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「ほとぼりがさめる」の意味とは?使い方や例文を紹介!

サスペンスもののTV番組を見ていると、「ほとぼりが冷めたら、犯人は、必ず、現場にもどる」と、初老の刑事が、殺人事件の捜査本部の会議の場で、頑として言い張るシーンが、よくでてきます。

事実、現場に舞い戻った容疑者が、くだんの刑事と事件の証拠をめぐって、話は急展開し、解決へと向かうのですが、この「ほとぼり」とは、一体、何なのでしょうか。

ほとぼりがさめる

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「ほとぼりがさめる」の意味とは?使い方や例文を紹介!>


目次

  • 「ほとぼりがさめる」の意味とは?
  • 「ほとぼりがさめる」と似た言葉や類語
  • 「ほとぼりがさめる」の言葉の使い方
  • 「ほとぼりがさめる」の例文
  • 「ほとぼりがさめる」の対義語や反対語
  • 「ほとぼりがさめる」のほとぼりとは?


「ほとぼりがさめる」の意味とは?

「ほとぼりがさめる」の意味とは?

漢字では、「ほとぼり」「熱り」または、「余熱」と書きます。

もともとは、火を落とした後のかまどに残る余熱や、ろうそくを消した後に、ほのかに残る暖かみを「火通り」(ほとほり)、あるいは、「火点り」(ほとぼり)と言っていたことに由来する言葉です。

この「余熱」「暖かみ」を、人間の気持ちにおける「熱気」つまり、感情の高まりや、物事に対する関心の度合いについて、「それについての関心は冷めている」「関心は冷めていない」というある種、評価をするような方向で、使われるようになり、「ほとぼりが冷める」「ほとぼりが冷めない」という言葉が生まれました。

もっとも、「ほとぼりが冷めない」は、普通「ほとぼり冷めやらず」という言葉に、言い換えています。

それで、「ほとぼりが冷める」の意味は、「事が終わってからも、何かしら尾を引いて残っているままだった、高まった感情や収まらない興奮が、次第に落ち着いてきて、日頃の平静さを取り戻してきたあり様」を表す言葉です。

また、「様々な事件や芸能人のうわさ話などに対する、世間の人達の関心や興味が、次第に薄れてきたあり様」を表す言葉でもあります。

なお、そのものズバリに「まだ、残っている熱。余熱」と、事実そのものを指す意味もあります。

ところで、「ほとぼりがさめる」期間ですが、これは、もうケースバイケースでしか仕方ないだろうと思われます。

問題や事件がセンセーショナルで、あればあるほど、冷める期間も長くなるでしょうし、些細なことであれば、一晩も経てば、何事もなかったかのように普通にもどるでしょう。

いずれにせよ、新たな火種を作らないようにして、できれば鳴りをひそめて(「もの音を立てずに静かにすること」「表立った活動を休止していること」じっとしていることが、一番の得策です。

  • 「ほとぼりがさめる」の読み方

「ほとぼりがさめる」の読み方

「ほとぼりが、さめる」と、読みます。



「ほとぼりがさめる」と似た言葉や類語

「ほとぼりがさめる」と似た言葉や類語

「ほとぼりがさめる」という意味で似た言葉や類語を探すのと「ほとぼりがさめるのをまつ」で探すのとでは、当然、違いますが、意味の内容的には、似てきますので、混在した形で記載しています。

  • 「凋落する」【ちょうらくする】
  • 「失速する」【しっそくする】
  • 「熱気が収まる」【ねっきがおさまる】
  • 「嵐が過ぎるのを待つ」【あらしがすぎるのをまつ】

「凋落する」【ちょうらくする】

草木の葉がしぼんで落ちることから、転じて、今まで盛んであったものが、おちぶれていくことを意味しています。

「ほとぼりがさめる」のような、関心が薄れ、平静さを取り戻してくるようなこととは、ニュアンスが、少し違う言葉遣いにはなりますが、しかし、ビッグニュースだった事柄が、世間の関心事から忘れ去られ、次第に薄れてきて、やがて消滅していく点では、よく似ている言葉です。

その意味では、物事の勢いが悪くなる、落ち着いてくるという意味をもつている「下火になる」という言葉も、同じような関係で、似た言葉のひとつと言えそうです。

「失速する」【しっそくする】

飛行機が、飛行中に、気流や機体の状態などから、急に浮力を失い、飛行に必要な速度を失うこと(ただし、即、事故に直結するものではなく、旋回する際などには、逆に、利用する力です)を言いますそこから、物事が、急速に低下、衰退する意味で使われます。

(ほとぼりが冷める)ほど、ゆったりではありませんが、勢いを失う、徐々に衰退するように下降線を描くのは同じです。

「熱気が収まる」【ねっきがおさまる】

世間の興奮や盛り上がり、関心といったものが、徐々にうすれてくる様子を表した言葉です。

(ほとぼりが冷める)と同様に、世間の関心の度合いや高まり、深さが、時と共に、薄らいでくる様子を表した言葉です。

「熱気が収まるのを待つ」としても、世間の目が薄くなるのを待つという意味で、似通っていますので、使いやすい方で文章に取り入れるのも良いかと思います。

「嵐が過ぎるのを待つ」【あらしがすぎるのをまつ】

嵐、つまり世間のうわさや関心、興味、など、煩わしいもの全てを「嵐」の一文字に込めて、後は、ひたすら「首をすくめ」(くびをちぢまらせ、ちいさくちぢこまること)「頭を低くして」うわさや関心、興味などが、通り過ぎるのをひたすら待つのです。

待つ期間は、まちまちですが、必ず嵐は過ぎ去ります。

それまでは、忍の一字です。

「ほとぼりがさめる」の言葉の使い方

「ほとぼりがさめる」の言葉の使い方

うわさや事件、出来事などに対する、世間の人々の反応、関心の度合いなど、ある意味では、週刊誌ネタになるような内容に対して、使う言葉です。

言葉的には、フランクな言葉の部類に入りますから、正式な報告文書や記録文書などには、使わない方が、無難な言葉です。

従って、(ほとぼりがさめる)の表現を使うような場面が出てきた場合には、表現は固くなりますが「次第に、沈静化の方向に向かっている」などの言葉に、書き換えておく方が、正式文書では大事だし、重要な文書点検のポイントの一つだと思います。

個人的なレベルでも、もちろん十分に使えますが、どちらかというと、個人の感情より不特定多数の人物の感情の傾向や方向に対して使う方が、収まりがよいと感じられる言葉です。

最近、政治家の間で起きた不祥事に対して、みそぎとか「ほとぼりを冷ます」とかいう言葉が使われることがあります。

ほとぼりを冷ます=不祥事の消滅、のようになっていることがありますが、もちろん、間違いで、あくまでも世間の関心やうわさ、雑音が消えるのです。



「ほとぼりがさめる」の例文

「ほとぼりがさめる」の例文

世間の多くの人々の場合と、個人の感情の場合、よく使われる犯罪の場合の例をあげます。

  • 「ほとぼりがさめる」の例文1
  • 「ほとぼりがさめる」の例文2
  • 「ほとぼりがさめる」の例文3

「ほとぼりがさめる」の例文1

「世間を驚かせた昨年の事件も(ほとぼりが冷めた)様子で、街全体に明るさが感じられるようになりました」

「ほとぼりがさめる」の例文2

「先日、娘に、夜遊び禁止を命じた口論の(ほとぼりがさめた)ようで、ようやく、態度が軟化してきました」

「ほとぼりがさめる」の例文3

「ほとぼりがさめた時点で、被疑者は、また、夜間に侵入を企てたようで、西側非常口ドアのカギが壊されていました」

「ほとぼりがさめる」の対義語や反対語

「ほとぼりがさめる」の対義語や反対語

対義語や反対語を、あれこれと理屈づけたり、詮索せずに、ただ単純に「ほとぼりがさめない」の方向で、言葉を探し、二、三紹介します。

  • 「ほとぼり冷めやらぬ」 【ほとぼりさめやらぬ】
  • 「頭打ちになる」【あたまうちになる】
  • 「再燃する」【さいねつする】

「ほとぼり冷めやらぬ」 【ほとぼりさめやらぬ】

ほとぼりが、今だ、完全には冷めきっていない状態を言います。

まだ、世間はそのことに関する興味・関心を完全には失っておらず、あちらこちらで、種々雑多の声が聞こえる現状を表しています。

つまり、へたに動くと、再燃しかねない状態を言います。

また、野球場を例にとれば、ほぼ多くの観客は帰ったのに、まだ、あちこちで、万歳の声や「〇〇最高」などの声が聞こえてくるような状態をいいます。

まだまだ、所々で勝利の余韻に浸っている集団が存在しており、きっかけさえあれば、もとの興奮状態に、すぐにももどりそうな雰囲気にある状態を指します。

ある面、危ういバランス感覚で、立ち上がっているのかもしれません。

「頭打ちになる」【あたまうちになる】

「頭打ちになる」とは、「相場が、それ以上は、上がらなくなること」を意味しています。

その意味から転じて、勢いや階級などが、それ以上は強くならない、あがらないことを意味します。

そこで、世間の関心やうわさが頭打ちになる。

つまりは、伸びない、高まらないことを表す言葉になるので、意味的には(ほとぼりがさめない)の対岸に位置する言葉となるので、対義語としてあげています。

「再燃する」【さいねつする】

再燃とは「一度消えた火が、また燃え出すこと」を意味する言葉です。

また、そのことから派生して「収まっていた物事が、また問題になること」を指しています。

ようようのことにして、ほとぼりが冷めかけたのに、不用意な何気ない一言や、新たな事実の発覚、証拠品の発見などによって、一度は、迷宮入りしかけていた事件が、新たな解決への糸口を求めて動きだし、運悪くも再出発することを言います。

「ほとぼりがさめる」のほとぼりとは?

「ほとぼりがさめる」のほとぼりとは?

大きく三つのことに、分けられます。

一つ目は、まだ、冷め切らずに残っている熱気、ほのかに残っている熱さのことを言います。

例えば、BBQの後片付けをした時に、バーベキューコンロや焼き網に、まだ残っているほのかなぬくもり、余熱のことを「ほとぼり」と言います。

二つ目は、高ぶった感情が、まだすっきりとはさめやらず、尾を引いて残っていることを言います。

好きな歌手のコンサートでの興奮が、帰りの電車の中でも、まだ続いているのがほとぼりが冷めていない状態です。

彼と別れて3年も経つのに、何かにつけて思い出すのも、今だほとぼりが冷めていない証拠です。

三つ目は、刑事事件や週刊誌を賑わしたような事件などに対して、いまだに残る世間のうわさや関心の具合をいいます。

icon まとめ

「ほとぼりがさめる」「ほとぼり」は、基本的には、良くないこと、悪いことを指すのが、普通です。

ある種の犯罪の中で、容疑者が「ほとぼりがさめるまで、地下に潜ろうと考えていました」などと答える際に、よく口にするのが、「ほとぼり」という言葉です。

しかし、芥川龍之介の「倫盜」の中では、阿漕が、羅生門の桜上にたたずんで、京の町の夕暮れを眺める場面で「町をめぐる山々も、日中の(ほとぼり)を返しているのであろう、おのずから頂をおぼろげな月明かりにぼかしながら」と、日差しの暖かさを指す描写を取り入れています。

さすがに、当代切っての文豪が使うと格調高くなるから不思議です。

ほとぼりという、やがては消えて行くほのかに残ったぬくもりを、世間の関心やうわさ、興味など、「人のうわさも七十五日」じゃありませんが、消えゆくものでたとえた日本語のすばらしさに感心させられます。