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「飛んで火にいる夏の虫」の意味とは?類語や使い方、例文を紹介!

ことわざの意味を知ると、とても興味深く、そのことわざや言葉の由来は何処から来ているのだろうかと思ってきます。

「飛んで火にいる夏の虫」ということわざも、その意味や語源が気になってきます。

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「飛んで火にいる夏の虫」の意味とは?類語や使い方、例文を紹介!>


目次

  • 「飛んで火にいる夏の虫」の意味とは?
  • 「飛んで火にいる夏の虫」の類語
  • 「飛んで火にいる夏の虫」の言葉の使い方
  • 「飛んで火にいる夏の虫」を使った例文
  • 「飛んで火にいる夏の虫」の対義語
  • 「飛んで火にいる夏の虫」の語源や実際は?


「飛んで火にいる夏の虫」の意味とは?

よくドラマのセリフや言葉の中で、「飛んで火にいる夏の虫」ということを見たり聞いたりします。

たまに会話の中で使うこともありますが、どのような意味で使われるのでしょうか?

「飛んで火に入る夏の虫」とは、明かりにつられて飛んで来た夏の夜の虫が、火に触れることで焼け死ぬことからから、来ていると言われています。

火のような危ない場所や環境であることと気づかずに、あるいは自ら進んで危険に飛び込んでいくことを例えています。

自分の求めてやった行いや振る舞い言動が、結果としては危ないことだったり、悪い結果の方向につながってしまうことを意味しています。

誰でも大なり小なり経験したことがあるかれませんが、自分が「良いな。」「これは生ける!」と思って取った行動が結果的にわるい方向に向かってしまったことの愚かさを表現しようとしたことわざなのです。

夏の虫は、夜になると燃えて盛る明るい光の方向を求めて飛んで行きます。

しかし、その光は火であって、その中に飛び込んで焼けて死んでしまうので、このような内容になっていったのです。

特に、蛾などの昆虫は、夜、火の回りを飛び回っていても、火の危ないことを知らないので、明るい火の中に平気で飛び込んでしまいます。

人でも、愚かな者としての行動の中で、愚かな煩悩の溜めに、自分の欲に目がくらんでしまった結果、愚かな行為に及んでしまうのかもしれませんね。



「飛んで火にいる夏の虫」の類語

愚かな行為を指している「飛んで火にいる夏の虫」ですが、次のような類義語もあります。

これらの言葉もよく私達の会話の中でも、使われています。

  • 「まんまとやって来る」
  • 「自殺行為」
  • 「年寄りの冷や水」【としよりのひやみず】

「まんまとやって来る」

「まんまとやって来る」という言葉も、「飛んで火にいる夏の虫」と同じ意味として使われることが多いですね。

意味としては、「餌食になる対象が不用意にやって来ること」を言っており、「まんまと誘いにかかる」「相手の思い通りになる」「まんまと罠にかかる」「まんまと誘いに乗る」「カモがネギをしょって来る」というような使い方をすることもあります。

「愚かなやつめ。罠とは知らずに、まんまとやって来よったわい。」

まさに時代劇に登場してくる悪代官の言葉です。

「まんまとやって来たな。ここがお前の年貢の納め時だ。」

「まんまと引っ掛かったな。」

そんなセリフを聞くと、古い言い方なのでしょうか。

「自殺行為」

あまりいい例えではありませんが、「自殺行為」「飛んで火にいる夏の虫」と同じ意味になるでしょう。

読んで字のごとく、「自らを破滅に追い込むような行為のこと」を指しています。

「無謀」「自爆」「自己崩壊」「自殺」「自滅」「自死」「自害」「アポトーシス」「自壊」という言葉にもなります。

「あんな危険なところに行くなんて、まさに自殺行為だよ。」

相手の罠だと知っておきながら、その環境に自ら飛び込んでいくことです。

しかし、あえて思いきった行動を取らなければ、活路が見出だせないということもあるかもしれません。

それでもやはり危険を承知で行くのですから、まさに「自殺行為」としか言えないのです。

「年寄りの冷や水」【としよりのひやみず】

「年寄りの冷や水」も、「自らを破滅に追い込むような行為」のことを言っていますね。

このことわざの意味をそのまま読むと、老人が冷たい水を浴びるように危ない行為や無理な振る舞いをするので、その活動に対しての警告的な意味での言葉でもあるでしょう。

「無理だと分かっていて、あんなバカな行動に出るなんて、年寄りの冷や水のようなものだよ。」

このような使い方になるでしょうか。

「無謀」「自爆」「自己崩壊」「自殺」「自滅」「自死」「自害」「アポトーシス」「自壊」という言葉でも置き換えられます。

「飛んで火にいる夏の虫」の言葉の使い方

「自殺行為」苫で言えるような危険きまわりない環境に身を投じて行くような行為です。

普通なら、中々できることではありませんが、分かっていてこのような行為や活動につながっていくケースの時に、この言葉を使うのかもしれません。



「飛んで火にいる夏の虫」を使った例文

  • 「飛んで火にいる夏の虫」の例文1
  • 「飛んで火にいる夏の虫」の例文2

「飛んで火にいる夏の虫」の例文1

「何とかここまでたどり着いたのだが、これから次の場所まで進軍していくのは、飛んで火に入る夏の虫と言わざるをえない。」

これは戦争が行われている環境下で兵士の間で交わされた言葉。

戦禍が激しくなっている中で何とか今の場所まで進んでくることができた部隊。

ここまでたどり着いただけでも、奇跡としか言いようが無いのですが、これからまたさらに先に進まなければならないのです。

こんな時に、使われる言葉です。

「飛んで火にいる夏の虫」の例文2

「今ここで手をあげて、賛成票に入れてしまうとら飛んで火に入る夏の虫になりかねないな。」

議論をしている最中で、やっと決を取ることになりました。

投票で決めることになったのですが、自分の思惑とは違った案担ってしまい、ここで賛成票を投じてしまうと、おかしな結果になってしまうのでした。

「後から怪しいやつが自分の後をつけてくるが、飛んで火に入る夏の虫とばかりに待ち伏せしていることに気づいていないのか?」

このように、小説でも使われることも少なくありません。

「飛んで火にいる夏の虫」の対義語

危ない橋を分かっていて渡る「飛んで火にいる夏の虫」

このことわざの対義語として、次のことわざが当てはまるでしょう。

  • 「石橋を叩いて渡る」

「石橋を叩いて渡る」

「石橋を叩いて渡れ」とか、「石の橋も叩いて渡れ」とも言うことがあります。

面白いことに、このことわざが転化してきて、「石橋を叩いても渡らない」「石橋を叩いて壊す」などの変則的表現もあるほどです。

強固な石でできた橋は、壊れることがありません。

そのようなない強固な石橋でも、一応叩いて安全性を確かめて渡ることから、用心し過ぎるほど用心深くなることを指しています。

また、過度に慎重な人や臆病な人に対する皮肉場合でも使います。

「石橋を叩いても渡らない」は、「用心深くなりすぎて失敗する」を意味しており、 「石橋を叩いて壊す」は、「用心に用心を重ねたのに結局実行しない」という意味になります。

あまり慎重過ぎるのも、どうかと思いますが。

「飛んで火にいる夏の虫」の語源や実際は?

夏の夜に飛び回っている虫は、火を光としか思っていません。

まさか火とは、思っていないのです。

夜、虫が光へ向かって飛ぶ習性がありますが、まっすぐ飛ばずに光の周りをグルグルと回り飛び込んいくことをよく見かけることと思います。

これは光が強すぎることによって、虫が方向間隔を失っているからですが、通常、虫は太陽光、月・星の明かりを感じて飛んできます。

昼間では、太陽光の光源が遠い距離にあるために、光の左右を感じる部分に光が同じ方向から当たることから、その結果、飛ぶ方向を決めてまっすぐ飛んでいます。

しかし、夜に灯される電灯や火は、光源が近くて、ちょっとした動きで左右の目に入る光の方向が変化するのです。

そのために、虫は方向性を見失ってしまい、光の周りをグルグルと回り最終的に火の中に飛び込んでしまうわけです。

昔より近代までは、多くの場所で、明かりと言えば、夜の月明かりや星の明るさ以外で、明かりとするものがありませんでした。

このことから、ほとんどの昆虫は火を明かりとして見る機会がなかったのだと思われます。

今のような電気的な明かりは、昆虫の周りに登場し普及してきたのは、歴史的に振り返ってみても、ごく最近のことなのです。

しかし、太古の昔からほとんどの昆虫は、火を見たり感じて生きている機会もなく、本能的に学習することはなかったはずです。

いきなり強すぎる光に目がくらんで飛び込んでしまうのですが、目がくらまないようになったら、ほとんどの夜行性昆虫が太陽や月の光を頼りに飛ぶことができなくなり、ほとんどの昆虫は、子孫を残すことができなくなるはずです。

遺伝子的には、火に飛び込むような習性があったとしても、行きながえるためには、それなりの進化や変化が出てくるようになってくるかもしれません。

しかし、肝心の人間の方は、学習能力が虫と比べてあるにもが変わらず、欲に負けてしまい、愚かな自殺行為をしてしまうこともあるかれません。

icon まとめ

「飛んで火に入る夏の虫」の意味を調べていくうちに感じることは、危険なことと知りながら、どうしてそのような危ない場所に足を向けていくのかという疑問です。

普通なら、危ないところに行かないことが、賢明な判断のばずたがらです。

それなのに、危険な環境に向かって飛び込んで行くことは、余程バカな人なのか、どうしてもそうせざるをえないということがあるような気がしてなりません。

このことわざを使う時には、人が欲に目がくらんでしまって、相手の罠にひっかかってしまうというケースは時々あるでしょう。

そのようなケースは、本当に冷静な判断力がない人か、その力をうしなっている時でしょう。

しかし、頭脳明晰な人や冷静に判断できる人でも、「飛んで火にいる夏の虫」的な行動をする人もいるでしょう。

これは、そのように行動せざるをえないことかもしれません。

少しだけ本文内で触れましたが、とても乗り越えられそうもない難題の大きなハードルを目の前にして、どうしても厳しい環境に飛び込まなければならないということがあるかもしれないのです。

あえて飛び込むことで活路を見つける。

「座して死を待つより」、何か行動して不可能な状態を可能な状態にするという可能性に賭けるという場合もあるでしょう。

このような行動は、一見「飛んで火に入る夏の虫」のように写りますが、奇跡を呼び起こすことになるかもしれません。