「どやされる」の意味とは?方言?類語、反対語や使い方、例文の紹介!
言葉には色々な種類のものがあります。
ことわざや四文字熟語の言葉は、人の心理状態を指すものから、物事の状況を比喩的に表現するものもあります。
また、普通に使われる言葉でも、状況や状態を示している意味を持つ言葉や、人の気持ちを高めたり、萎縮させてしまう言葉まであります。
その中で、「どやされる」という言葉を時々、耳にすることがあります。
目次
- 「どやされる」の意味とは?
- 「どやされる」の類語
- 「どやされる」の使い方
- 「どやされる」を使った例文
- 「どやされる」の語源
「どやされる」の意味とは?
普通に人と会話をしている中で、耳にするのが、「どやされる」です。
「お前なぁ。あんまりぼんやりしていると、親っさんから、どやさせるど。」という言葉を聞いたことがないでしょうか?
「どやされる」とは、「どやす」の受身形の言葉となっています。
意味としては、「激しくどなられたり、叱られたりする」という意味になるでしょう。
「起こられる」という意味にもなりますが、「お客さんに舐めた口をきいてたら、店長にどやされるど」のような言葉は、日常茶飯事かもしれません。
意味としては、「お客さんに生意気な口をきいてたら、店長に叱りとばされるぞ」となります。
「どやす」、「どやされる」は、奈良から来ている方言とも言われていますが、この言葉は、「怒られる」という意味では、広く関西圏で使われているの方言になるでしょう。
大阪の方言として使われる場合、「打つ」や「殴られる」という意味も含まれています。
楽屋の隠語としても、使われらことがあるようですが、「えらいどやされた」となると、飲みに行ってあまり思っていなかったほどに料金が高くかかったり、一緒に行った仲間にたかられてお金を使い過ぎて散てしまったような意味もあります。
最近では、関西弁がメジャーで全国区になったのか、関東圏でも、時々使かっている人がいます。
「どやされる」の類語
「どやされる」というのは、「怒こられる」という意味がありますが、他にも次のような類義語があることから、幅広い意味が含まれていることが、理解できるでしょう。
- 「絞られる」【しぼられる】
- 「叱責される」【しっせきされる】
- 「雷を落とされる」【かみなりをおとされる】
「絞られる」【しぼられる】
「絞られる」とは、緩い紐をきつく縛っておくような印象がありますが、「どやされる」に近い意味があります。
これは、「叱られる」や「怒られる」という意味もありますが、弛んだ精神を「叩き直される」という意味の方がちがいないかもしれませんね。
「紐をきつく縛る」という言葉からは、と、弛んでいる気持ちをしっかりと締めることを指しています。
「しっかりと気を引き締めて。」と言われる人がいますが、「あなた、今、気が弛んでいるから、しっかりとしなさい!」とでもなるのかもしれません。
子供の頃に、いたずらばかりして、先生に「しっかりと絞られた。」のようなことを経験した人もいると思います。
この時の「絞られる」は、「叱られて、厳しい指導を受けた」となります。
部活の練習でも「しっかり絞られた。」と使われることがありますが、「厳しく練習指導を受けた」となり、「どやされた」とは、かなり意味合いが異なってきますが、「どやされる」=「叱られる」と同じニュアンスで言われることが多いですね。
「叱責される」【しっせきされる】
「叱責される」(しっせきされる)も、「どやされる」の類義語と言えます。
「こっぴどく叱られる」、「ひどく叱られる」、「厳しい指導を受ける」「手ひどく叱られる」、「大目玉を食らう」、「一喝される」、「大喝される」という意味になるでしょう。
ある意味、「どやされる」の標準語的な言葉が「叱責される」ということになるでしょう。
「上司にえらく叱責されてしまった。」
仕事で致命的なミスをおかしてしまい、上司から、厳しく叱られたというケースで使われることがあります。
学校でも先生から「授業態度が悪くて、職員に呼び出されて、きつく叱責されてしまった。」ということでも使われるでしょう。
「雷を落とされる」【かみなりをおとされる】
「雷を落とされる」も「どやされる」に似たような意味があります。
「大声でどなりつけられる」という意味になります。
「雷が落ちる」となると、「雷の直撃を受けること」や「雷に打たれる」、「雷撃を受ける」、「落雷を受ける」と、本当な落雷に遭ってしまった意味にもなりますが、「雷が落とす」や「雷が落とされる」となると、自分の引き起こした失敗や出来の悪さに対して、「ひどく叱られること」や「絞られる」、「怒られる」、「戒告を受ける」という意味になってきます。
古い言葉の中に、「地震・雷・火事・親父」がありますが、世の中でとても怖いものを、七五調で並べた言葉です。
今では、存在感が薄くなってきた父親も、昔は、とても怖い存在でした。
そんな怖い父親に、怖い例えの「雷」が合わさって、「雷親父」という言葉が生まれたほどです。
それだけに、「雷」も怖い存在の例えでした。
雲の上から恐ろしい鬼が「雷を落とす」ことが、「悪いことをした人に対して怒ること」を意味していたのですが、ここからも「雷を落とされる」という意味は、「叱られる」になったのです。
「どやされる」の使い方
「どやされる」は、「叱られる」や「怒られる」という意味があります。
そのような意味から、悪いことをしている人に使ったり、気の緩んだ人に対して使われることがあります。
「どやされる」を使った例文
では、「どやされる」とは、どのような場面で使われるでしょうか?
- 「どやされる」の例文1
- 「どやされる」の例文2
「どやされる」の例文1
「おなえなぁ。あんまり手を抜いていると、親っさんから、どえらくどやされるぞ。」
こんなふうに言われたのは、ラーメン店で修行している青年です。
このお店は、多くのファンが集まるラーメン店。
とても美味しくて、評判の高いお店です。
昼の食事時ともなると、何十人ものお客さんが行列をなして、待っています。
夜もいつも満杯なのですが、それでも長い時間待っていて、食べたいと思うお客さんがひっきりなく集まってくる盧ですから、本当に美味しいのです。
それだけお店のマスター(親っさん)は、ラーメン作りでは、スープの出し取りから、製麺まで、長い研究の結果、編み出したラーメンです。
味へのこだわりが強いので、ラーメン店に修行に来ている弟子に対しても、とても厳しいのです。
その結果、何人もの弟子が巣だって巣立っ行ったり、辞めいく若い弟子もいました。
半年前から弟子になった20歳そこそこの青年。
世渡り上手なのですが、手を抜く癖があるのが悪い点。
先輩の兄弟子から、そのことを疲れて、「親っさんから、どやされるぞ!」と忠告されたのです。
案の定、この青年、適当な修行をしていたことに、後からマスターから、厳しく叱責されたのです。
「どやされる」の例文2
「今の学力だと、志望校はおろか、滑り止めの高校も合格できないよ。
このままだだと塾の先生からもどやされるぞ。」と親からも兄貴からも言われた受験生。
普段の成績が決して悪くはなかった受験生なのですが、自分の学力に油断したのか、全く試験勉強をしていませんでした。
そして、模擬試験で予想だにしなかった成績で、レベルが低下していることに、本人も驚いていたのですが、父兄もショック。
完全に油断していたのです。
このままだと、塾の先生からも、ひどく叱られることにもなります。
これから巻き返しをする最後の踏ん張りを見せなければならないのです。
「どやされる」の語源
「どやされる」は、「どやす」の受け身的な言葉であることは、前述の通りです。
「叱る」や「怒る」の意味である「どやす」。
「どやす」は、奈良からの言葉とも言えるのですが、「怒鳴る」ということから来ているものと思われます。
「怒鳴る」=「どやす」の「ど」に「やす」が、プラスされた言葉と考えます。
語尾の「やす」は、京言葉の「やす」と判断できるでしょう。
京都では、「いらっしゃいませ。」を「おいでやす。」
と表現しますが、この時の「やす」が、「どやす」というふうになったのかもしれません。
「どやす」という言葉が変形した「どやされる」となって、関西圏では、関西弁として使われるようになってきました。
「ボケっとしとったら、どやされるど。」
(ボケっとしていたら、叱られるぞ。)
こんなふうに、他人から厳しい突っ込みを受けてしまうことになるでしょう。
でも、標準語で「叱責される」となると、同じ「叱られる」という意味でも、何故か冷たく冷静に指摘されているような感じがします。
しかし、「どやされる」時くと、不思議と何処か暖かい印象さえ受けてしまいます。
「お前なぁ。今のままでは大将から、どやされるぞ。」
(お前なぁ。今の状態だと、大将から、こっぴどく叱られるぞ。)
という意味になりますが、何処か「愛ある教育的指導」を受けている印象さえないでしょうか?
それほど関西弁には、優しい印象みたいなあるのです。
「どやされる」には、「殴られる」という意味もありますが、関西弁では、「どつかれる」という言葉が使われることもあります。
「殴られる」となると、かなり暴力的な感覚がありますが、「どつかれる」という言葉を使うと、何処かギャグ的なユニークな印象も覚えてしまいます。
それだけ、「どやされる」も一種独特の言葉の暖かみが含まれています。
それでも、言葉は人の心や気持ちを震わせたり、気持ちを高揚させてくれる効果もあります。
そのもうな意味でも、「どやされる」は、弛んだ気持ちを持った人を発奮させる力があるのかもしれません。
「どやされる」の使われ方でも説明しましたが、単純に相手も「叱り飛ばこと」や、「罵倒する」ように一方的にきつく言葉で責めるのではなく、ある意味、励ますための言葉として使われるのではないと思うのです。
あくまで、人を厳しい指導で、成長して欲しいと思う願いから、「どやす」のかもしれません。
厳しく叱る側の人も決して好きで「どやす」わけではありません。
その人の成長を期待して「どやす」のですから、この言葉を言われた人も、もうひと踏ん張りして、ステップアップを目指して欲しいものです。