「敬虔」の意味とは?類語、使い方や例文を紹介!
無宗教の人が多いといわれている日本ですが、初詣には神社へ参拝し、クリスマスにはキリストを祝い、人が亡くなると仏教式に葬儀を行ったりします。
密接なようでいて、ふだんの生活からはすこし離れた場所にある神様や仏様ですが、なかには一つの宗教を信じ、大切にしている方もいますね。
さて、ここでは「敬虔」ということばについて、ご紹介しています。
目次
- 「敬虔」の意味とは?
- 「敬虔」の類語や言い換え・似たことば
- 「敬虔」の使い方
- 「敬虔」を使った例文
- 「敬虔主義」とは?
- 「敬虔」の対義語
「敬虔」の意味とは?
「敬虔」とは、親や神々に対する、深い愛や尊敬、忠誠心などを表すことばです。
西洋では、古代ギリシア以降、徳目の一つとされており、キリスト教においては、信心を表す、プロテスタントの用語として認識されています。
宗教的な意味あいを多分に含む「敬虔」ということばですが、親などに対する愛や尊敬も意味することがありますので、「敬虔」=宗教的と考えるのは安易かもしれません。
人間だれしも、たった一人で生きているのではなく、人も、人でないものも含め、何者かによって生かされている、という感謝の念を持っていることを「敬虔」というのですね。
- 「敬虔」の読み方
「敬虔」の読み方
「けいけん」と読みます。
「敬」はほかに、「キョウ」「うやま-う」「つつし-む」という読みがあります。
読みのとおり、うやまい、つつしむことを意味する漢字になります。
「虔」はほかに、「つつし-む」「うば-う」「ころ-す」という読みがあります。
意味はやはり読みどおりで、慎み深いさまやうやうやしいさまのほかに、ころすことや、奪うこと、強奪することをも意味します。
意外な意味を含んだ漢字ですが、ここでは慎むこと、うやまうこと、の意味で使われています。
「敬虔」の類語や言い換え・似たことば
意味と読みが理解できたところで、類語や言い換えの表現を見ておきましょう。
「敬虔」がぱっと出てこないときにも便利ですし、ことばのバリエーションを知っていることで、語彙力があがり、会話や文章においても、コミュニケーション上手、話し上手になりますよ。
ほかにも似たような意味のことばがあるのではないか、と考えることも、語彙力アップに繋がります。
- 「信心深い」【しんじんぶかい】
- 「篤信」【とくしん】
「信心深い」【しんじんぶかい】
こちらも書かれているとおり、信じる心が深い、というところから、慎み深さやうやまう心を表すことばになります。
「医師や大企業の社長などには意外にも信心深い人が多いという」
「彼の家系はみな、信心深い」
それ単体でも意味が通じ、信心深い人、のように「信心深い」+名詞のかたちでも使われます。
「篤信」【とくしん】
「篤」という字が、「あつ-い」という読みを持っており、信仰が篤いことを意味しています。
「篤信者」「篤信家」などの使い方をされることが多く、「家族のなかでもとくに、彼女は篤信家だ」「篤信者だと聞いていただけあり、立ち姿からも地に足の着いたようすが見てとれる」
このように文章のなかで使われます。
「敬虔」の使い方
「敬虔」だけでも意味は通じる文章もありますが、多くは「敬虔な〇〇」や、「敬虔なる〇〇」「敬虔の〇〇」などのかたちで使われ、〇〇を修飾しています。
また、「敬虔さ」というふうにも使うことができます。
よく聞かれるのは、「敬虔なクリスチャン」ということばではないかと思いますが、クリスチャンに対してだけ使われることばではない、ということを理解しておきましょう。
「敬虔」を使った例文
では、具体的に「敬虔」を使った例文を挙げていきます。
例文のなかで「敬虔」が、なにを修飾しているのか、見ていてください。
どんな場面で使われることばなのかが理解できると、日常のなかや、特別な場面で、すんなりとことばが出てくるようになるでしょう。
- 「敬虔」の 例文1
- 「敬虔」の例文2
- 「敬虔」の例文3
「敬虔」の 例文1
「定年後、病を患った父に対し、今更ながら敬虔な気持ちで介護をしている」
神仏以外のものに対する「敬虔」な気持ちを表す場合、親などに対しての気持ちである場合が多いのではないかと思います。
「敬虔な〇〇」の、〇〇に気持ちが入った例文になっています。
これまで育ててくれた父への感謝、働くことで養いつづけてくれたことへの尊敬、家族としての愛、それらをすべて含んだことばとして、「敬虔」が使われています。
「敬虔」の例文2
「マリア像の前に立ったとき、彼は思わず敬虔の涙を流した」
「敬虔の〇〇」の表現です。
〇〇には涙が入りました。
慈愛や尊いものへの尊敬と感謝から涙が溢れてくるときに使われています。
信仰心の篤さから、そのような涙を流すこともあれば、まったく無宗教の人でも、おそろしいほどの愛に包まれたときなどに、大きく心を揺すぶられ、涙を流すことはあるでしょう。
「敬虔」の例文3
「波乱万丈の人生を謳歌した祖父を癒やすのはもはや、敬虔なる祈りのみだと思えばこそ、神仏に対して頭を深く垂れることも惜しまないでいられる」
無宗教であっても、やはり人の死に対峙したとき、死者を慰めるために祈ることがあります。
そのとき人は、ふだんは信じていない、偉大なる何者かの息吹を感じるのではないでしょうか。
自分の力では決して及ばないところにも手が届く何者かに、祈りを託すとき、それは「敬虔な祈り」といえるでしょう。
「敬虔主義」とは?
17世紀のドイツにおいて起こったキリスト教思潮、また運動のことをいいます。
特定の教理を尊ぶのではなく、個人の内面にある「敬虔」な思想、精神を見つめることに、信仰の本質があるのではないかと考えることをいいます。
宗教が依存的なものではなく、人の幸福に寄り添うために必要なプロセスなのかもしれませんね。
「敬虔」の対義語
最後に、「敬虔」の対義語も見ておきましょう。
深い尊敬や愛、信仰を意味するのが「敬虔」であれば、その反対の意味を持つ表現は、どのようなものになるでしょう?
ここに挙げているもののほかに、どのような表現があるか、考えてみましょう。
- 「不敬虔」【ふけいけん】
- 「不信心」【ふしんじん】
- 「不敬」【ふけい】
「不敬虔」【ふけいけん】
神仏に対する尊敬や感謝の念がないことや、神仏の存在そのものを信じないことを意味しています。
「神は不敬虔な者も、等しく愛している」神仏は目に見えない存在とされているため、存在するのかしないのか、存在するのだとすればどのような存在なのか、なかなか答えは出そうにありませんが、信じるものがあってもなくても、その人が幸せに生きていることが重要なのかもしれません。
「不信心」【ふしんじん】
こちらも、神仏を信じないことや、信心する気持ちのないことを意味しています。
「日頃に不信心が祟ったのか、自分だけ目標が達成できなかった」
「不信心だといっているが、彼は特定の神仏を信じていないだけで、なにか自分のなかに信じるものを持っているように思う」
このような使い方ができます。
「不敬」【ふけい】
神仏のほか、日本においては皇室に対する敬意を欠いた言動をいいます。
不敬罪という罪もあり、皇室の名誉を毀損するような言動に対しての罪状となります。
尊敬を持たないこと、礼儀にはずれたことをすることも、「不敬」といい、ひどく嫌われる言動となるでしょう。
「敬虔」と似ている点は、神仏のみならず、皇室や親に対しても使われるというところでしょう。
日頃から言動に気をつけ、おごらず、慎ましく過ごしていれば、このように感じられることもないでしょう。
「敬虔」とは、親や神仏に対する尊敬や感謝、愛する気持ちを表すことばだとわかりました。
決しておごらず、周囲にある目に見えるもの、見えざるものに対して感謝し、日々実直に、慎ましく生きることができれば、本当の豊かさに気づくことができそうですね。