「生き馬の目を抜く」の意味・読み方・英語【使い方や例文】
生き馬の目を抜くとは、何とも恐ろしい恐ろしい表現、それだけの事態だということを的確に伝えることができる慣用句です。
目次
- 「生き馬の目を抜く」の意味とは?
- 「生き馬の目を抜く」の語源や由来
- 「生き馬の目を抜く」の使い方
- 「生き馬の目を抜く」を使った例文と解釈
- 「生き馬の目を抜く」を英語にすると?
- 「生き馬の目を抜く」の類義語や置き換えられる表現
「生き馬の目を抜く」の意味とは?
生き馬の目を抜くは、「とても素早い様子」や「油断できない様子」を表す慣用句として使います。
「生き馬の目を抜くほど情報が錯綜している」と言えば、それだけ次々と新しい情報が出回っている、どの情報が本当なのか分からないので注意しなくてはいけないという意味になります。
総合して、「急いで行動しなければいけない(その注意や必要がある)」という意味だと解釈していいでしょう。
そのような意味であれば、多少アバウトに使っても構いません。
- 「生き馬の目を抜く」の読み方
「生き馬の目を抜く」の読み方
「生き馬の目を抜く」は、「いきうまのめをぬく」と読みます。
見たままを読めば、間違うことはないでしょう。
間違えるとすれば、「いきばのめをぬく」くらいだと思いますが、それでは日本語としておかしくなってしまうので、わざとでもない限り、そのように読むことはないでしょう。
「生き馬の目を抜く」の語源や由来
「生き馬の目を抜く」という慣用句のポイントは、後半部分の「目を抜く」です。
この「目を抜く」とは、目玉を射抜くことを表現しており、「とても困難ながら、それができてしまうほど」という意味になります。
そこから転じて、とても素早い様子、更にそれをこなしてしまう相手への注意を表しています。
頭の「生き馬」が付くことで、「(動きの速い)生きている馬のそれができるほど」となり、「目を抜く」の解釈に拍車を掛けています。
「生き馬の目を抜く」の使い方
生き馬の目を抜くという表現は、どうしても慌ててしまうようなシチュエーションで使われることが多いです。
意味の通り、素早く行動を起こさないといけないことを伝える為に使われます。
一定の期間に対して使うこともあり、その場合は該当の期間中には「素早い行動が必要」、「普段より注意が必要」だと解釈してください。
「生き馬の目を抜く」を使った例文と解釈
生き馬の目を抜くを色々な形で使っている例文を挙げていきます。
意外と使える幅が酷い慣用句だということが分かると思います。
- 「デパートの年始のセールに行ってみたが、生き馬の目を抜くような光景だった」
- 「ITの世界における技術の進歩の早さは、生き馬の目を抜くほどだ」
- 「これから年末までの期間の忙しさは、生き馬の目を抜くくらいだと思っておいて欲しい」
「デパートの年始のセールに行ってみたが、生き馬の目を抜くような光景だった」
デパートなど大型の販売店の特別なセールとなると、この表現がとても合うと言える様子が目に浮かびます。
言葉の意味の通り、注意をしながら素早く行動しなければいけない状態だったということです。
この例文では、「混雑していた」という意味も含んでいると考えることができます。
「生き馬の目を抜く」という表現にそのような意味はありませんが、この手の使い方の場合、状況に応じてそのように拡大解釈しても構いません。
「ITの世界における技術の進歩の早さは、生き馬の目を抜くほどだ」
同じパソコン同士でも、3年も前のものとは性能が倍近く違っていたり、携帯電話がすっかりスマホに代わり、ノートPCもタブレットに置き換わろうとしているように、ITの世界の進歩の早さは凄まじいものがあります。
それを表現する為に、この「生き馬の目を抜く」という表現を使うのは、とても適当だと言えるでしょう。
「これから年末までの期間の忙しさは、生き馬の目を抜くくらいだと思っておいて欲しい」
忙しさに対して、「生き馬の目を抜く」という言葉でそれを強調している例です。
このような使い方もよく見掛けます。
これらの「〜ような」、「〜ほど」、「〜くらい」という形は、全て実際に使われているいい例です。
「生き馬の目を抜く」を英語にすると?
「生き馬の目を抜く」には、ちょうどそれを意味する英語表現があります。
“water sleeps, the enemy wakes”がそれで、直訳は「水は眠っても、敵は眠らない」となります。
例えそれだけ(起こることがないくらいの)ことがあったとしても、注意だけは怠ってはいけないという例えで、その状態こそ「生き馬の目を抜く」と同様の意味になります。
このようなちょうど合う表現があるということは、英語圏でも「生き馬の目を抜く」という注意喚起とも言える表現がよく使われるからでしょう。
「生き馬の目を抜く」の類義語や置き換えられる表現
「生き馬の目を抜く」を別の言葉で置き換えてみますが、同様の意味がある言葉はそう多くなく、よく似た表現も含まれています。
- 「生き牛の目を抉る」【いきうしのめをくじる】
- 「疾風迅雷」【しっぷうじんらい】
- 「抜き差しならない」【ぬきさしならない】
「生き牛の目を抉る」【いきうしのめをくじる】
「生き馬の目を抜く」の言い換えとも言われる表現です。
「馬」が「牛」となり、「抜く」が「抉る」となっただけです。
尚、「抉る」は通常は「えぐる」と読みますが、この慣用句では「くじる」と使っています。
意味は全く一緒だと考えていいので、この読み方にだけ気を付けてください。
「いきうしのめをえぐる」と平気で使っている人も見ますが、完全な読み間違いです。
尚、馬より牛の方が動きが遅そうなイメージがあるので、馬の目を射抜く行為より簡単そうに思えてしまいますが、牛も本気になれば時速40キロ程度で走ることができます。
その為、語源としての意味もそう変わるものではありません。
「疾風迅雷」【しっぷうじんらい】
風のように素早く、雷のように激しい様子を表現する四字熟語です。
そのような状況だということを表現する言葉で、「生き馬の目を抜く」と同様に用いることができます。
「〜のようだ」と使うことが多く、使い方も「生き馬の目を抜く」と同様です。
また、「とにかく激しい」という様子を表現する時にもよく使われます。
「抜き差しならない」【ぬきさしならない】
この「抜き差し」とは武士の刀のことで、それを抜くどころか、腰に差している暇さえないという状態が語源です。
「何も(余計なことを)している暇もない」という意味で使い、「生き馬の目を抜く」の意味する「素早い対応が必要」だという意味に相当します。
「抜き差しならない状況だ」という使われ方をよく見掛けます。
生き馬の目を抜くは、それだけの状況を表すにはとても適している言葉です。
昔からある表現なので、特に年配の人はそういった状況に対してこの言葉を使うことが多いかも知れません。