「弁解の余地」の意味とは?類語、使い方や例文を紹介!
人は自分に非があることを認めたくないとき、「いいわけ」をいうことが多々あります。
この「いいわけ」をすることが認められる場合や、「いいわけ」をする心の余裕のことを、「弁解の余地」ということばで表すことがあります。
ここでは「弁解の余地」について説明していきますので、「弁解の余地」ってどんなことばだっけ、という方は、ぜひこの機会に見ておきましょう。
目次
- 「弁解の余地」の意味とは?
- 「弁解の余地」の使い方
- 「弁解の余地はない」の類語や言い換え・似たことば
- 「弁解の余地」を使った例文
- 「弁明」との違い
- 「釈明」との違い
- ビジネスシーンにおける「弁解の余地」
「弁解の余地」の意味とは?
「弁解の余地」は、いいわけや言い逃れ、自己弁護を差し挟むだけの余裕があることを表します。
以下で、「弁解」と「余地」に分けて、それぞれ説明していきます。
二つ以上の要素で成り立っていることばは、まずばらばらに分解してみると、意味が立ち上がってくる、ということが多くあります。
- 「弁解」
- 「余地」
- 「弁解の余地」の読み方
「弁解」
いいわけをする、という意味のことばです。
ミスや非があったとしても、自分を正当化するために話す、というニュアンスを含みます。
「弁」には、「ベン」「わきま-える」「わ-ける」「はなびら」「と-く」「かた-る」「かんむり」などの読みがあり、ここでは、話す、語る、解き明かす、というような意味で使われています。
「解」には、「カイ」「ゲ」「と-く」「ほど-く」「ほぐ-れる」「ほつ-れる」「さと-る」「わか-る」などの読みがあり、ここでは解き明かす、と意味で使われているでしょう。
「余地」
余っている土地、という意味で、物理的にも、抽象的にも使われています。
抽象的な場合では、物事を行うためのゆとりや余裕、という意味をも含みます。
「余」は、「ヨ」「あま-る」「あま-す」「ほか」「われ」などの読みがあり、ここではあまりや残りのことから転じて、余裕、ゆとりを意味しています。
「地」は「チ」「ジ」「つち」「ところ」といった読みがあり、物理的、抽象的な意味での土地を表しています。
「弁解の余地」の読み方
「弁解の余地」は「べんかい(の)よち」と読みます。
後述しますが、似たことばに「弁明」というものがあり、こちらは「べんめい」と読みます。
「弁解」は、「べんかい」です。
どちらのことばもよく使われるものですので、書いてあるものを口に出して読みあげる場合には、読み間違えないように気をつけましょう。
「弁解の余地」の使い方
「弁解の余地」は、「弁解の余地がある」または、「弁解の余地はない」の形でよく使われています。
「弁解の余地がある」という場合には、主観的に、自分にはまだいいわけをするゆとりが与えられている、と思っているものが多いのに対し、「弁解の余地はない」の場合には、主客関係なく、ゆとりが与えられないという状況を示すことが多いでしょう。
「弁解の余地はない」の類語や言い換え・似たことば
より多岐に使われる「弁解の余地はない」の類語表現をおさえておきましょう。
実際に口に出していう場合よりも、心のなかで思うことや、メールなど文書のなかで使う場合、または文章表現のなかで使われていることのほうが多いでしょうが、知っておいて損はありません。
- 「言い逃れできない」【いいのがれできない】
- 「八方塞がり」【はっぽうふさがり】
- 「針の筵」【はりのむしろ】
「言い逃れできない」【いいのがれできない】
これがもっとも砕けたいいかたになるかと思います。
弁解に窮する、などということもできるでしょう。
「これほど肩をいからせた妻の前でいまさら言い逃れできない」のように使われます。
「弁解」というと、すこし堅苦しいイメージがありますが、いいわけや言い逃れということばで表すと、普段遣いできるようなことばになります。
「八方塞がり」【はっぽうふさがり】
陰陽道で、どの方角へ向かっても凶方になることから、すべての手段を塞がれ、どうにもならないことを意味します。
「脱出をはかったが、鍵が開かないことには八方塞がりだ」
「弁解の余地がない」というのは、すべての手段を塞がれている場合を意味していますので、似たことばといえるでしょう。
「針の筵」【はりのむしろ】
針を植えた筵、という意味から転じて、つらい境遇にあることや、周囲からの冷遇、または自責の念に苦しんでいることを表します。
このような場合には、「弁解の余地はない」ので、似たことばといえるでしょう。
「門限を破ったのは悪かったが、ひとつも話を聞いてくれず、家族がごはんを食べているあいだも廊下に立たされ、針の筵にでも座らされたような気分だった」
「弁解の余地」を使った例文
それでは、「弁解の余地」を例文とともに見ていきましょう。
「弁解の余地がある」場合の例文と、「弁解の余地はない」場合の例文と、どちらも挙げておきますので、それぞれがどのように使われているか、たしかめながら見てみてください。
- 「弁解の余地」の例文1
- 「弁解の余地」の例文2
- 「弁解の余地」の例文3
「弁解の余地」の例文1
「怒られることは想定済みなのか、とぼとぼとやってきたので、すこしかわいそうになり、弁解の余地くらいは与えてやろうと思った」
この例文では、相手は「弁解の余地はない」と思っているが、話し手は「弁解の余地」を与えるつもりである、ということを書いています。
「弁解の余地」があるかないかは、「弁解」されるがわ次第というところが多分にあります。
「弁解の余地」の例文2
「このたびの失態に関しましては、弁解の余地もございません」
怒っている相手に対して誠意を見せるには、いいわけをしません、という誠実な態度を見せることがまず重要です。
その際に、「弁解の余地もありません」「弁解の余地もございません」ということばで気持ちを表すことができるかどうかは、社会人として最低限必要なマナーの一つといえるかもしれませんね。
「弁解の余地」の例文3
「ガラスを割ってしまったのはたしかに僕だが、弁解の余地もないというのはあまりに非情だ」
話を聞いてもらえれば、自分だけが悪いのではないこと、故意ではなかったことなど、「弁解」できるかもしれませんが、「弁解の余地がない」状態では、それもかないません。
頭ごなしに叱りつけるのは、どちらにも不利益なのではないか、と冷静になれば考えられることでも、つい感情的になるということは、だれしも経験があるでしょう。
「弁明」との違い
「弁明」には、物事の是非を明らかにすること、それを相手に理解してもらうこと、という意味のほか、説明を加えて明確にすること、という意味があります。
「弁解」にはいいわけ、言い逃れという意味を含みますが、「弁明」では、事実を話すことで誤解を解く、という意味になります。
「遊園地へ行けないのは仕事が入ったからであって、行きたくないからではない、といくら弁明しても、子どもにはわかってもらえない」
「釈明」との違い
「釈明」は、誤解や非難を解くために、淡々と客観的事実を述べることをいいます。
こちらも「弁解」と違い、言い逃れをするという意味でなく、事実を話すことで、誤解を解く、という意味あいになります。
「釈明会見などとは名ばかりで、あやふやなことばかりいう芸能人にほとほと呆れてしまった」
ビジネスシーンにおける「弁解の余地」
「弁明」や「釈明」との違いからも、「弁解」には自分のミスや非を正当化し、言い逃れをしたい、というニュアンスを含むことがわかりましたね。
たとえ故意なできごとでなかったとしても、「弁解」ということばを使ってしまうと、そこに責任逃れをしたい、自分を正当化したい、という印象を与えてしまうおそれがあります。
「弁明の余地」や「釈明」ということばを使ったほうが、誠実さを表すことができそうですね。
ささいなことですが、正しく日本語を使うことで、よい印象を相手に与えられるのであれば、それに越したことはありません。
「弁解の余地」とは、言い逃れやいいわけをするだけのゆとりや余裕のことを表すことばでした。
無実の罪を着せられるのはだれしも御免ですから、そんなときはきちんと客観的事実を述べ、そしてすこしでも自分に非がある、というときには、事実を認め、「弁解の余地」もございません、と頭を下げることも大事かもしれません。
人間生きていればミスはつきものです。
ミスをうやむやにする人よりも、頭を下げられる人のほうが、信頼に足る、と思われるものではないでしょうか。