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「自覚」の意味とは?類語、使い方や例文を紹介!

有名な哲学の言葉を引用するまでもなく、人間は本能の他に高い知能を持った生物です。

それゆえ他者と自分の差に悩むこともあれば、自己を限りなく成長させることもあります。

本項では人格形成においても大切な要素の一つである「自覚」について解説します。

自覚

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「自覚」の意味とは?類語、使い方や例文を紹介!>


目次

  • 「自覚」の意味とは?
  • 「自覚」の類語や言い換え・似た言葉
  • 「自覚」の言葉の使い方
  • 「自覚」を使った例文
  • 「自覚」を使った言葉を解釈
  • 「自覚」の対義語


「自覚」の意味とは?

「自覚」の意味とは?
  • 意味
  • 成り立ち
  • 読み方

意味

自覚には、大きく以下の二つの意味があります。

「自分が今どのような状況に置かれているのか、または心的、肉体的を問わず、内面がどのような状態なのかを把握すること」

「自分がどのような立場にいるのか、どのくらい大きな責任や義務を持っているのか、またそれによってどんな値打ちが自分にはあるのかを把握すること」

いずれにおいても自分がどう意識しているかを表し、正しく自覚するには相応の熟考が求められます。

成り立ち

「自」はみずからという意味ですから当然自分の内面を表しますが、「覚える」「発覚」などに代表される「覚」には、「記憶する」「物事がはっきりする」の他に、「悟る、心に留める」という意味もあります。

元々は仏教から来た言葉であり、世の真理を悟っている者を自覚、さらにそれを周りの者にも悟らせるのが他覚であり、その両方を併せもっているのが仏の位まで自己を高めた者だ、というのが語源となっています。

読み方

「じかく」と読みます。

「自」は他に自ず(おのず)、自ら(みずから)など、「覚」はさめる、おぼえる、さとるなどといった読み方があります。



「自覚」の類語や言い換え・似た言葉

「自覚」の類語や言い換え・似た言葉
  • 「自意識」【じいしき】
  • 「責任感」【せきにんかん】
  • 「実感」【じっかん】
  • 「目覚める」【めざめる】

「自意識」【じいしき】

自分で自分をどう見て感じているかのことであり、「自我」「自己評価」とも言い換えられる言葉です。

必要以上に周りの目を気にする人を「自意識過剰」と呼んだりしますが、これは主に自分に自信がなく、卑屈になって他人に良い面を見せたい、悪い面を見せたくないという心の働きのことをいいます。

自己愛者(自惚れ屋やナルシスト)も自意識過剰の一種と考えることもできますが、内心では自己評価が高いにも関わらず卑屈になっている人もいたりと、性質や違いは複雑で一言で説明できるものではありません。

「責任感」【せきにんかん】

おそらく普段私たちが最もよく「自覚」と同じ意味で使うのがこの言葉でしょう。

教育の場ではほとんどの人が「自覚を持ちなさい」もしくは「責任感を持ちなさい」と言われて育ってきたことと思われます。

これは学校が社会に出るまでにそうした気持ちを育むための場であるからで、もし会社などでしじゅうこんな小言を言われている人がいたら、まともな教育をうけていないか、最悪の場合社会不適合者の評価を下されてしまうかもしれません。

「実感」【じっかん】

「生きている実感がある」などというように、身に染みて理解することをいいますが、「人の強さを実感させられる」というように、外部からの情報の本質に迫ったような感覚を表す際にも使えますので、そうした場合は自覚とは少し外れた意味となります。

「目覚める」【めざめる】

目覚めるは単に睡眠から目が覚めた時以外にも、大事な事に気付く、改心するといった比喩的な表現に使うことができますので、「自覚する」と似通った意味を持つといえ、「自覚に目覚める」と連ねて表現する場合もあります。

「自覚」の言葉の使い方

「自覚」の言葉の使い方

名詞のままで使う場合と、「自覚する」と動詞として使う場合とがあります。

自ずから覚ると書くくらいですから、当然中心となって変化するのは自分の意識であり、外部の影響があったとしてもそれは単なるきっかけにすぎません。

日常では「責任」と同義か、単に他人からは見えない、自分の状態という意味で使うかのどちらかです。

前者は自分の内面に対しての問いかけから導き出された答えをもとに、成長または変わろうとする意識(逆に敢えて悪い方向に向かう場合もある)であり、後者はほぼ後述する「自覚症状」の場合に限られるといってよいでしょう。

また自分の意識といっても、自覚とはあくまで自分で考えて判断をした意思の結果であり、例えば事故や病気などで気を失っていた人が意識を取り戻しても「自覚が戻った」などとはふつう言いません。



「自覚」を使った例文

「自覚」を使った例文
  • 「自覚」の例文1
  • 「自覚」の例文2
  • 「自覚」の例文3

「自覚」の例文1

「高校生は義務教育ではないので、勉強に対する姿勢もそれまでより強い自覚が求められます」

「自覚」の例文2

「プロのスポーツ選手になるにはただ技術があるだけではだめだという自覚を、この留学で芽生えさせるのが最大の目的である」

「自覚」の例文3

「父がわずか三ヶ月の闘病であっというまに亡くなってしまった。突然体調不良を訴えたと思ったら入院し、末期の癌だったと知らされた時には絶句した。我慢しているような様子はなかったので、それまでは自覚はなかったのだろう」

「自覚」を使った言葉を解釈

「自覚」を使った言葉を解釈
  • 「自覚が起こる、自覚が芽生える」
  • 「自覚が足りない」
  • 「自覚年齢」
  • 「自覚症状」
  • 「自覚した悪事」

「自覚が起こる、自覚が芽生える」

人間が自己が社会でどのような位置づけなのか、また何をしなければならないかを考え、明確な答えが出ないにせよそれを意識するのには、ある程度の年齢を重ねなければなりません。

一般的にそうした精神のきっかけは、小学生くらいには形成されるようです。

「自覚が足りない」

この言葉はこれだけですとあまりにも抽象的で、特に義務教育の学生はうんざりしてしまう事も多いのではないでしょうか。

多くは勉学や行事、部活動などへの取り組み方の姿勢そのものの指摘であり、「なぜこれをやらなければいけないのか」「なぜこれをやるのが自分のためになるか」を考えるのが、自覚を持つための大きなヒントになります。

全く責任感を持たずにこなせる仕事というのは探す方が難しいものですから、こうした意識改革が、やがて大人になり職業に就いた際に役立つのです。

「自覚年齢」

「幼児が自我を持つ年齢」のことではありません。

白髪や皺が目立ってくるのはいつごろか、階段を登るのに息切れを起こすのは何歳くらいからか、または自分が「若者」「老人」と呼ばれて違和感があるかどうか、など、主に老化による外見や体調の変化を自覚する年齢のことをいいます。

当然その意識は各個人で差がありますが、「四十肩」などという言葉があるように、平均的な物差しはあるようです。

「自覚症状」

体の各部分の痛みや立ちくらみなど、病気につながるような自分で分かる異常のことをいいます。

自覚症状のない病気というのも多く、その筆頭が癌です。

癌はある程度進行してからでないと自覚できる症状がほとんどあらわれない点が最も恐ろしく、健康と見られていても定期健診を薦められるのはこのためです。

「自覚した悪事」

必要悪という言葉があります。

これは何かに対して苦しみや迷惑になる、道徳的、法的、心情的には悪とされるものの中で、それを怠るとさらに悪い結果が予想されるのでやむなく行われることをいいます。

また、目的の達成のために悪事と知りながら手を染める場合にも「自覚」を使うことができます。

いずれの場合にも単なる詭弁である場合が多いので、しっかり議論したり、周囲の説得や阻止が必要となります。

「自覚」の対義語

「自覚」の対義語
  • 「不覚」【ふかく】
  • 「無意識」【むいしき】
  • 「無責任」【むせきにん】

「不覚」【ふかく】

「思いもしないこと」「油断からの不足、失敗」といった意味があります。

「前後不覚」とは泥酔状態などに代表されるように、意識がどこに向いているのかがわからなくなることを意味します。

「不覚を取る」とは主に競い合う相手に後れを取ることや、単純に敗れることを指します。

「無意識」【むいしき】

普段は自分で意識していない心の領域をあらわします(「意識がない」という意味もありますが、あまり日常で用いられません)。

手足や体が覚えていて勝手に動く、見ようとした覚えもないのにしっかり記憶しているなどはこの無意識下の状態です。

「無責任」【むせきにん】

一般的な「自覚」の対義としてはこの言葉が挙げられるでしょう。

無責任さがどういうことかは前述の責任感の項に譲りますが、人が見ていないからといって手を抜いたり、周りに尻拭いをさせるようなことをして知らんぷりをしたりするのは、表沙汰になりにくい点を考えても大変卑劣な行為であり、各人が想像力を働かせて、そうならないように意識する必要があります。

icon まとめ

いざ自覚を持とうとしても、言葉にする以上の難しさがあるものです。

自分の弱さや強さについてじゅうぶん把握しているつもりが、そうあってほしいという願望から来る思い込みである場合も少なくありません。

正しい判断には日頃から第三者的な目を養っておく必要があるでしょうし、体のこと一つ取っても定期的な診断は受けるべきです。

ひとりよがりな判断は禁物ということを肝にめいじて生活していきましょう。