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「木を見て森を見ず」の意味とは?よく似ていることわざや反対語を紹介!

ことわざや名言は昔からの人々の知恵の結集です。

何気なく耳にしたり、使ったりしていることわざや名言には、意外に深い意味があります。

矛盾や罠をも的確に短い言葉で言い表すことができます。

便利で面白いことわざをぜひ味わってみましょう。

木を見て森を見ず

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「木を見て森を見ず」の意味とは?よく似ていることわざや反対語を紹介!>


目次

  • 「木を見て森を見ず」の意味とは?
  • 「木を見て森を見ず」によく似ていることわざ
  • 「木を見て森を見ず」の反対語(類似の対義語)
  • 「木を見て森を見ず」の使い方や具体例


「木を見て森を見ず」の意味とは?

「木を見て森を見ず」の意味とは?

小さい部分をとらえてこだわるあまり、全体や本質的なことを見通さない状態をたとえて、「木を見て森を見ず」といいます。

木は木なのだから、「木」というだけでいいだろう、とも思いたくなりますよね。

とはいえ、この場合、「木」「森」の一部なのです。

さて、この木は森でしょうか、森ではないのでしょうか。

このことわざが言いたいのは、そういうことなのです。

例えば、木だけれど森ではない、などと把握をしてしまうこととなると、対象を見誤ってしまっているのです。

  • 「木を見て森を見ず」と英語
  • 「木を見て森を見ず」とヨーロッパの国々
  • 「木を見て森を見ず」と中国

「木を見て森を見ず」と英語

「木を見て森を見ず」ということわざは、英語のことわざである、“You cannot see the wood for the trees.”の和訳から来ています。

「見ず」という古典的な言い回しが含まれているため、一見、他の多くのことわざと同じように、漢文が出典のように見えますから、意外ですね。

直訳すると、木々のための樹を見ることができない、という抽象的な意味ですが、目の前の樹単体という些細なことにとらわれ、森と繋がっているという全体の状況がわからないといった解釈になります。

「木を見て森を見ず」とヨーロッパの国々

英語を使用するイギリスやアメリカと同じ、キリスト教国家群の多いヨーロッパでは、“You cannot see the wood for the trees.”と同じ言い回しとなることわざが複数存在します。

例えば、フランス語には、“C’est l’arbre qui cache la foret.”という言い方があります。

「森を隠しているのは木です。」という意味です。

同じくヨーロッパのドイツ語には、“Man sieht den Wald vor lauter Baumen nicht.”(あなたは木の森を見ることができません。)という言い方があります。

「木を見て森を見ず」と中国

中国では、“You cannot see the wood for the trees.”「見樹不見林」と中国語訳されます。

意味としては、あなたの目の前の木を見るだけでは、背後に連なる森を見ることができない、その木には卑劣な意味が含まれがちであり、単なる独立した対象としてではなく、森の属性や目的として密かに使われがちだ、といった解釈がなされています。

「木を見て森を見ず」という和訳より、端的に、警鐘的な響きを持っているのがわかりますね。

自然豊かで広大な中国では、森を一望ほうがむしろ、まさしく日常的でかつ現実的な、よくあることなのかもしれません。



「木を見て森を見ず」によく似ていることわざ

「木を見て森を見ず」によく似ていることわざ

近年では、森や木が減少してしまいましたが、「木を見て森を見ず」と同じように、自然を描写したり、生き物や生活を活写したり、と日常のありふれた一面から深い気付きを与える格言は大変多いものです。

「木を見て森を見ず」は、相手に洞察などを促す重厚感のあることわざですが、実は他にも似たことわざが色々ありますのでご紹介します。

  • 「木を数えて林を忘れる」【きをかぞえてはやしをわすれる】
  • 「金を攫む者は人を見ず」【きんをつかむものはひとをみず】
  • 「鹿を追う者は山を見ず」【しかをおうものはやまをみず】
  • 「獣を逐う者は目に太山を見ず」【じゅうをおうものはめにたいざんをみず】

「木を数えて林を忘れる」【きをかぞえてはやしをわすれる】

「木を数えて林を忘れる」は、子供向けのことわざ辞典にもよく登場する、ユーモラスなことわざです。

林にある木を数えましょう、ということになり、木を一生懸命数えるうち夢中になり、林にいることを忘れ、見事気を数え切ったので、「林に何本ありましたか?」と訊かれ、「木を数えましたので林などありませんでした。」とさっぱりと答えてしまうという笑い話の1つです。

まじめなのは良いとしても、少なくとも大事なポイントまでは注意力を保っていなくてはいけないという、生活上の揶揄を含んでいます。

「金を攫む者は人を見ず」【きんをつかむものはひとをみず】

中国の古い書物「列子」には、昔男がいて、役人に捕えられ、金の店から金をつかんで逃げた際のことを尋問されて、「金を盗るとき、金を見、人を見なかったのになぜバレたのか」という答え方をしたという出来事が書き残されています。

このことから、悪事に目がくらんで、他のことがまるで気にできない様子をさすことわざになりました。

「列子」は、春秋戦国時代の列禦寇と伝えられる人物の尊称ですが、その著書の名称としても使用されています。

「鹿を追う者は山を見ず」【しかをおうものはやまをみず】

「鹿を追う者は山を見ず」「鹿を追う者は兎を顧みず」と似ていますね。

兎もあるのに、というような利益追求のテクニックの話かと思われがちですが、実はやや違います。

これは、そこのあなた、決してそんな鹿を追うな、という結論を得ないといけないことわざです。

鹿を手に入れるだけなのだから、山が見えなくてもいいだろう、と思ってしまいがちですが、しだいに深く山に入り込み、ついに鹿を獲たものの、気が付くと帰り道が判らない、つまり遭難してしまった、などということになりかねないぞという、ぞっとする生活の叡智なのです。

人里離れた山中ほど、他の獣や飲料水不足というリスクも高まります。

利益だと思ったのに、全く反対のことが予想外に待っているということなのです。

同様のことわざに「鹿を逐う猟師は山を見ず」もあります。

「獣を逐う者は目に太山を見ず」【じゅうをおうものはめにたいざんをみず】

「逐う」「おう」と読み、追うという意味です。

「太山」「たいざん」と読み、大きな山のことです。

「淮南子」という中国の古い書物に、獣というやや大きな目先の利潤に心を奪われて、自分を取り巻く大局に気づけない者の盲目さや油断が、「獣を逐う者は目に太山を見ず」とまとめられています。

太山のリスクを忘れているうちに、二度と太山を出られず、二度と太山を外から見ることができない、そんな恐ろしい情景です。

「淮南子」は、「えなんじ」と読み、前漢時代の思想書です。

「淮南子」には、このようなお話がたくさん書かれています。

鹿や獣を狩る猟師に、同様のトラブルが多かった時代背景が推察されてきますね。

「木を見て森を見ず」の反対語(類似の対義語)

「木を見て森を見ず」の反対語(類似の対義語)

「木を見て森を見ず」ということわざは、目の前の些事や雑事、そして時として、詐欺のような利益に心を奪われていることを揶揄していることがわかりますね。

では、その反対語にあたることわざにはどんなものがあって、どういうことを言い表しているのでしょうか。

  • 「鹿を追う者は兎を顧みず」【しかをおうものはうさぎをかえりみず】
  • 「森を見て木を見ず」【もりをみてきをみず】

「鹿を追う者は兎を顧みず」【しかをおうものはうさぎをかえりみず】

「鹿を追う者は兎を顧みず」は、中国の古い書物「淮南子」に残されている狩猟の話から、より大きな利益を追求している最中に、小さな利益を逃してしまっていることのたとえです。

鹿と兎では、食べられる部分の量が大きく異なりますよね。

獲物としての価値が違うので、猟師はもっと手近に兎がいて、たとえ捕えられそうに見えても、その先のもっと大きな鹿ばかりを追ってしまって、即時の利益を逃してしまっている、という警鐘です。

「森を見て木を見ず」【もりをみてきをみず】

「森を見て木を見ず」とは、大局ばかりを見て、微視的な観点をとり忘れていることのたとえとして知られています。

例えば、日経平均株価が上昇したことにばかり気を取られ、全体の中には、伸び悩んだり赤字に転落したりしている企業もある、ということに気付かない、といったことが挙げられます。

一見、同じトーンを持っているかのようにみえる森のなかにも、いろんな木があるのですね。



「木を見て森を見ず」の使い方や具体例

「木を見て森を見ず」の使い方や具体例

「木を見て森を見ず」などのことわざは、どんなふうに使われるべきなのでしょうか。

例えば、ビジネスシーンや家庭レベルで、どんなふうに使えるのかご紹介します。

  • 「木を見て森を見ず」の使い方
  • 「木を見て森を見ず」の仕事で生かす具体例
  • 「木を見て森を見ず」の恋愛で生かす具体例
  • 「木を見て森を見ず」の家庭で生かす具体例

「木を見て森を見ず」の使い方

「木を見て森を見ず」ということわざは、やや否定的な意味を表現している場合があります。

しかし、ことわざなので、よりソフトに、気軽にそんな状況を表現できるというものです。

いったいどんなポイントに着目すればいいのかを見ていきましょう。

「木を見て森を見ず」の仕事で生かす具体例

必要以上に細かなポイントにこだわり、作業に時間をかけてしまった場合、その細かさがまじめに仕事しているだけに見えていくら言いにくくても、全体としての仕事スピードが遅まってしまいますね。

そんなとき、もっと早くして欲しい部分・「木」をとらえて、「木を見て森を見ず」と言いましょう。

大きな視野での仕事に気付き、はかどることが期待できるはずです。

逆に、「木を見て森を見ず」だよ、と言われた場合、他の部分にも力を入れるべきです。

「木を見て森を見ず」の恋愛で生かす具体例

適齢期なのにお付き合いが長引いてしまっている、しかし相手が全然配慮していないようだ、といったことがあるかもしれませんね。

こんな場合、「お付き合い期間中の1つ1つの事柄」「木」「結婚」「森」です。

第三者に、「『木を見て森を見ず』だよ。」と、配慮のないパートナーに世間を教えてあげてもらうのも1つの手ですね。

また、適齢期を逃しかけなのに気付かない女性などがいたら、「『木を見て森を見ず』だよ。」と、より大きな世界を提示し、人生の中の大きな機会を持ってもらうのも良いことかもしれません。

「木を見て森を見ず」の家庭で生かす具体例

子供の成績について、国語はできないけど、理科はできる、という場合に、いったいどちらのレベルに合わせた学習スタイルを選んであげたらいいのでしょうか。

ずっと理科でやっていこう、という楽々専門スタイルを直ちに選んでしまうと、「木を見て森を見ず」です。

社会が総合力「森」レベルを下げてしまうからです。

「理科」という「木」には、理科を学んだ人の良さがありますが、国語にも国語を学んだ人の良さがありますよね。

どれも欠けがないように、いい森を育てたいものです。

icon まとめ

「木を見て森を見ず」をうまく使うことで、人生のリスクを減らせます。

役に立つことわざをどんどん覚えて、人生を深く見通せるようになりたいものですね。