「血となり肉となる」とは?意味や類語!例文や表現の使い方
「血となり肉となる」という表現を知っているでしょうか。
学問をする上で聞いたことがあるという人もいるかもしれませんね。
ここでは「血となり肉となる」という言い回しについて紹介していきます。
目次
- 「血となり肉となる」とは?慣用句での意味
- 「血となり肉となる」の食べ物での意味
- 「血となり肉となる」の表現の使い方と注意点
- 「血となり肉となる」を使った例文と意味を解釈
- 「血となり肉となる」の類語や類義語・言い換え
「血となり肉となる」とは?慣用句での意味
「血となり肉となる」というのは食べたものがよく吸収されて栄養になるという意味もありますが、慣用句としては学んだ知識や経験などがしっかりと身に付き、将来の活動に役立つという意味があります。
知識や経験を身に付けることにより、それは今後の言動を左右する活力源となりますよね。
しっかりと勉強していれば教養を身に付けることが可能となり、それが社会の役に立つために必要な力となるのです。
確かに勉強は大変ですし、辞めたいと思うこともあるかもしれません。
勉強が何の役に立つのかと思うこともあるでしょう。
しかしあらゆる経験が今後の役に立つのです。
勉強だけではなく、実際に行ったり見たり食べたりし、経験したことも役に立ちます。
そしてそれらが将来の活動に役立つようになるのです。
これを「血となり肉となる」と表します。
- 「血となり肉となる」の読み方
「血となり肉となる」の読み方
「血となり肉となる」という表現は「ちとなりにくとなる」と読みます。
特に難しい表現ではありませんから、わかりやすいのではないでしょうか。
「血となり肉となる」の食べ物での意味
「血となり肉となる」という表現は慣用句としても使えますが、食べたものが栄養となるという意味でも使われます。
食べ物は体の中に入り、人間の健康を構築する上で必要な成分になりますよね。
体内に入って消化吸収され、栄養となるのです。
例えば健康な骨を維持するためにはカルシウムが必要ですし、美肌を維持したいと思うのであればビタミンCが必要です。
このように、食べたものが確かに栄養になるということを「血となり肉となる」と表現するのです。
「血となり肉となる」の表現の使い方と注意点
血となり肉となる、という表現は食べ物の意味でも使われますし、勉強や経験が役に立つという意味でも使われます。
特に誰かが受験勉強などで大変な思いをしているときに「今の苦労は血となり肉となるから頑張って」のように表現できます。
苦労は報われる、という意味として使われるのです。
「血となり肉となる」を使った例文と意味を解釈
ここでは例文を紹介します。
- 「血となり肉となる」を使った例文1
- 「血となり肉となる」を使った例文2
「血となり肉となる」を使った例文1
「今の苦労は必ず血となり肉となるんだから、苦労は買ってでもした方が良い」
苦労は買ってでもしろ、という表現がありますよね。
若い時はいくらでも苦労をした方が良いという考え方があります。
若い時の苦労は必ず自分を鍛えてくれますし、それは成長につながっていきます。
言い換えれば、苦労を経験することなく楽な生活をしてしまうと、それだけで将来の役には立たないのです。
確かに苦労は極力したくないですよね。
しかしそのような苦難をどのように乗り越えたか、ということが今後の成長につながっていきます。
「血となり肉となる」を使った例文2
「食べ物が血となり肉となるんだから、ピーマンも残さずに食べなさい」
ピーマンなどを嫌う子供は珍しくないですよね。
しかし、子供にはあらゆるものを食べてほしいと思う親も多いのではないでしょうか。
そんな時、どれだけ嫌いなものであったとしても食べ物には栄養があるから、あらゆる食べ物は「血となり肉となる」から、全部食べなさい、残さず食べなさい、という人もいるかもしれません。
子供が食べたがらないものは、あらゆる工夫をして美味しく食べさせてあげたいですね。
「血となり肉となる」の類語や類義語・言い換え
ここでは類義語を紹介します。
- 「艱難汝を玉にす」【かんなんなんじをたまにす】
- 「糧となる」【かてとなる】
「艱難汝を玉にす」【かんなんなんじをたまにす】
艱難汝を玉にす、とは、人は苦労や困難を乗り越えることによって初めて人間として立派に成長できる、という意味になります。
これは西洋の諺から来た表現であり、地面の中から掘り出された粗い玉は、磨かれることによって美しい玉になるという表現からこのことわざができました。
艱難というのは困難にあって苦しみ悩む、という意味があります。
困難汝を玉にす、ではありません。
「糧となる」【かてとなる】
となる、という表現は役に立つものになる、足しになる、資源になる、という意味です。
どれだけ辛い体験であったとしても、そのトラブルを乗り越えた力、そしてそのトラブルを乗り越えるために考えたことなどは全て将来の役に立ちます。
「血となり肉となる」という表現は誰かに苦手なものを食べさせたり、苦労を乗り越えようと努力している人たちに対して使うことが可能です。
自分自身も、今の苦労は将来の役に立つと信じ、努力を重ねていきたいものです。