「霞む」の意味とは?類語、使い方や例文を紹介!
誰もが知りながら、普段はあまりお目にかかれないものの一つに「霞む○○」「霞がかった○○」と呼ばれる光景があります。
それは苦労して高所に出向いたり、無理して早朝から起きていたりと、非日常なリスクの見返りであり、そこに癒しや満足感を得ようとする人も少なくありません。
ではその「霞む」とは一体どのような状態を指すのかを、本文で調査していきます。
目次
- 「霞む」の意味とは?
- 「霞む」の類語や言い換え
- 「霞む」の使い方
- 「霞む」を使った例文
- 「霞む」の対義語
「霞む」の意味とは?
様々な意味を持つ言葉で、主に自然現象や生理現象を表します。
一つは、遠くの景色を眺める時、それと自分の間に霧や煙がある場合に、ぼんやりと見える状態のことです。
多くは高山から下界を見下ろした風景に見られますが、月に雲がかかった状態、また靄が立ちやすい状態、つまり水蒸気が多い早朝の湖沼や雨上がりの木立などでも見ることができます。
もう一つには朝焼けや夕焼けを指し、現代では少しピンと来ませんがこちらが本来の意味です。
同じく太陽を初めとするあらゆるものが、日中よりぼんやりとくすんで見える状態です。
これらは気象用語ではありませんが、テレビの天気予報では頻繁に使用される言葉です。
また、人間が涙を流すなどして目前がぼやける事、意識がぼんやりして遠のく事などを「目が霞む」「頭が霞む」などと言います。
その他、複数の事物を比較する場合、ある物がより優れた他者の登場で、その存在感が薄れる事を比喩的にこう表現したりもします。
- 「霞む」の読み方
「霞む」の読み方
「かすむ」と読みます。
元になった霞(かすみ)は前述の通りぼんやりとした状態であり、雲や「もや」そのものというよりはその様子を説明している側面が強い言葉です。
「霞む」の他「霞がかかる」とも言い、両者は同じ意味ですが、後者は自然現象を指す場合にのみ用いるのが一般的です。
また「仙人は霞を食べて生きている」という俗説は、自然界の不可視のエネルギーを実体のよくわからない霞になぞらえ、そんな代物を糧にしている仙人の神秘性、超然性を高めると共に、現代ではそこから転じて「どうやって食べていけているのか不思議」なほど困窮する、もしくは普段の生活が謎に包まれている人を指し「霞を食っているようだ」と言うこともあります。
「霞む」の類語や言い換え
- 「煙る」【けむる】
- 「朧に見える、仄かに見える、くすむ」【おぼろにみえる、ほのかにみえる、くすむ】
- 「暈ける、眩暈を起こす、朦朧とする」【ぼける、げんうんをおこす、もうろうとする】
- 「食われる、後景、埋没する」【くわれる、こうけい、まいぼつする】
「煙る」【けむる】
煙がその場に留まり、向こうの景色が見えづらくなる現象です。
文学的には火が起こした煙でなくとも、立ち上る水煙を言う場合もあります。
「朧に見える、仄かに見える、くすむ」【おぼろにみえる、ほのかにみえる、くすむ】
朧(おぼろ)はぼんやりした様子で、前述の雲のかかった月夜は「朧月夜」とよばれます。
この漢字の成り立ちは「にくづきに龍」となり、この場合空に悠々と浮かぶ龍の事とも言えますが、龍は「ろう」とも読み、耳が不自由な事を「聾唖」と言うように、ぼんやりした状態そのものを表す字でもあります。
仄か(ほのか)は同じぼんやり感でも、どちらかというと見ている物自体の光源が弱いという意味があります。
よって「闇夜に蝋燭が仄かにともる」などと、霞では表現できない暗い時分の様子を表現することができます。
「くすむ」は色が目立たず地味な様子や、暗く沈んだ様子のことであり、「霞む」と似てはいますがより否定的な意味合いがあります。
「暈ける、眩暈を起こす、朦朧とする」【ぼける、げんうんをおこす、もうろうとする】
暈(ぼ)けるとは、天体に観測者の間に雲がかかり、輪郭がはっきりしなくなるさまを表す「暈(かさ)」から来ています。
また、「時差ボケ」「老人ボケ」など知覚が衰えることは「惚ける」と書いて区別し、目が回って倒れそうになる様子は眩暈(めまい)と呼ばれます。
朦朧(もうろう)は、先の「朧」の字と、愚かで自覚がないという意味の「蒙」から来た「朦」を合わせた語です。
「意識が朦朧とする」などと言いますが、そうした自分の感覚に限らず、目の前の風景など、様々な「ぼんやりとした様子」を表す際にも用いられます。
「食われる、後景、埋没する」【くわれる、こうけい、まいぼつする】
二者以上の比較に使われる表現です。
ある事物Aが、他のより優れたBという事物が現れた場合にその存在価値を奪われてしまうことを俗に「食われる」と言い、競争の激しい業界では頻繁に用いられます。
また能力の優劣がはっきりしなくとも、非常に多くの類似事項(C,D,E…と無数に)が現れた時、一つ一つの存在が希薄になる事を「埋没する」と言います。
後景は「後景に押しやられる」などと表現し、同じく観測者からの注視が薄れるさまを表します。
ちょうどこれは、カメラで焦点より後ろの背景がぼやけて見えるいわゆる「(背景の)ピンボケ」を想像すると理解できます。
「霞む」の使い方
以上のように様々な状況で応用でき、「霞」の字は書けなくとも、誰しも一度は使ったことのある言葉と言えるでしょう。
霞むにしても他の対義語にしても、景色の描写において多くはその美しさ、風情を記したり、詠んだりするために用いられます。
「霞む」を使った例文
- 自然現象を指す場合
- 意識、生理現象を指す場合
- 対象の比較に用いる場合
自然現象を指す場合
「千メートル級の山でキャンプを張った。お目当ての初日の出を見るため早朝に起きだしたが、まだ日の昇りきらぬ下界は霞がかかってよく見えず、それだけでもまるで別世界に来たかのようで満足だった」
意識、生理現象を指す場合
「多量の出血により目が霞みはじめ、最後の記憶は救助を求め数十メートル歩いたことだった。次に気がつくと病院のベッドの上で、まだ朦朧とした意識の中でどうやら助かったのだと安堵した」
対象の比較に用いる場合
「2012年に完成した東京スカイツリーは、634メートルという電波塔としては世界一の高さと、基部に設けられた多彩な商業施設で東京の新たな観光名所となった。しかし一方で港区にある東京タワーは、古くからの馴染みの深さや美しい外観などから依然として人気を保っており、その存在が霞むことはない」
「霞む」の対義語
- 「晴れ渡る」【はれわたる】
- 「顕在化する、顕著になる、露骨である」【けんざいかする、けんちょになる、ろこつである】
- 「一目瞭然、鮮明」【いちもくりょうぜん、せんめい】
- 「抜きん出る、傑出する」【ぬきんでる、けっしゅつする】
- 「クリア、ビビッド」【くりあ、びびっと】
「晴れ渡る」【はれわたる】
「晴れる」よりもさらに雲が少なく、どこまでも晴天が広がっている様子のことです。
また「霞む」同様に内面意識にも用いる事ができ、気分がさっぱりした、あるいは疑念や難問が解けてすっきりした、という場合「心が晴れ渡った」「晴ればれした気持ち」などと言います。
「顕在化する、顕著になる、露骨である」【けんざいかする、けんちょになる、ろこつである】
「顕」にはあらわれる、見えるといった意味があり、この語が付く熟語は「顕微鏡」「顕花植物」などとはっきり露出した物事を表します。
「隠顕」の場合には逆に「見え隠れする状態」を指し、「霞む」とよく似た意味になります。
「露骨」は本当に骨が露出している様子ではなく、目に見えてわかるその人物の内面、それも我欲など、相手の気持ちを顧みない醜さを指す場合が多く、よって対象は自分にとってあまり好ましくないものである事がほとんどです。
「一目瞭然、鮮明」【いちもくりょうぜん、せんめい】
「霞む」は隠される、うやむやにされると言った場合にも比喩として使われることがあり、その対義語として考えられるのがこれらの言葉です。
瞭然(りょうぜん)の「瞭」ははっきり見える、明らかであるという意味があり、一目瞭然で一目で判る明解さを表します。
「抜きん出る、傑出する」【ぬきんでる、けっしゅつする】
比較対象がある場合の対義語です。
周りのものから一際目立つ、背が高い、優秀であることを抜きん出る(ぬきんでる)と言います。
また、特に才能、能力で目を引くものは「傑出(けっしゅつ)した存在」などと表現します。
「クリア、ビビッド」【くりあ、びびっと】
英語で霞は“haze”、霞むは“hazy”と訳すので、その対義語としてはこのようなものがあります。
クリア“clear”には明るい、はっきりとした、色に艶が出ている、よく晴れた、という意味があります。
ビビッド“vivid”は溌剌な、真にせまる、生き生きとした様子を表し、同時に明るく鮮烈という意味も持ちます。
自己の内面としてはあまりありがたくない状態ですが、自然の風景がこうなっていれば、これほど情緒あふれるものもあまりありません。
元々文学的側面が色濃い言葉であるせいか、その用法や類語、対義語も非常に多彩で、使い所は多いと言えます。
次に旅をされる機会には、この言葉が持つ意味を噛みしめながら景色を眺めるのもいいかも知れません。