「通天閣の日」とは?意味や7月3日になった理由・命名者についても詳しく解説!
日本には色々な記念日があるのはご存知の通りで、この「通天閣の日」もその中の1つとなっています。
目次
- 「通天閣の日」とは
- 「通天閣」の名前の由来
- 「通天閣」の概要
- 「藤沢南岳」とは?
「通天閣の日」とは
「通天閣の日」は、毎年7月3日の記念日です。
通天閣とは、大阪ではお馴染みの展望タワーで、完成が1912年7月3日だったことから、この日が「通天閣の日」となりました。
しかし、祝日となっている訳でもなく、日本記念日協会が認定している記念日でもない為、一部でそのように呼ばれているだけというのが実情で、「記念日」という呼び方をしていいのか微妙なところでもあります。
その一部とは、もちろん通天閣が立てられている大阪を中心とした関西地方です。
「通天閣」の名前の由来
通天閣は、「天に通じるほど高い建物」という意味で、儒学者の藤沢南岳氏によってそのように命名されました。
完成当時は日本一の高さの建物だっただけでなく、東洋一だとも言われていたほどで(これについては、確かなことは分かっていません)、この通天閣の108メートルという高さは、今になって聞くと、それほどでもないと思われてしまうそうですが、当時としては驚きの高さだったことが分かります。
「通天閣」の概要
この大阪の通天閣は、東京の「東京タワー」と比較されることが多いですが、そちらとは違って電波塔という訳ではなく、単なる展望タワーです。
大阪のシンボルと言われて久しいながら、何かの必要があって立てられた建物ではありません。
また、初代の通天閣は1943年に火事に遭ってしまい、その頃はちょうど戦時中で物資不足だったことから再建は難しいとされ、逆に戦闘機など材料に使う為に完全に解体されてしまいました。
現在の通天閣は、1956年に再建された2代目で、その通天閣が立てられている新世界(大阪市浪速区の繁華街です)の戦後の復興のシンボルとなりました。
「藤沢南岳」とは?
藤沢南岳(ふじさわなんがく)氏は、明治時代初期に活動していた儒学者です。
幕末には高松藩に仕えており、左幕派だった同藩を一夜で朝廷派へと説き伏せたと言われているほどの論客だったことでも知られています。
通天閣の他に、香川県の「寒霞渓」という渓谷の命名者でもあり、大阪のいくつかの小学校も同氏によって命名されています。
その他に、神戸の一部の小学校の命名も行っています。
尚、この「藤沢南岳」という名前は儒学者としての名前であり、本名は「藤沢恒」です。
著書にはその両方を付けた「南岳藤沢恒」と記されていることも多いです。
通天閣の日は、どこかに定めがある記念日ではありませんが、大阪ではこの日を祝ったイベントが開催されるなど、地域限定の記念日の1つだと表現していいでしょう。
ちなみに、12月23日は「東京タワー完工の日」(東京タワーの完工式が行われた日です)とされていますが、こちらも日本記念日協会による認定などはない、東京ローカルの記念日となっています。