に物事を進めていく安定感があるな。」
ちょっと、固すぎる表現かもしれせんが、このように手堅く慎重に、行動できる人は、多くの人からの信頼を集めることができるでしょう。
過信する心理
「過信」という言葉の意味や例文を見てきました。
仕事をする時や大きな目標に向かって行動する時には、自分に自信を持つことは、とても大事なことですし、必要不可欠なことと言えます。
その理由は、自分に自信を持つことで、前向きに、且つ積極的に物事を捉えることができるようになり、成功に繋がりやすくなるからです。
しかし、このように一般的に自信を持つことは良いと言われているのですが、どうして自信の延長であるはずの「過信」は、良くないと言われるのでしょうか?
「自信」とは、自分で自分の能力や価値などを信じること」や「自分の考え方、行動が正しいと信じて疑わないこと」となります。
一方の「過信」は、「自分の(あるいは、他人や物事の)価値や力量などを、実際よりも高くみ過ぎて、信頼しすぎること」を指しています。
「自信」とは、自分の能力や価値は、「これくらいはあるはずだな。」という考え方の基づくのですが、「過信」は、自分の能力や価値が「これくらいあるはずだという断定してしまっている」ことを意味している言葉なのかもしれません。
このことから、「自信」というのは、自分の存在価値やその力の可能性をある形に表した言葉なのです。
その思いには、もしかすると「少なくとも、そうであって欲しい。」という希望的な観測や願いも含まれているのではないでしょうか?
片や、過信」である状態を見てみると、自分という価値を、すでに結果として、もしくは結論付けた状態を指している言葉なのだと思えるのです。
「少なくとも自分には、これくらいの価値はあるはずだ。」という慢心が生まれて来てしまっている状態なのでしょう。
そのような意味が含まれているからこそ、「過信」という落とし穴に落ちてしまうこです。
「自信」と「過信」の2つの関係を考えると、自分の能力を信じることを止めて、自分の能力に確信を持ってしまった段階から自信は過信に変わっていくのだと言えるのではないのでしょうか?
自分に自信を持つということは、決して悪いことではありません。
むしろ、自分の可能性に対して、プラス思考、陽極思考で物事を考えている状態なのですから、まだまだ、自分には成長できるキャパシティがあること、つまり自分の能力を信じることで、次なる成長を望めます。
何か大きな目標に向かって、チャレンジしていく組に時には、「自分はこれくらいならできるはずだ!」と信じることが、努力を続けてモチベーションを維持する上でとても必要になってきます。
例えば、野球を習い始めた頃は、ボールをグローブで受け止める自信は、かけらもなかったとしても、練習を繰り返すことで、どんなボールでも、しっかりと取ることができるようになっていきます。
そのまま練習し続けることで、自分の思うようなアクションでしっかりと受け止めたり、変球することもできるようになるかもしれません。
このように自信に繋がっていくことでしょう。
そうすることで、「もしかすると、レギュラーも夢じゃない。」という自分の能力の可能性から、レギュラーで活躍できるようになりたいという願望が生まれくるのです。
そのために、きつい練習でも、見事なプレイができるようになるまで、努力を重ねることができるわけです。
「僕だったら、これくらいのプレイを何とかさばくことができるかもしれない。」と自分を信じることこそが、自信なのです。
このようなことから、自信を持つということは、自分の能力や価値を成長させるためには、とても必要なことなのです。
しかし、自分の能力に疑いを持ち始める時、言い換えると、「自分には、野球をする実力やセンスがないのかもしれない。」と自分を信じることができなくなった時に自信を失くすのです。
「過信」とは、自分の能力の可能性を信じることをやめて、自分の能力を決め付けることなので、自分の能力の限界を自ら下げてしまうことになるのではないでしょうか?
「自信」が、「過信」に変わった瞬間、自分の思い描く願望から「できるはず」と慢心になってしまのです。
それ以上の成長を求めることができない形状態になってしまうのです。
成長を自ら止めてしまうということです。
「過信」は、自分の能力に満足してしまい、自ら成長することを放棄することと言えるでしょう。
一方で、「自信」はあくまで可能性のことなので、失敗することもありえることです。
したがって、油断することなく努力を続けることが大切です。
「過信」は、自分が失敗するかもしれないと言うことが危機感や客観的な見方ができないことなので、努力を継続することができなくなってしまうのです。