「無慈悲」の意味とは?類語、反対語や使い方、例文を紹介!
「無慈悲」という言葉を聞いたり目にしたことはありませんか?
マフィア映画やギャング映画では、無慈悲な仕打ちが繰り広げられていますよね。
この「無慈悲」について考えてみましょう。
目次
- 「無慈悲」の意味とは?
- 「無慈悲」の類語はなんだろう?
- 「無慈悲」とは、どんなシチュエーションがある?
- 「無慈悲」を使った例文
- 「無慈悲」の反対の意味を持つことばはなんだろう?
- 「無慈悲」を英語でいってみよう
- 「無慈悲」な人の特徴はなんだろう
「無慈悲」の意味とは?
もともとは仏教用語である「無慈悲」とは、思いやりの心がない、あわれみの心がないという意味の言葉です。
「慈悲」とは、いつくしみのある心をいいますが、その「慈悲」が「無い」、つまり、いつくしみを持たないということですね。
- 「無慈悲」の読み方
- 「無慈悲」を知るには、「慈悲」を知ろう
- 日本では、鬼にたとえられる
- 何気なく普段つかている仏教用語はほかにもある
「無慈悲」の読み方
「無慈悲(むじひ)」と読みます。
「無慈悲」を知るには、「慈悲」を知ろう
「慈悲」とは、「無慈悲」とは、反対の意味で、いつくしみ、あわれむ心、または情け深いことをいいます。
このことばを分解して「慈」と「悲」のふたつに分けて考えてみましょう。
「慈」とは、「与楽の心(よらくのこころ)」
仏教では、「慈」は「与楽の心」、つまり、利益と安楽をもたらしてあげたい、つまり利益と安楽をもたらしてあげたいという心をいいます。
親が子へ思う気持ちでいえば、「父の愛」ともいわれています。
「悲」とは、「抜苦の心(ばっくのこころ)
「悲」は、悲しいと書きますよね。
悲しいとは、心が痛んで、泣けてくるような気持ちや、切ない気持ちをいいますが、仏教用語で「悲」とは、他の苦しみを自分の苦しみのように思いやり取りのぞく「抜苦の心」を指します。
食料が不足しているようなときでも自分は食べずに子どもにだけは残り少ない食べ物を与える与えるような行為ですね。
この「悲」は母の愛にたとえられることもあります。
日本では、鬼にたとえられる
思いやりの心がない「無慈悲」なひとを、日本では鬼にたとえたことわざが数多くありますので、集めてみました。
「鬼の念仏(おにのねんぶつ)」
「鬼の念仏」とは、無慈悲で残酷な心を持ったひとが、うわべだけ慈悲深そうにふるまうことや、普段は粗暴なひとが、おとなしそうに、健気(けなげ)にしていることをひやかしていうことわざです。
「鬼の目にも涙(おにのめにもなみだ)」
「鬼の目にも涙」とは、冷酷で無慈悲な人間でも、ときには同情や憐れみを感じて涙を流すというたとえです。
何気なく普段つかている仏教用語はほかにもある
「意地(いじ)」
一般に、自分の考えを通そうと思う気持ち、強情な気持ちの意味で使われています。
「男の意地」というようにも使いますが、だいたいは「意地っぱり」「意地を通す」、だとか、「意地が悪い」などあまり良くない意味に使われることも多いですよね。
実は、この「意地」はもともと仏教用語で、「眼識」「耳識」「鼻識」「舌識」「身識」の次にくる第六番目の「識(しき)」意識(心)のことで、目や耳などの感覚器官が、色や声など、それぞれ別々に認識するのに対し、認識したものすべてを総括して判断し分別する心の働きのことをいいます。
つまり、「意地」とは、「(状況を判断して得た)気持ちや考え」という意味でもあるのです。
「分別(ふんべつ)」
「分別(ふんべつ)」とは、ものの道理をよくわきまえていることや、物事の善悪・損得などをよく考えることをいいます。
「分別のないことを言う」「分別があるひとだから、安心だ」などと使います。
つまり、世間の常識に基づいて、もの事の善悪や条理をきちんとわきまえて判断をするとき、「分別がある」といわれ、世間の常識からはずれると、「分別がない」と批判されたりします。
「分別」とは、もともと仏教用語では、もろもろの現象界のもの事や・でき事と、その背後にある絶対の真理を思量して見分けるする心の働きをいいます。
「無慈悲」の類語はなんだろう?
「無慈悲」とは、思いやりのない、いつくしみの心がないことをいいますよね。
似たような意味のことばを集めてみました。
- 「非情」【ひじょう】
- 「情け容赦もない」【なさけようしゃもない】
- 「血も涙もない」【ちもなみだもない】
「非情」【ひじょう】
「非情」とは、相手に対して冷たく接したり、人間らしい情を持たずに、振る舞いや行いが人道的でないさまをいいます。
感情を持たずに容赦がない、よくいえばクールですが、あまりにクール過ぎてしまえば、それではもう機械になってしまいます。
「黒か白」だけで、そのほかのグレー部分がなければ、人間のやさしさがなくなってしまうのではないでしょうか。
「情け容赦もない」【なさけようしゃもない】
「情け容赦もない」とは、相手への思いやりと情けをかけて寛容にすることが、まったくないようすをいった慣用句です。
「情け容赦もなく働かせる」といった場合は、ひとを苛酷に扱って働かせること、「情け容赦なく始末する」といった場合は、平然と始末することをいいます。
「血も涙もない」【ちもなみだもない】
相手に対して冷たく接したり、言動が冷たく残酷で、人間らしい情が感じられないさまを「血も涙もない」といいます。
人間を含む生き物は血が通い、触るとぬくもりを感じますが、機械はそもそも生命を持っていないし、感情もありません。
まるで機械のように無表情、無感情でいることを表したことばです。
しかし、今ではAI(人工知能)が進化し、機械もそのうちに感情を持つのではないか、といわれていますね。
今後「血も涙もない」は、「血も涙もあるくせに」のような表現に変化するかもしれませんね。
「無慈悲」とは、どんなシチュエーションがある?
「今までビジネスパートナーとして信頼していたと思っていたら、経営が悪化した途端に、情け容赦もなく切り捨てられた」
「サッカーの試合で、強豪チームが弱小チームを『無慈悲』にも20対0で叩きのめした」
「『無慈悲』な利上げを続ける」など、ひと以外にも「無慈悲」を使って表現することもあります。
「無慈悲」を使った例文
- 「『無慈悲』なやつだと思われようが、今回だけは譲れない」
- 「連載していたマンガは、読者投票によって『無慈悲』にも打ち切られた」
- 「美貌を誇っていたあの女優が若作りをしているのが逆に痛々しくみえるよ。時の流れは『無慈悲』なものだ。」
「無慈悲」の反対の意味を持つことばはなんだろう?
「無慈悲」の反対は「慈悲」ですよね。
「慈悲」のあるひとは、他人の間違いを激しく責め立てない、ささいな出来事に気を取られず、いつもおだやかで、周囲への気配りも忘れないし、一時的な感情や、目先の結果などに振り回されて行動を起こすことは決してありません。
自分の偏見や思い込みで、相手によって自分の態度を変えるようなこともしません。
また、困っている人の手助けになるような方法や情報を伝えようとします。
このような意味を持つことばを集めてみました。
- 「慈悲深い」【じひぶかい】
- 「情け深い」【なさけぶかい】
- 「懐が深い」【ふところがふかい】
「慈悲深い」【じひぶかい】
「無慈悲」と反対のことばは、やはり、「慈悲」ですよね。
「慈悲深い(じひぶかい)」とは、自分以外のものをいつくしみ、あわれむ気持ちが深いことをいいます。
「情け深い」【なさけぶかい】
「情け深い」とは、思いやりの気持ちが十分にあって人情味にあふれていることをいいます。
「懐が深い」【ふところがふかい】
「懐が深い」とは、心が広く、包容力があることをいいます。
「懐(ふところ)」とは、衣服を着た時の胸のあたりの内側の部分で、懐中(かいちゅう)ともいいます。
そこから、胸の内の考えや胸中を表すことばとなりました。
「無慈悲」を英語でいってみよう
- "without mercy"
- “heartless”
- “brutal”
- “cold-blooded”
"without mercy"
“mercy”は、「慈悲」という意味です。
つまり、“without mercy”は「慈悲なしに」つまり、『無慈悲」という意味ですね。
“heartless”
“heartless”とは、“heart”(心)が“less”(より少ない)こと、要するに、「薄情な、冷酷な、無情な」という意味です。
人を思うことを人情といいます。
この人情がない、つまり人としての情けや他人への思いやりがないことですね。
“brutal”
“brutal”とは、「冷酷な、残忍な、粗野な、粗暴な」という意味です。
“a brutal murder”は、「残忍な殺人」という意味です。
“cold-blooded”
「冷血の、冷淡な、血も涙もない」という意味の“cold-blooded”。
体温調節能力のない爬虫類などは、“cold-blooded animals”(冷血動物)といいますよね。
要するに、同情やひとを思う感覚が不足していることを指します。
「無慈悲」な人の特徴はなんだろう
リストラ、就職活動、浮気、失恋…「無慈悲」な目にあった経験のあるひとはたくさんいるのではないでしょうか。
企業などのビジネス上では、同情で会社は回りません。
しかし、個人の場合は違いますよね。
思いやりのない「無慈悲」なひととは、どのような特徴があるのでしょうか。
- 自分勝手なひと
- 想像力が足りないひと
- うわべだけで判断するひと
- 見栄っ張りなひと
自分勝手なひと
「無慈悲」なひとは、思いやりがありませんよね。
自分勝手なひとは、自分の利益になることや、興味があることしか関心を持ちません。
自分の考えがすべてで、相手の気持ちや考え方に興味がないのです。
自分のことを話したらそれで終わり。
相手と会話ができませんし、話し相手をすごく不快にさせます。
それでも気にしないのが特徴です。
また、ひとに対しては「無慈悲」なことをしますが、自分がされたら周囲に吹聴してまわりがちなことも特徴ですね。
想像力が足りないひと
なぜ「無慈悲」ひとは、ひとを傷つけるようなことをいったり、そんな態度をするのかというと、「こんなことを言ったら、相手は傷つくのではないだろうか?」「相手を傷つけずに伝えるには、どう言えばいいだろうか?」「こんな態度をとったら、相手が嫌な気持ちになるのではないだろうか?」などと、相手の気持ちや、その結果がどうなるのかを想像する力が低いためです。
要するに、コミュニケーションに関する想像力の欠如のために「無慈悲」になってしまうのです。
うわべだけで判断するひと
想像力が足りないひとは、見た目以上を想像することができないので、自分の目に映ったものだけで判断するので、その背後に隠されたものを見つけられません。
たとえば、愛犬の死に悲しんでいることを押し隠して、ひとまえでは明るくしているひとに対し、「元気そうじゃん。
そうだ、もうペットがいなくなったんだし、海外旅行にいけるね」などと平気で言ってのけるのです。
何に対しても目に映った形だけをみて、その中がどのようになっているのかを探ろうとしないので、思いやりのない「無慈悲」なことばを投げつけるのです。
見栄っ張りなひと
見栄っ張りなひとは、見た目や外観を気にして、実際以上に良く見せようとすのに躍起になります。
プライドが高く、負けず嫌いで自己顕示欲が強いため、常に相手より優位に立つことにばかり気がいくため、相手の気持ちなどに気を払うことがないのです。
権力があるひとにはごまをするくせに、自分より格下と思える相手に対しては見下して「無慈悲」な態度をとるのです。
人間には多面性があります。
身内に対しては慈悲深い行動であっても、それが敵対するものであった場合は無慈悲な行動になるかもしれません。
それが、高じてしまうと戦争になってしまうのです。
全体をとらえた広い心の「慈悲」を持つことができれば、この世から戦争や諍い(いさかい)がなくなるのではないでしょうか。