「一念通天」の意味とは?反対語、使い方や例文を紹介!
「一念通天」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
あまり日常的で聞く表現ではないかもしれませんね。
ここではこの「一念通天」という表現について紹介します。
目次
- 「一念通天」の意味とは?
- 「一念通天」の類義語
- 「一念通天」の使い方
- 「一念通天」の例文
- 「一念」を使う諺
「一念通天」の意味とは?
- 「一念通天」の意味
- 「一念通天」を具体的に
「一念通天」の意味
「一念通天」というのは「いちねんつうてん」と読みます。
これは「硬い決心を抱いて一心に取り組めば、その努力は必ず天に聞き届けられ、物事を成し遂げることができる」という意味になります。
物事を成し遂げたいと思う時、それは常に簡単なこととは限りませんよね。
中には「そんなことが実現できるはずがない」と思うような事もあるのではないでしょうか。
しかしどのような事であったとしても、「一生懸命取り組めば必ず実現させることができる」という意味です。
「一念天に通ず」という場合もあります。
「一念通天」を具体的に
「一念は硬い決心」、「通天は天に通じる」という意味を持っています。
これら2つを合わせて「硬い決心を持って臨めばその願いは天に聞き届けられる」という意味になります。
どんな問題があったとしても違う心で臨めば大丈夫という意味ですね。
「一念通天」の類義語
- 「蟻の思いも天に届く」【ありのおもいもてんにとどく】
- 「一念岩をも通す」【いちねんいわをもとおす】
- 「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」【なせばなる、なさねばならぬなにごとも】
- 「精神一到何事か成らざらん」【せいしんいっとうなにごとかならざらん】
- 「点滴石を穿つ」【てんてきいしをうがつ】
「蟻の思いも天に届く」【ありのおもいもてんにとどく】
「蟻の思いも天に届く」というの「は弱いものであったとしても一身に努力して願えば希望を叶えることができる」という意味になります。
地面を這って歩いている蟻のような小さな虫であったとしても、一生懸命努力すればその願いは、天まで達するという意味から来ています。
「蟻の思いも天に昇る」「蟻の吐く息も天に届く」などの言い回しがあります。
確かに蟻は人間に比べるととても小さな生き物ですが、そのような小さな生き物の願いも一生懸命努力することによって叶うという意味になるのです。
「一念岩をも通す」【いちねんいわをもとおす】
「一念岩をも通す」というのは「どんなことでも一途に想いを込めてやれば成就することができる」という意味になります。
物事をする時、岩のように硬く大きな障害があったとしても、必死に取り組むことによって必ずその障害を乗り越えることができる、願いを叶えることができるという意味なのです。
李広が草の中にいた虎と石を見間違え、弓を射たところ、その弓は本来ならば刺さるはずがない石に刺さった、というところから来ている表現です。
これ以外にも中国の書物にも似たような表現が見られます。
思う念力岩をも通す、という言い方をすることもあります。
「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」【なせばなる、なさねばならぬなにごとも】
「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」は「出来そうにないようなことであったとしても、その気になってしっかりと取り組めばやり通すことができる」という意味になります。
どんなことであったとしても、強い意志を持ってやれば必ず成就することができるという意味であり、やる気の大切さを解いた表現でもあります。
この言葉は江戸時代に出来上がったと考えられていますが、武田信玄がこれとよく似た表現を用いた歌を読んでおり、この表現を若干変えた形で江戸時代に広まったのではないかと言われています。
為すは行動をすること、成るはできるということを指しています。
「精神一到何事か成らざらん」【せいしんいっとうなにごとかならざらん】
「精神一到何事か成らざらん」というのは「精神を集中して努力すればどんなことでも成就することができる」、「成し遂げられない事は何もない」という意味になります。
「心に絶対にやってみせると誓った上で物事に当たれば、どんなことでも道が開けてくる」という意味になります。
精神一到は精神統一とは違いますので注意が必要です。
「点滴石を穿つ」【てんてきいしをうがつ】
「点滴石を穿つ」というのは「小さな努力であったとしても根気よく続ければ必ず成果を得ることができる」という意味です。
点滴というのは雨だれのことを指しており、穿つというのは穴を開ける、掘るという意味です。
「雨だれのような小さな水滴であったとしても、同じところに長期間落ち着付ければいつかは硬い岩をも溶かす」という意味になるのです。
「一念通天」の使い方
- 努力している人を励ます
- 挫折しそうになりながら努力する
- 両親を説得する
努力している人を励ます
何かに向けて努力をしている人がいる時、その人を励ます際に「一念通天」ということができます。
例えばその人が何かの試験に向けて努力をしているとしましょう。
しかし試験勉強している間、誰しも不安になりますよね。
もしもその人から「勉強しているけれど不安なんだ」「試験に落ちたらどうしよう」などの話を聞いたとき、「大丈夫、一念通天っていうでしょう?」「一念天に通ず、努力はきっと報われるよ」などと声をかけることができます。
また、「仮に今回うまくいかなかったとしても努力を続ければ次回はきっとうまくいく」という意味を含む場合もあります。
挫折しそうになりながら努力する
スポーツをしていると、誰もがレギュラーになりたいと思って努力を続けますよね。
しかし物事は簡単にはいかない場合もあります。
何度努力を繰り返してもなかなかレギュラーとして認めてもらえず、不潔になってしまうこともあるかもしれません。
しかし、だからといって諦めてしまえば補欠のままです。
悪ければベンチ入りさえできないかもしれないですよね。
そんな時でも「一念通天」、諦めずに努力を続けることにより、いつかはレギュラーになれるかもしれません。
大切な事は信じて続けるということです。
両親を説得する
例えば好きな人と結婚したいと両親に話をしたとしましょう。
たとえそれがどんな相手であったとしても、大事な子供が結婚するというのは嬉しい反面、複雑な気持ちにもなるものです。
また、両親によっては子供の結婚はなかなか認められないということもあるでしょう。
両親がなかなか結婚を許してくれないからといって両親への説得を諦めてしまえば、好きな人と結ばれることができないですよね。
もちろん掛け持ちでもしてしまえば話は別ですが、そうすれば両親との関係は一生崩れてしまいます。
しかし、親にとっては子供が幸せになることが1番大切なのです。
やはり「一念通天」で、一生懸命自分の気持ちを両親に話すことにより、いつかは気持ちを分かってもらえる時が来ますよ。
「一念通天」の例文
- 「一念通天」の例文1
- 「一念通天」の例文2
- 「一念通天」の例文3
「一念通天」の例文1
「一念天に通ず、諦めずに頑張りなさい」
もしも自分の子供が何かに向けて努力をしているとしましょう。
それはあまりにも険しい道で、子供が何度も挫折しようとしていたら、親にしてみると胸が痛くなりますよね。
しかし、だからといって「もういい加減にやめたら」「そんな苦しい事はやめなさい」という事は簡単です。
でも多くの親は子供にいつか成功してほしい、喜びの涙を流してほしい、と思いますよね。
たとえ子供が挫折しそうになっていたとしても、そこは厳しい目で「一念天に通ず、だからがんばれ」と応援してあげたいものです。
「一念通天」の例文2
「あの人本当に成功させたらしいよ、一念通天だね」
誰かが何かに向けて努力をしていたとしましょう。
それはあまりにも無謀な挑戦で、誰が見ても「そんなことができるはずがない」「不可能だろう」と思っていたとします。
しかしもしもその人があきらめることなく挑戦を続け、ついにその夢を叶えてしまったとします。
そうすると周りは驚きますよね。
中には「さすがだね」と思う人もいるでしょう。
そんな時は「やっぱり一念通天って本当なんだね」ということができます。
「一念通天」の例文3
「一念通天で、あの人は難しい偉業を成し遂げた」
世界には様々な偉人がいますよね。
例えばエジソンは子供の時、大人の目からはおかしな子供だったと評価されていたと言われています。
例えば泥団子を2つくっつけ、「1+1=1だろう!」と言っていたなどという逸話も残されています。
そんなエジソンは実にさまざまな実験をしてきましたが、その多くは失敗に終わっています。
何千回と失敗を続け、それでも諦めなかったからこそ、さらにエジソンは「自分は失敗なんてしていない、成功しない方法を見つけただけだ」と前向きだったからこそ、あれだけの発明ができたのです。
1度や2度失敗したからといって諦めてしまえば、物事はうまくはいかないでしょう。
しかしあきらめずに我慢強く続けていくことにより、「一念通天」で成功させることができるのです。
「一念」を使う諺
- 「一念発起」【いちねんほっき】
- 「一念万年」【いちねんばんねん】
- 「一念三千」【いちねんさんぜん】
- 「一念往生」【いちねんおうじょう】
「一念発起」【いちねんほっき】
一念発起というのは、何かを成し遂げる決意を固めることを指しています。
この言葉はもともとは仏教用語で、「一念は悟りを得ようと心に決めることを指し、発起は仏道に入った上で悟りを開くことを心に決める」という意味を指しているのです。
漢検4級の言葉になります。
「一念万年」【いちねんばんねん】
一念万年は「いちねんばんねん」と読みます。
時が経過するという感覚は個人の感覚で変化するという意味であり、一念はほんの少しの時間をさしています。
これ自体は禅宗の言葉で、「一瞬心が動くとその動きには一万年の月日が含まれている」という意味を指しているのです。
「一念三千」【いちねんさんぜん】
一念三千とは、「日常における一瞬の想いの家にも、全宇宙の全事象が備わっている」という意味になります。
これは天台宗の教えの1つです。
天台宗における独特の宇宙観であり、自分の心の中に存在している仏教の世界観を表しているとされています。
「一念往生」【いちねんおうじょう】
一念往生は「一度念仏を唱えるだけで極楽浄土に行くことができる」という意味を指します。
ここにおける一念は阿弥陀仏を1回唱えることを指しており、往生は死んだ後、極楽浄土で生まれ変わることを指しています。
いかがでしょうか。
「一念通天」より一念天に通ず、という言い方のほうがわかりやすいと思う人もいるかもしれませんね。
どちらも同じ意味になりますので使い方を心配する必要はありません。
何事でもちょっとうまくいかないからといって諦めてしまえばどうすることもできませんが、根気よく続けることにより、いつかはそれを成就させることができるでしょう。
誰が見ても絶対無理と思うようなことであったとしても、繰り返して努力することにより、いつかは実現させることができるのです。
今もし何か頑張っていることがあったら、ぜひ諦めないで続けていきましょう。
何かに向けて努力しながら挫折しそうな人がいたら、ぜひこの諺を使って励ましてあげられると良いですね。