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「刎頚の交わり」の意味とは?漢字、類語や使い方、例文を紹介!

友情を表現する言葉というのは数多く存在しますが、「あなたになら自分の首を差し出しても構わない」とまでの表現は なかなか珍しいのではないかと思います。

ですが、かつての中国にこの言葉を実際に言い合った二人がいました。

彼らは自分たちの国を守るため、共に戦うことを誓い合い、彼らが存命の間、その国は一切手出しができなかったと言います。

今回はそんな二人の人物が由来となる、「刎頸の交わり」という友情に関する表現をご紹介します。

刎頚の交わり

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「刎頚の交わり」の意味とは?漢字、類語や使い方、例文を紹介!>


目次

  • 「刎頚の交わり」の意味とは?
  • 「刎頚の交わり」の故事
  • 「刎頚の交わり」の言い換え
  • 「刎頚の交わり」の類語
  • 「刎頚の交わり」を使った例文
  • 「刎頚」を分解して解釈


「刎頚の交わり」の意味とは?

「刎頚の交わり」の意味とは?

その相手のためであれば自分の首が刎ねられても構わない、そう思えるほどの親しい関係をあらわす言葉です。

主に友情に対して用いられます。

この言葉は中国の春秋戦国時代後期の出来事に由来する故事成語です。

藺相如(りんしょうじょ)と廉頗(れんぱ)という、趙(ちょう)の国の二人の家臣がお互いに対し、「あなたに首を刎ねられても悔いは無い」と称え合ったことが由来となっています。

この出来事の詳しい経緯については、「刎頚の交わり」の故事」にてご説明いたします。

  • 「刎頚の交わり」の読み方

「刎頚の交わり」の読み方

「ふんけいのまじわり」と読みます。

「刎頚」「刎刑」と書いてしまう誤字が度々あるようですが、「刎」「刎ねる」「頚」「首」という意味を持つ漢字ですので、「刑」と書いてしまうと「刎ねる刑」となってしまい、意味が通じなくなってしまうため、これは明確な誤りとなります。



「刎頚の交わり」の故事

「刎頚の交わり」の故事

「刎頚の交わり」という言葉は、中国の春秋戦国時代後期の出来事に由来する故事成語です。

中国前漢時代に編纂された「史記」という歴史書に、その出来事についての記述がありますので、以下に内容をまとめてみたいと思います。

  • 廉頗に妬まれた藺相如
  • 藺相如の人徳に感服する廉頗
  • 逸話の多い「藺相如」という人物

廉頗に妬まれた藺相如

当時存在していた「趙(ちょう)」という国の恵文王(けいぶんおう)の下に、藺相如(りんしょうじょ)という非常に優れた才覚を持つ家臣と 廉頗(れんぱ)という勇猛果敢さで諸国に名を馳せる将軍がいました。

藺相如はその知恵によって様々な国難を打開する策を提案し、異例ともいえる速さで出世をしました。

それに対して廉頗は「武勲ではなく口先だけで自分よりも上の位についた」と、いたる所で藺相如に対する不満を口にしていました。

藺相如の人徳に感服する廉頗

藺相如はそれを聞くと、廉頗と決して顔を合わせないよう、病と称して外出をやめたり、出かけた際に廉頗と出会いそうになると、わざわざ道を変えて廉頗が通り過ぎるのを待つなどしました。

これに対し、藺相如の家臣たちが不審がると、「他国が我が国を攻め滅ぼさないのは、廉頗将軍と私がいるからだ。

今、私たちの間に亀裂が入れば、敵国の思う壺になってしまうだろう」
と答えました。

そのことを耳にした廉頗は、自らの言動や不徳を恥じ、上半身裸の姿で藺相如の下へ馳せ参じると、「どうか、私をお打ちください」と茨の鞭を差し出しました。

藺相如は、「廉頗将軍あっての趙国です」と言い、鞭で叩くようなことはしませんでした。

廉頗は藺相如の言動に心から感服し、「あなたになら、首を刎ねられても悔いは無い」と言い、藺相如も「私も将軍のためなら喜んで首を刎ねられましょう」と答え、二人は趙の国を共に守っていこうと誓ったのでした。

逸話の多い「藺相如」という人物

実は「刎頚の交わり」に登場した藺相如という人物は逸話が多く、彼が行ったことが他にも幾つかの故事成語になっています。

「完璧」という皆さんがよく聞く言葉も、元々は彼が行った、趙のための策が語源となっています。

また、「黽池の会」という言葉も同様に、趙の国を見下されないために取った策が語源です。

中国の戦国時代には様々な興味深い逸話が多数存在します。

興味がある方は、調べてみては如何でしょうか。

「刎頚の交わり」の言い換え

「刎頚の交わり」の言い換え

全く同じ意味として、「刎頚の友」という言葉も存在します。

また沖縄の方言で「親友」を意味する「くびちりどぅし」という言葉も、「刎頚の友」を意訳したものであると言われています。



「刎頚の交わり」の類語

「刎頚の交わり」の類語
  • 「膠漆(こうしつ)の交わり」
  • 「管鮑(かんぽう)の交わり」
  • 「水魚(すいぎょ)の交わり」

「膠漆(こうしつ)の交わり」

きわめて離れがたく親しい関係を指す言葉です。

「膠(にかわ)」は動物の骨や肉、腱などから抽出した接着剤、「漆(うるし)」は、接着剤としても使われる漆の木の樹液を指し、どちらも接着剤として用いられていたことから、「くっつく」ために「離れがたい」ことの例えとして用いられました。

「管鮑(かんぽう)の交わり」

これもまた中国春秋時代の故事が由来の言葉です。

「管」「管仲(かんちゅう)」「鮑」はその親友の「鮑叔(ほうしゅく)」を指し、共に斉の国における政治家となった人物です。

二人が商売をしたときに、貧しかった管仲は、分け前を余分に取るなどすることがあったのですが、鮑叔はそれを知りながら、管仲を責めることはなく、それどころか友情は深まるばかりでした。

政治家となった後も、鮑叔は管仲を斉の宰相に推薦しました。

またそんな鮑叔に対して管仲も深く感謝しており、「私を生んだの父母だが、私を知る者は鮑叔だ」と賞賛し、二人の友情は生涯変わることなく続いたそうです。

「水魚(すいぎょ)の交わり」

これもまた故事成語ですが、三国時代の出来事に由来します。

三国志でも有名な蜀の王「劉備(りゅうび)」は、軍師である「諸葛孔明(しょかつこうめい)」と親密な人間関係を築きましたが、それを見ていて心中穏やかでなかったのは、劉備の義兄弟としても知られる「関羽(かんう)」「張飛(ちょうひ)」のような 古くから劉備を支え続けてきた家臣たちでした。

それに対し劉備は、「私と孔明は、魚に水があるようなものなのだ」と説明します。

魚は中国の古代において恋人や夫婦の隠語として用いられる言葉で、劉備は孔明との関係を夫婦関係のように例えることで、「お前たち兄弟とはまた別の関係で、影響はないのだよ」と 諭す意味で使っていたようです。

そこから君主と家臣の関係の親密な信頼関係を表す言葉として 様々な場面で使われるようになりましたが、現在では元々の意味に立ち返り、夫婦間の親密な関係や、転じて友情関係にも使われるようになりました。

「刎頚の交わり」を使った例文

「刎頚の交わり」を使った例文
  • 「刎頚の交わり」の例文1
  • 「刎頚の交わり」の例文2

「刎頚の交わり」の例文1

「彼らは刎頚の交わりとも言える強い絆で結ばれている」

「刎頚の交わり」の例文2

「私と彼は刎頚の交わりと呼べるほどの親友である」

「刎頚」を分解して解釈

「刎頚」を分解して解釈
  • 「刎頚」
  • 「交わり」

「刎頚」

「刎」「刎ねる」「頚」「首」という意味を持ち、合わせて「首を刎ねる」という意味となります。

故事の中では、廉頗と藺相如がお互いに対して、「あなたになら首を刎ねられても構わない」と宣言しており、それだけ相手のことを信頼している、という意味なのだと捉えることができます。

「交わり」

ここでの「交わり」という言葉は、「交際」「交流」といった言葉や、もっと直接的な「友情」と置き換えることができるでしょう。

お互いが相手のために自分の首を差し出しても構わない。

そのように思えるだけの友情というものは非常に得がたいものです。

廉頗と藺相如も、そこまでの関係になるまで、敵対寸前となるほどの紆余曲折がありました。

日本における様々なマンガのストーリーにも、ライバル同士がお互いを認めあい、友情を育む場面が多数存在しますが、素晴らしい友情というものはたやすく手に入るものではなく、様々な困難を乗り越えてこそ、育まれるものなのかもしれません。

icon まとめ

「刎頸の交わり」という言葉は、いかがだったでしょうか。

ただの友情ではなく、熱い思いが込められた物語がそこには背景として存在しています。

様々な艱難辛苦も、そんな友達となら乗り越えられる。

現実の生活の中で、「刎頸の交わり」と呼べるほどの友情を得られたら、それはきっと、かけがえの無い大切な関係になるはずです。

そのような関係が、皆様にももたらされますように。

またその関係が永久に続きますように。