「啓発」の意味とは?類語、使い方や例文を紹介!
社会が情報化し発展するに従って、働く業種も変り種が増え、我々の生き方もまさに十人十色な時代になりました。
しかしそれは、個々が自分に向き合わねばならないという事でもあります。
本項ではそんな時勢に合わせ、巷にあふれているこの言葉を調査していきます。
目次
- 「啓発」の意味とは?
- 「啓発」の類語や言い換え
- 「啓発」の使い方
- 「啓発」を使った例文
- 「啓発」を使った言葉
「啓発」の意味とは?
「対象の、知らない事への教示」を経て「内面の成長、発展を促す」という意味があります。
中国の孔子の言葉を編纂した「論語」に元となった記述が残されており、「啓」には閉じられたものを開く、明らかにする、導くという意味、「発」も同じく内側から開く意味を持ちます。
ここで「知らない事」「内面」という点に着目すると、肉体や単なるスキルの向上というよりは、あくまで生きていく上での意識改革に重点を置いた教えだという事がわかります。
啓を使った言葉には他に「拝啓」「啓蟄」などがありますが、拝啓はつつしんで開き申し上げる、つまり目上の相手の前で、おそれながら(文書を開いて)読み上げる前の口上の名残と言う事ができます。
啓蟄は「立春」と「冬眠する虫」から成り、新たな命が芽吹く春の訪れを表した言葉です。
- 「啓発」の読み方
「啓発」の読み方
「けいはつ」と読みます。
それぞれ一字ずつに分解して見てみると、啓は訓読みでは「ひら-く」「もう-す」と読め、発は音読みで「ホツ」、訓読みで「た-つ」といった他の読み方があります。
「啓発」の類語や言い換え
- 「開眼、開花」【かいがん、かいか】
- 「教化」【きょうか】
- 「説法」【せっぽう】
- 「カウンセリング、洗脳」【かうんせりんぐ、せんのう】
- 「啓発と啓蒙は違うのか」【けいはつとけいもうはちがうのか】
「開眼、開花」【かいがん、かいか】
開眼には「かいがん」「かいげん」と二通りの読みがあり、まず前者は「目が見えるようにする」という物質的な様子や、「ことのあらましや本当の姿がわかるようになる」事や、「ことを上手く進める方法に気付く」のを表します。
「かいげん」については特に仏道において、新しく作った仏像に目を入れ、命を吹き込むような儀式の事を指します。
しばしば縁起担ぎにダルマに目を入れたりしますが、これも「開眼」と呼ばれます。
開花は「才能を開花させる」などと用い、やはり内面の変化を促すという意味があります。
「教化」【きょうか】
教化は相手を教え導く事により、より善い道に向かせるという言葉で、これも一般的な「きょうか」の他に「きょうけ」と読む場合があり、これは特に「仏道に導く」意味があります。
「説法」【せっぽう】
元は仏教用語で、仏教の教義を教え伝える事を指しましたが、そこから転じて単に相手に意見を述べ、理解させる事にも用いられるようになりました。
但しこちらの意味ではあまり日常的に使われる事はなく、元来の意味で「寺社に説法を聞きに行く(仏道の啓発セミナー、と表現する事もできる)」などと用いられる事が大半です。
「カウンセリング、洗脳」【かうんせりんぐ、せんのう】
相手の内面に働きかけ、教え導く事ですが、前者は精神病に苦しむ人々のためのポジティブな行動、後者は自分の意のままに操り、利用するという非常にネガティブな印象を与える言葉と、同じようでいて全く用向きは違います。
啓発と称した悪質な宗教団体の事件がよく見られるのもこの洗脳行為が大きく影響し、洗脳された信者がまた新たに知人友人を洗脳し、という危険もはらんでいます。
「啓発と啓蒙は違うのか」【けいはつとけいもうはちがうのか】
どちらも同じく人を教示する言葉ですが、啓蒙の「蒙」には、愚かだとか無知だとかの意味が含まれており、身分が完全に上の者が、知識をさずけるといった場合を指します。
つまり「啓発」の方が一般的で立場を問わない言葉であり、セミナーなどを開く場合もこちらを用いた方が無難でしょう。
また「インスパイア」や「感化」といった言葉は、結果的に自己を高める点では同じですが、感化された相手が特に能動的に自分を教え導いてくれるわけではないため、類義語としては不適切と言えます。
「啓発」の使い方
意識改革を表す言葉ですから、教えるか教えられるかの相手がいずれにしても必要で、自分で自分を啓発する場合でも、殆どの場合何らかの本などから学ぶ事になります。
「啓発」を使った例文
- 受動的な使い方
- 能動的な使い方
- 書籍などで自己啓発する場合
受動的な使い方
「会社の上司は仕事の進め方に細かく注文を付けてくるが、それは私の将来を思っての事だ。大いに啓発される人物として、今では感謝している」
能動的な使い方
「自転車の走行ルールの意識改善を狙った啓発団体を、今度立ち上げる予定だ」
書籍などで自己啓発する場合
「変な動物がダメ人間を勇気付け、導く物語を読んだ。非常にユニークで面白かったが、これも一種の自己啓発本と言えるのではないだろうか」
「啓発」を使った言葉
- 「啓発団体」
- 「啓発活動」
- 「自己啓発」
「啓発団体」
言うまでもなく啓発活動を行う団体の事ですが、日本ではメディアの取り上げ方の影響が大きいせいか、あまりいい印象を抱かない言葉かもしれません。
啓発を騙った新興宗教団体とその入信者とのトラブルなどはその最たる例ですが、事件になるから目立つのであって、実際には消費者や人権を守る会や、乳がんの危険を訴えるつくばピンクリボンの会など、様々な方法で社会に目を向けてもらおうとする試みがなされています。
また逆の例では、2014年にアフリカのギニアで、啓発団体の数人が殺害されるという非常に衝撃的な事件が起こりました。
これは現地で蔓延する「エボラ出血熱」の被害を食い止めようとしている団体こそが外部からウイルスを持ち込んでいる、と誤解した地元住民によるものでした。
こうした熱意や善意が不幸に転じてしまう結果は残念なものですが、教える側にもされる側にも、相手が信頼できるかどうかの見極めが必要だと言えます。
「啓発活動」
啓発活動を行う団体は無数にありますが、ここでは日本の法務省に例を取って解説します。
法務省では現在主に、「人権尊重」を主眼として、いじめや虐待、誹謗中傷や人種差別の根絶を目的に、様々な冊子や映像、子供向けの平易な教材、シンポジウムによっての啓発を進めています。
またサッカーなどのスポーツ団体やお笑いとも提携する事で、非常に身近な所から自然に人権を学べるような工夫もなされています。
「自己啓発」
自己啓発の一番手頃な手段には、書籍を読む事が挙げられます。
しかし話題になった分粗製濫造も激しく、コンビニなどで安価に入手できてしまう反面、著者の儲けを狙っただけの書籍も散見されるので、注意が必要です。
その他映像を伴うものや、単に音楽だけを流し、サブリミナル効果を狙った教材などもあり、いずれも主なテーマは「生きがい」「仕事への集中力」「良好な対人関係を築くには」「やる気の出し方」などと言った精神面の向上を狙ったものです。
自己啓発のためのセミナーというのもあり、これは例えば「『こうしてはならない』という社会のルールに縛られすぎ、自身の能力を抑え込んでしまっている」人や、「過去の体験から心にブレーキがかかっている」人等に、自身の内面に深く踏み入らせる事で脱却させるという、集団心理療法の一種であるとも言えます。
従って単なる啓発セミナーとの違いは曖昧ですが、「知らない事を気付かせる」啓発セミナーと「気付かせるきっかけそのものを与える」自己啓発セミナー、という点が異なるのではないでしょうか。
「素直に受け入れる気持ち」と「疑う気持ち」、矛盾するようですがこの二つを同時に持たなければ、自分の益にする事は難しいでしょう。
人間は一人では生きていけないのは当然ですが、誰かに依存してばかりでもいけません。
様々な活動がなされている中で、その情報のでどころを見極める必要があります。
また自己を啓発といっても、実際は本を流し読みしたか、誰かの名言に触発されただけのにわか仕込みかも知れません。
いずれにせよ、教えられるだけではなく最終的には自分の中で自分のものにしなければならないのではないでしょうか。