「痛恨の極み」の意味とは?類語、使い方や例文を紹介!
「痛恨の極み」の意味や読み方を紹介します。
さらに「痛恨の極み」の使い方や例文を紹介していきます。
目次
- 「痛恨の極み」の意味とは?
- 「痛恨の極み」の似た言葉や類語・言い換え
- 「痛恨の極み」の使い方
- 「痛恨の極み」を使った例文
- 「痛恨の極み」を分解して解釈
「痛恨の極み」の意味とは?
「痛恨の極み」という言葉を口にした事があるでしょうか。
もしあるとしたら、かなり厳しい場面に遭遇した事がある人だとお見受けします。
生きていると感じる事もある「痛恨の極み」の読み方や意味を紹介します。
- 「痛恨の極み」の読み方
- 「痛恨の極み」の意味
「痛恨の極み」の読み方
「痛恨の極み」は「つうこんのきわみ」と読みます。
「痛恨」は「つうこん」、「極み」は「きわみ」です。
「痛恨」や「極み」は比較的簡単な漢字が使われていますが、読み方を間違えてしまう可能性があります。
これを機会に「痛恨の極み」の読み方を覚えておきましょう。
「痛恨の極み」の意味
「痛恨」には、「とても残念な事」という意味があり、「極み」には「行き着くところまで行った様子」という意味があります。
つまり「痛恨の極み」には「とても残念な気持ちが行き着くところまで行った」という意味があります。
平たく言えば「ものすごく残念」「身に応えるくらい残念な事」という意味があります。
体に電気が走るような衝撃的な出来事があり、ぐったりするくらい辛い気持ちになった時に「痛恨の極み」という言葉を使います。
できれば「痛恨の極み」を体験しないで済むように、生活したいものです。
「痛恨の極み」の似た言葉や類語・言い換え
次に「痛恨の極み」に似た意味の言葉や、類語、言い換えられる別の言葉を紹介します。
「とても残念」という意味を持つ言葉が並んでいます。
- 「遣る方無い」【やるかたない】
- 「悔しい」【くやしい】
- 「無念」【むねん】
「遣る方無い」【やるかたない】
「不満遣る方無い」などという定型句で使う事が多いです。
「遣る方無い」には、不満などの気持があり、その気持ちを晴らしようがない様子を意味します。
簡単な事では気持ちが晴れない、または晴らす場所がないような、辛い心情を意味します。
「痛恨の極み」といえるような出来事が起こった後で、「遣る方無い」状態になる人は多いでしょう。
そこで「痛恨の極み」と「遣る方無い」をセットで覚えておくと良いでしょう。
「悔しい」【くやしい】
「痛恨の極み」は「とても残念な事」を意味する言葉です。
他の簡単な言葉で言い換えれば「悔しい」、あるいは「非常に悔しい」という言葉になるでしょう。
「悔しい」は「残念」よりも、感情的な表現になります。
「残念」だと思っている人をイメージすると、うつむいて、がっかりした表情を浮かべている感じになります。
しかし「悔しい」と思っている人をイメージすると、唇をかみしめていたり、頭をかきむしっているなど、激しい感情の発露を見る事ができます。
「痛恨の極み」と感じるような出来事に遭遇した時、がっかりしているか、感情的になっているかによって、「悔しい」という言葉を使った方が良いケースもありそうです。
「無念」【むねん】
「無念」という言葉も、とても残念な様子を現す事ができます。
また「無念」には、とても残念に思う様子と、何も思わない様子という二つの意味があります。
残念すぎて放心してしまうと、何も考えられなくなるのかもしれません。
また残念な気持ちをそのままにせず「無念を晴らす」という言葉を使って、復讐を果す人もいます。
「無念を晴らす」という場合は、「誰かの無念」という事が多く、その誰かは亡くなっている人である事が多いです。
「残念無念」という言葉で、とても強い残念な気持ちを表現する事もあります。
「痛恨の極み」の使い方
「痛恨の極み」という言葉を使う時は、もしかしたら「痛恨の極みとまでは言えない」シーンの方が多いかもしれません。
本当に「痛恨の極み」といえるような場面に遭ってしまったら、自分の心情を言葉にする事がなかなかできないと想像できるからです。
それよりも、やや大げさに残念な様子を表現する時に「痛恨の極み」を選ぶかもしれません。
例えば、取引先の誰かが異動になり、自社の仕事を外れる時などです。
送別会などで、「優秀な○○さんと仕事ができなくなる事は、私達にとって『痛恨の極み』です」などと言います。
誰かを持ち上げるために「痛恨の極み」という言葉を使う事は、社会に出ると良くありそうです。
「痛恨の極み」を使った例文
続いて「痛恨の極み」を使った例文をチェックしてみましょう。
「痛恨の極み」をどのように文章の中に入れれば良いのか、その方法を知っておきましょう。
- 日常生活の「痛恨の極み」を使った例文1
- ビジネスシーンで「痛恨の極み」を使った例文2
日常生活の「痛恨の極み」を使った例文1
日常生活で「痛恨の極み」と呼べるような体験する事があるかもしれません。
例えば海外旅行の途中でパスポートを無くしてしまったら、かなり残念です。
「旅行先でパスポートを無くすなんて、『痛恨の極み』だ」と叫びたくなるかもしれません。
またケガをしてしまった時も、「運動中に転んで骨折をしてしまった。
これは『痛恨の極み』である」などと、「痛恨の極み」を使った文章にする事ができます。
それほど深刻ではなく、後になって笑い話になるような残念な話に、「痛恨の極み」を使うと良いかもしれません。
ビジネスシーンで「痛恨の極み」を使った例文2
ビジネスシーンでも「痛恨の極み」と表現したくなる出来事が起こります。
例えば、人事異動で自分に不利な事が起こった時です。
「自分を可愛がってくれた○○部長が左遷されるなんて、『痛恨の極み』だ」とか、「一軒家を購入したばかりなのに、転勤を言い渡されるなんて、『痛恨の極み』といえる人事だ」となります。
他にも「取引先が倒産するとは『痛恨の極み』と呼ぶしかない」など、残念な事が起こるかもしれません。
さらに「納期まで仕事が終わらないなんて、『痛恨の極み』です」と言って、自分のミスを取引先などに謝る場面でも使えるかもしれません。
あらためてビジネスシーンでは、「痛恨の極み」と呼べる出来事が多い事が分かります。
「痛恨の極み」を分解して解釈
最後に「痛恨の極み」を分解して解釈してみましょう。
「痛恨の極み」は「痛恨」と「極み」に分ける事ができます。
それぞれの意味を知ると、「痛恨の極み」の意味をより詳しく知る事ができます。
- 「痛恨」【つうこん】
- 「極み」【きわみ】
「痛恨」【つうこん】
「痛恨」にはどのような意味があるでしょうか。
「痛恨」は「痛い」「恨む」という言葉が使われているように、辛い気持ちを表現したものです。
「痛恨」には「身に染みて感じるほど、残念な事」や、単純に「とっても残念な事」という意味があります。
「痛恨の出来事」という場合は、本当に残念な出来事が起こった…という意味になります。
「極み」【きわみ】
「極み」は、だんだん高まっていき、最終的にこれ以上ないと思えるような事を意味します。
「究極」という言葉にも「極み」という言葉が使われていますが、こちらは突き詰めて行った結果、行き着くところまで行った様子を表現しています。
「極み」は「これ以上ない事」「行き着くところまで行った様子」などを表現します。
「痛恨の極み」も、「痛恨」な気持ちが、「これ以上ない事」「行き着くところまで行った様子」を意味します。
「痛恨の極み」は、日常生活やビジネスシーン、恋愛の場面など様々な場面で使う事ができます。
ただし、あまりにも深刻な場面では使わず、最終的に笑い話になりそうな残念な出来事に対して使うと良いかもしれません。
特にビジネスシーンでは「痛恨の極み」を使う場面が多いでしょう。
社内人事や、取引先の動向などによって、念に何度も「痛恨の極み」と呼べるような出来事が起こるかもしれません。