「賽の河原」の意味・類語・対義語【使い方や例文】
世の中は非常に残酷な時もあり、必死の努力が報われないことも少なくありません。
そのような時に「賽の河原」という言葉が浮かんできます。
この言葉は普段の会話やビジネスのシーンの中で使われることは、今ではめっきり少なくなった感じがありますが、この言葉の意味を知ると、日本語には、実に多彩なジャンルの言葉があるかが分かってくると思います。
目次
- 「賽の河原」の意味とは?
- 「賽の河原」の語源や由来
- 「賽の河原」の言葉の使い方
- 「賽の河原」を使った例文・短文(解釈)
- 「賽の河原」の英語と解釈
- 「賽の河原」の類語や類義語
「賽の河原」の意味とは?
「賽の河原」とは「冥土の三途の河原のこと」を指しており、死んだ子供が集まる場所とも言われています。
「賽の河原」では、父母供養のために亡くなった子供達が石を積んで塔を作るのですが、鬼がそれを壊してしまい、地蔵菩薩に救われて、再び石を積むという繰り返しが永遠に続くことから、「いくら続けても、後から後から崩れされる、無駄な努力」の例えとして使われています。
- 「賽の河原」の読み方
「賽の河原」の読み方
「賽の河原」は「さいのかわら」という読み方になります。
「賽の河原」の語源や由来
「賽の河原」は、親よりも早く亡くなった子供達が行く場所と言われていますが、「三途の川」という呼ばれる現世とあの世の世界の境を流れる川のほとりのことです。
「賽の河原」では、親より先に死んでしまった子供が昇天できないことから、ここに集まってくるのですが、親孝行もできなかったことから、そのお詫びと悲しみで、石を積んで塔を組み立てることで、あの世に行けるとされています。
しかし、その塔が完成する前に鬼が来て、その塔を壊してしまうことから、永遠に完成することがありません。
そのことから、「無駄な努力」という意味になっていったわけですが、とても残酷であると同時に切ない語源でもあります。
「賽の河原」の言葉の使い方
「賽の河原」を現代のコミュニケーションの中で使うことはあまりないのかもしれませんが、「無駄な努力」という解釈を見ると、身近な場面で使われることがあるかもしれません。
「賽の河原」を使った例文・短文(解釈)
では、ここで「賽の河原」を使った例文を見ていくことで、どのような場面で使わそうかイメージを膨らませてみてください。
自分の身近な生活シーンの中でも使えそうなことがあるかもしれません。
- 「賽の河原」の例文1
- 「賽の河原」の例文2
- 「賽の河原」の例文3
「賽の河原」の例文1
「災害の起こった土地に足を踏み入れると、そこには名前が書かれた無数の石が賽の河原のように積み上げられているのが見えた」
このようなことも中にはあるかもしれません。
地震や台風で大きな災害を被った地域では、尊い命がたくさんなくなっていますが、その亡くなった方々の慰霊の思いで、名前が刻まれた石が積み上げられている場所があったのかもしれません。
その場所は、まさに「賽の河原」のような場所に見えたことでしょう。
このような光景は、被災地だけでなく、戦争で多くの人達が亡くなった場所も似ているかもしれません。
ここでは、大きな苦しみと悲しみが残っているのだと思います。
「賽の河原」の例文2
「あの賽の河原のような殺風景なところに、粗末な小屋付きの湯治場があるのです」
殺風景という言葉に「賽の河原」という言葉が加わることで、本当に何もない静かで寂しい場所であることを連想しないでしょうか?
しかし、その場所には屋根の付いた湯治場があったりと、寂しいながらも、何となく冷たい環境の中にも、1点だけの温かい光があるのような印象を受けます。
荒涼とした場所の中にあるオアシスのようなイメージもありますが、もしかすると、この表現は具体的な物質世界のことだけではなく、現代社会の心の現象世界をも映し出していることもあるかもしれませんね。
「賽の河原」の例文3
「君のアイデアはとても画期的だと思うが、あの頑固な上司では賽の河原の石積みに過ぎないと思う」
このように「賽の河原」をビジネスで使うとするなら、このような例文になることでしょう。
ここでは、非常に斬新なアイデアの企画を考えても、その内容を理解することができない頭の固い上司のせいで、全く採用される見込みがないということを言っています。
確かに、このようにフレキシブルに対応できることができない無能な上司だと、せっかくの仕事を無駄になってしまうことがあります。
「賽の河原」の英語と解釈
「賽の河原」を英語で訳すと、“Children's Limbo”という表現になりますが、「賽の河原の石積み」となると「無駄な努力」という解釈から、“A lot of trouble for nothing”=「無価値な苦労」という英訳を通じることでしょう。
「賽の河原」の類語や類義語
では、「賽の河原」の類語も見て行きましょう。
- 「骨折り損」【ほねおりぞん】
- 「無駄なあがき」【むだなあがき】
- 「徒労」【とろう】
「骨折り損」【ほねおりぞん】
類義語の1つに「骨折り損」という言葉がありますが、「苦心して力を尽くしたのに無駄になること」という意味になります。
「骨折り損のくたびれ儲け」という表現がありますが、ここでの「骨折り」は骨折ではなく、大きな苦労をすることを言っており、「大変な苦労の結果の報酬として得たのは疲労感だけ」という割に合わない奴隷労働のような状況を指しています。
「無駄なあがき」【むだなあがき】
「無駄なあがき」の「あがき」は、漢字で「足掻き」と書きますが、「足で必死に水をかいている様子」を表しています。
あがいている人は溺れているので、足をばたつかせ、こちらに向かって助けを請いている状態です。
しかし、それでも何の効果もないようなことをここでは言っています。
「徒労」【とろう】
「徒労」は、「骨を折って一生懸命働いても結局役に立たないさま」のことで、骨折り損」という意味になり、「無意味な苦労や心労や何をしても結果的に価値のないこと」を指しています。
「徒労に終わる」という表現もあるのですが、「徒労に終わる」は「頑張ったが無駄に終わった」、「努力の成果が無意味に終わった」ということを意味しています。
「地蔵和讃」という物語の中では、地蔵菩薩信仰という信仰の中で三途の川の河原で鬼に苦しめられる子供を地蔵菩薩が救う話から、死んだ幼子が親を思いながら河原で石を積み塔を建てているうちに、鬼が崩してしまい永遠に積んでは崩されるという話になっています。
とても悲しい物語からきた「賽の河原」ですが、このようなことを由来とする言葉が他にたくさんあるので、これを機に言葉の知識を深めてもらいたいと思います。