「耳朶」とは?意味と使い方!類語や英語を紹介!
「耳朶」という言葉を見て、どのくらいの人が読めるでしょうか?
また、この言葉は、どんな意味があるのかも分からない人が多いのではないかと思います。
読み方さえ知れば「何だ、そうか」と思うくらいに身近な言葉なので、ここではこの「耳朶」に注目して行きたいと思います。
目次
- 「耳朶」の意味とは?
- 「耳朶」の読み方
- 「耳朶」を使った言葉や意味を解釈
- 「耳朶」使った例文と意味を解釈
- 「耳朶」の言葉の言い換え
- 「耳朶」の英語・例文など解釈
「耳朶」の意味とは?
「耳朶」とは、「耳の下部に垂れ下がった肉の柔らかい部分」のことで「耳たぶ」やシンプルに「耳」のことを指している場合があります。
「彼は不安になると、耳朶に触れる癖があるんだ」というような形で使われます。
また、「耳朶」が厚いことが福相という見方があることから、「福運があること」という意味合いも含まれることがあります。
「耳朶」の読み方
「耳朶」は「みみたぶ」という読み方の他に「じだ」と読むこともできます。
何れの発音でも、「耳朶」という漢字そのものに触れる機会が少ないために、読み方については、ここで忘れないようにしっかりと覚えておきましょう。
「耳朶」を使った言葉や意味を解釈
では、「耳朶」を使った言葉の意味については、少し触れていくことにします。
- 「耳朶を打つ」
- 「耳朶に残る」
「耳朶を打つ」
「耳朶を打つ」とは、「ある音が強く聞こえる」や「耳打ちをする」もいう意味があります。
ここでの「耳打ち」とは、「相手の耳の傍に口を寄せて、こっそりと話すこと」を指しています。
「昨晩から激しく降っている雨が、私の耳朶を打つのです」といったような使い方ができます。
「耳朶に残る」
「耳朶に残る」とは、「声や音が忘れられなくなる」という意味で「耳に残る」という言い方もあります。
私達の生活の中には、色々な音が飛び交っていますが、うるさく感じる音があれば、心が洗われるような響きの良い音もあります。
そのような音が繰り返し鳴ることで、「耳朶に残る」という表現が使えるのかもしれません。
「耳朶」使った例文と意味を解釈
ここからは、「耳朶」を使った例文を見ていくことにしましょう。
- 「耳朶」使った例文1
- 「耳朶」使った例文2
「耳朶」使った例文1
「私の彼の耳朶は、まれに見る大きな耳朶で誰もが驚いています」
人によって耳の形は様々ですが、中には大きな「耳朶」持っている人も多くいます。
本人は外見的にすごく気にして、そんな自分が嫌いになっているのかもしれませんが、彼女などは、「福耳」として喜んでいるかもしれません。
「耳朶」使った例文2
「耳朶の形が、大黒様のように大きくて幸運を招くような形をしていると、将来お金がたくさんできると信じられています」
このような形の良い「耳朶」を持っている人は、金運に恵まれると言われています。
自分の周りにこのような人がいたなら、その恩恵にあやかりたいと思うことでしょう。
福よかな「耳朶」とは逆に、小さいか、もしくはほとんど「耳朶」がない人は、お金との縁が薄いと言われています。
ただし、たとえ一文無しになったとしても、お金が全てどはなく、強くたくましく生き伸びるしたたかさがあるのです。
万が一、急に仕事を首になったり、住む家を失うことになったとしても、不思議なことに何かと幸運が訪れると信じられています。
「耳朶」の言葉の言い換え
「耳朶」という言葉を他の言葉で言い換えるなら、どのような類義語があるでしょうか?
- 「福耳」
- 「耳殻」
「福耳」
縁起を担ぐ意味で「耳朶」のことを使うなら、やはり類義語としては、「福耳」が筆頭に挙げられるでしょう。
「福耳」は「福相の耳朶」で大きな形の耳をしています。
このような大きな「耳朶」を持っている人は、一生お金に困ることがないと言われています。
俗に言う「福耳」というものですが、この「耳朶」が縦に長い形をしていると、それだけ大金持ちになれるというのです、
このように「福耳」タイプの人は、どんな仕事に就いたとして、大きな成功を手にしてお金をたくさん稼ぐことができるとされています。
「耳殻」
「耳朶」の類義語としては、「耳殻」という言葉があります。
これは、耳の最外部に当たり、軟骨とそれを覆っている皮膚から構成されており、音を1つに集める集音器の役目を果たしています。
この「耳殻」は生き物の中でも、哺乳類だけが持っており、人間は貝殻の形をしています。
これは、「福耳」のような意味合いでの「耳朶」として使われることがなく、単なる専門的な用語になるでしょう。
「耳朶」の英語・例文など解釈
「耳朶」は、“earlobe”や“the lobe of the ear”という言葉で訳すことができます。
「耳朶」が細長い形をしていると、お金持ちになりやすい一方で、お金そのものに無頓着だとされているようです。
お金がなくても、自分の好きなことに熱中して打ち込むような趣味が楽しめればいいと思っているのでしょう。
自分の好きな生活ができて、その人生に納得することができればいいということなのかもしれません。
「耳朶」だけで、人の運勢が決まるとは言いがたいのですが、それでもこの言葉にまつわる話題は事欠かすことはないようですね。