「愛などいらぬ!」とは?意味など北斗の拳の名言を徹底解説
「愛などいらぬ!」というセリフは、漫画「北斗の拳」に登場する聖帝サウザーが語った名言です。
「愛などいらぬ!」の「意味・読み方・概要・北斗の拳イチゴ味の意味」について、詳しく説明していきます。
目次
- 「愛などいらぬ!」とは?
- 「愛などいらぬ!」の概要
- 「北斗の拳イチゴ味」とは?
「愛などいらぬ!」とは?
「愛などいらぬ!」という台詞(セリフ)は、漫画・アニメ「北斗の拳」に登場する南斗鳳凰拳(なんとほうおうけん)の伝承者で「聖帝」と呼ばれたサウザーの言葉です。
「愛などいらぬ!」は、「苦しむ(悲しむ)くらいなら、愛なんて初めから要らない」ということを意味しています。
聖帝サウザーは誰よりも愛深きゆえに愛を拒絶した暴君・独裁者であり、青年期に師匠のオウガイを自分で殺害した宿命・トラウマによって「愛」そのものを絶対的に拒絶するようになってしまいました。
サウザーは自分の内面にある愛や優しさ、憐れみの感情を否定するかのように、「愛などいらぬ!」と宣言しながら残酷な殺戮や支配、圧政を繰り返しているのです。
- 「愛などいらぬ!」の読み方
「愛などいらぬ!」の読み方
「愛などいらぬ!」の読み方は、「あいなどいらぬ」になります。
「愛などいらぬ!」の概要
「愛などいらぬ!」の言葉は、身寄りのない孤児だったサウザーが、南斗鳳凰拳伝承者のオウガイに拾われて、愛情を注がれながらも拳法の弟子として厳しく育てられたことに由来しています。
拳法の素質と才能に恵まれていたサウザーは、オウガイが課してくる厳しい修行の課題を次々にクリアしていきますが、サウザーが15歳になった時に目隠しをされて「継承の儀」を受けることになります。
その最後の修行で、父のような存在だった師オウガイを南斗鳳凰拳で殺害してしまったサウザーが、「こんなに苦しいのなら…悲しいのなら……愛などいらぬ!!」と涙を流しながら絶叫したことが語源のエピソードになっています。
「北斗の拳イチゴ味」とは?
「北斗の拳イチゴ味」(原案は武論尊・原哲夫、作画は行徒妹)とは、原作「北斗の拳」に登場する「聖帝」を僭称するサウザーを主役にしたパロディギャグ漫画のことです。
北斗神拳の継承者であるケンシロウが活躍する「北斗の拳」は、拳法家同士の因縁・決闘や世紀末の争いを題材にしたシリアスな漫画ですが、「北斗の拳イチゴ味」はサウザーやケンシロウ、ラオウなどお馴染みのキャラがギャグを連発する全く違うテイストの漫画になっています。
「北斗の拳イチゴ味」は、Yahoo!ブックストア内「WEBコミックぜにょん」で、2013年3月1日から連載が続いています。
「愛などいらぬ!」という言葉について解説しましたが、「愛などいらぬ!」は漫画・アニメ「北斗の拳」に登場する聖帝サウザーが語った名言で、「苦しむ(悲しむ)くらいなら、愛なんて初めから要らない」を意味しています。
「愛などいらぬ!」という言葉について詳しく調べたい時は、この記事を参考にしてみて下さい。