「なまら」の意味とは?北海道の方言?使い方や例文を紹介!
方言と言っても、何となく、その方言が意味しているものが見えてくるものと、皆目、何のことだか分からないものとがあるようです。
また、各地へと伝播していくうちに、言葉の一部が変わったり、意味することが変わったり、言葉は「生きもの」であることが分かります。
目次
- 「なまら」の意味とは?
- 「なまら」の言い換え
- 「なまら」の言葉の使い方
- 「なまら」の例文
- 「なまら」の語源
- 「なまら」は何処の方言で使われる
「なまら」の意味とは?
この言葉が意味するところは、「すごく」「とても」「たいそう」「非常に」といった、物事を比較した際の程度の違いを表します。
それも、よりプラスの方向で、対象となるものを比較し、より優れている、勝っているという優位にあることを示す形容詞的な言葉です。
テレビやラジオ、映画など、マスメディアの取材や撮影などで、瞬く間に広がった感がある言葉です。
このように、比較的最近になって、見聞きするようになった北海道を中心とする方言で、しかも、若い人を中心に、どちらかといえば、少々悪ぶった若者言葉の仲間に入りそうな言葉でもあります。
その意味では、あまり女性が使うには、ふさわしくない言葉のような雰囲気もあります。
その上、正式な場や上司に等に対しては、使えない言葉ですので、女の子には、初めから、こうした言葉は、教えない家庭もあるようです。
事実、「なまら」の部分を「マジ」「すげぇ」などと入れ替えてみると、同じような意味の言葉だと実感できます。
例えば「(なまら)格好いい車に乗ってるだべ」を「なまら」の部分だけ、入れ替えて「マジ格好いい車に乗ってるだべ」や「すげぇ格好いい車に乗ってるだべ」とすると、より言葉のイメージが広がり「なまら」の言葉の役割もはっきりします。
「なまら」の言い換え
「すごく」や「非常に」といった意味合いをもっている他の方言での例です。
- 「べらぼう」【べらぼう】
- 「でら」【でら】
「べらぼう」【べらぼう】
関東方面で使われている方言で、程度があまりにひどい様子を言う言葉です。
「スーパーの野菜コーナーに行って、キュウリの値段を見て驚いた。いくら雨が少なくて成育が悪かったからといって『べらぼうめ、キュウリが、たった一本で300円を越えるかってんだ』と、毒づいてみたもののどうしようもない」
「でら」【でら】
愛知方面で使われている「すごい」という意味の言葉です。
「Aさんが、郊外の一等地に、最近、新築をしたというので、見に行ったみたら、でら大きな家で、びっくりしたなあ」
「なまら」の言葉の使い方
次に続くことがらを飾る、形容詞的な使い方をしますので、後に続く言葉をよく分析してから使います。
また、程度が、「とても」や「たいそう」より、もっとすごい「とてもとてもすごいこと」であったり、「ものすごくたいそうなこと」であったりするときには、「なんまら」「なぁんまら」と、「なん」の部分を伸ばして発音することによって、強調した意味を表すこともできます。
「なまら」の例文
- 「なまら」の例文1
- 「なまら」の例文2
「なまら」の例文1
一部、新幹線が開業したというので、試しに乗ってみたら、なまら速く走るので、途中で今どこあたりを走っているのか、分からなくなってしまった。
「なまら」の例文2
「どこさ行くの」
「一滑りしてこようかと思って」
「今の時間は、なまら、人の多かろうに、ご苦労なことです」「本当を言うと、運動して美味しくビールを飲むためですよ」
「なまら」の語源
「なまら」という言葉自体が、北海道を母体とした言葉ではなく、遠くは、新潟の漁師達の間で使われていた浜言葉に端を発しています。
もともとは、生半可を意味する言葉で、浜伝いに北へ北へと伝播していきました。
その間に、意味するものが変化していき、中越地方では、もともとの中途半端の意味が生きていて「生暖かい」と言うのに対して下越地方では「とても暖かい」と、およそ反対の意味に変わっています。
この中越地方がこの言葉の源で、本来の「中途御半端」や「いいかげんな」という意味が、残っています。
「なまら」は何処の方言で使われる
方言としては、もともと新潟で使われていたものが、北海道に渡った言葉です。
ところが、テレビドラマや映画の撮影場所として、北海道が取り上げられ、セリフの中にも北海道らしさを演出するものとして、方言が多く使われています。
従って、実際、北海道でも、もうすでに、今はあまり使っていないような方言のセリフでも、演出上使われることがあります。
そのことが高じて、あたかも北海道の方言であるかのような印象を受ける言葉が増えてきました。
結論として「なまら」は、新潟地方の方言です。
北海道を舞台にしたテレビドラマや映画は、枚挙に暇がないほど、たくさんあります。
そして、お約束のように、いずれのドラマも映画も、セリフの中に、ふんだんに方言を取り入れています。
そこには、北海道弁ではないもの、すでに死語となって、ちまたでは使われなくなっているものなど、あくまでも作品の情緒や雰囲気、効果をねらったもので、誇張したり、デフォルメされたりして使われています。
しかし、対象をそのものをズバリ、言葉で切り取った方言のすばらしさ、おもしろさは、どう使われようと変わりません。