「針の筵」とは?意味・読み方・英語【使い方や例文】
針の筵は、古い言葉のように見えますが、現在でもよく使われています。
比喩表現になり、特定の状況を表す言葉です。
目次
- 「針の筵」の意味とは?
- 「針の筵」の読み方
- 「針の筵」の英語(解釈)
- 「針の筵」と「同じ穴の狢」の違い
- 「針の筵」の言葉の使い方
- 「針の筵」を使った例文や短文(解釈)
- 「針の筵」の類義語や置き換えられる表現
「針の筵」の意味とは?
針の筵とは、「とても気まずく、居心地の悪い(自分や対象にとって)状況」を表す言葉です。
そういった状況にある時、または、そうなりそうだと思った時などに使われます。
「これでは針の筵だ」、「針の筵となりそうだ」といった使い方が多く、それぞれ「とても気まずい」、「これからそうなりそうだ」といった状況を表すことができます。
肉体的にきついという場合より、精神的な気まずさ、厳しさを表す為の言葉で、そのような状況に長時間居たことで参ってしまったと言いたいような場合によく使われます。
「針の筵」の読み方
「針の筵」は、「はりのむしろ」と読んでください。
「筵」はいわゆる「ござ」のことで、まるで針でできたそれの上に居るように「居た堪れない状況」を表す言葉として使われます。
この「筵」は常用漢字ではない為、表記では「針の筵」より、「針のむしろ」と平仮名にされていることも多いです。
尚、「ござ」にも漢字表現があり、「茣蓙」と表記しますが、こちらもまた二文字とも常用漢字ではないことから、あまり見かけることはないでしょう。
「針の筵」の英語(解釈)
針の筵は英語では、“bed of thorns”や“bed of needles”と表現されます。
前者は「棘(とげ)のベッド」、後者は「針のベッド」となり、ベッド文化が完全に根付いている欧米らしい表現だと言うことができます。
共に日本語の「針の筵」と同じく、それほど辛い状況だという比喩表現ですが、時には“hot seat”が使われることがあります。
これは、訳すと「電気椅子」(欧米での死刑に使われる装置)となり、それに座らされているような状況だと言いたい時に使います。
「針の筵」の更に上の表現だと考えていいでしょう。
「針の筵」と「同じ穴の狢」の違い
「針の筵」は、ここまでに説明してきたように、「気まずい(厳しい、辛い)状況」を表現する言葉です。
これに対して、「同じ穴の狢」(おなじあなのむじな)は、簡単に表現すると「似たもの同士」という意味になるので、全く違う言葉です。
この「狢」は、アナグナやたぬきなどの穴を掘り、その中に住んでいる動物のことで、一見では関係がないように見えるもの同士が、実は似たようなもの(同類、同種)だと言いたい時に使います。
「狢」もまた常用漢字ではありません。
この手の比喩表現になる慣用句や故事成語に使われる漢字にはそういったものが多く見られるので、無理に漢字を使わずに平仮名や片仮名で表記することが少なくありません。
「同じ穴の狢」は、「同じ穴のムジナ」と片仮名にするのが普通です。
「針の筵」の言葉の使い方
針の筵は、前述のように気まずい状況だと言いたい時や、誰か(何か)を見聞きして、その状況だと思った時などに使う言葉ですが、意外と自然に使われることが多いのが特徴です。
各種の慣用句や故事成語、ことわざの類いは年配の人はともかく、若者はあまり用いようとしませんが、この「針の筵」は比較的使われている言葉だと言えるでしょう。
「針の筵」を使った例文や短文(解釈)
針の筵を使った例文や短文です。
自分側に使っている例と、誰か(何か)を対象にしている例を挙げていきます。
- 「針の筵」の例文1
- 「針の筵」の例文2
- 「針の筵」の例文3
「針の筵」の例文1
「転校からしばらくの間、ずっと針の筵に座っているようだった」
突然環境が変わると、このようなことになる場合も少なくありません。
特に転校した直後はそのいい例だとも言えそうで、仲のよい友達もおらず、学校自体にも慣れていないことから、正に「針の筵」かも知れません。
「針の筵」は、この「座っている」と使われることが多い言葉です。
「針のござ」には立っているより、座る方が痛みが大きいと考えられることからです。
「針の筵」の例文2
「間違えて敵のチームの応援席に座ってしまった彼は、試合終了まで針の筵だったと言っていた」
一対一で対戦する形式で行われるスポーツでは、応援するチームごとに応援席が決まっていることがほとんどです。
間違って逆のチームの応援席に座ってしまうと、下手に自分の贔屓のチームを応援する訳にもいかず、かと言って敵のチームの応援もしたくないので、この「針の筵」という状況に陥ってしまうことでしょう。
「針の筵」の例文3
「座禅に連れて行かれたが、自分には完全に針の筵だった」
これは、座禅が座って行うものだという点と引っ掛けて使っている例です。
座禅における正座が、針の筵に座っている状態そのもので、更に意味となる「辛い状況」だったことも表現しています。
このように、座らされることで、且つ辛い状況だったと表現する時にはとても向いている言葉だと言っていいでしょう(多少は面白がって使っています)。
「針の筵」の類義語や置き換えられる表現
「針の筵」と似た意味で使える言葉や表現です。
いずれも気まずさや辛い状況を表す言葉なので、あまりすすんで使いたくはないものです。
- 「息苦しい」【いきぐるしい】
- 「四面楚歌」【しめんそか】
「息苦しい」【いきぐるしい】
そのまま「息が苦しい」という意味ではなく、比喩表現として使う場合です。
「息苦しい環境だ」、「あの部屋は息苦しかった」などと、気まずかった、きつい状況だったいうことを意味して使うことができます。
どちらかと言えば、「気まずさ」というより、人の多さなどから「物理的な理由で(精神的に)きつかった」という場合によく使われる言葉です。
「四面楚歌」【しめんそか】
この「楚歌」とは、中国の紀元前に存在した「楚」という国の歌のことで、四方から敵の故郷のその歌を歌って戦意喪失させ、降伏させたという歴史上の計略から作られた言葉です。
そこから転じて、「周りが敵だらけ」という意味で使われている言葉です。
その状況こそ、「針の筵」に他なりません。
この2つの言葉は合わせて使われることも多く、「正に四面楚歌、針の筵だった」といった形で、それだけ厳しくきつい状況だったと表現することができます。
針の筵は、見た目より使いやすい言葉だと言っていいでしょう。
ですが、それだけ嫌な状況を表現する言葉なので、人や何かに対して使う場合はともかく、自分に使うことはない限ります。