「天の時・地の利・人の和」の意味とは?漢文や訳を紹介!
「天の時・地の利・人の和」という故事成句をご存じですか。
「天、地、人」で全ての世界を言い表せてしまう壮大さから、なかなか普段使い慣れないことわざかもしれません。
しかしことわざの深い意味を味わうことは、人生の役に立つように活かせることに繋がるものですので、ご紹介していきます。
目次
- 「天の時・地の利・人の和」の意味とは?
- 「天の時・地の利・人の和」を分解して解釈
- 「天の時・地の利・人の和」の原文
- 「天の時・地の利・人の和」に関する言葉
「天の時・地の利・人の和」の意味とは?
「孟子」という書物のなかの「公孫丑(こうそんちゅう)」のくだりが出典です。
戦略が成功する3つの条件について表しています。
- 「天の時・地の利・人の和」の読み方
「天の時・地の利・人の和」の読み方
「てんのとき・ちのり・ひとのわ」と読みます。
「天の時・地の利・人の和」を分解して解釈
春秋戦国時代の有名な人物・孟子のことを記した「孟子」という書物の、「公孫丑」というくだりに、「天の時は地の利に如(し)かず。地の利は人の和に如かず。」とあるのが、以来人々によく使われて、日本で「天の時・地の利・人の和」ということわざになりました。
あまりにも昔のことですから、現代人にはわからない感覚もありそうです。
一語一語、分解して説明していきます。
- 「天の時」
- 「地の利」
- 「人の和」
「天の時」
「天の時」は、天の与える機会を指します。
「天の時・地の利・人の和」のもととなる漢文が載っている、「孟子」のなかの「公孫丑」のくだりにおいては、城攻めの際、当時の慣習にのっとって吉凶などを占うなどして入念に導き出した、攻撃のためのベストタイミングのことをいいます。
「地の利」
「地の利」は有利な地理的条件のこと、ひいては地理的な条件が有利に働くことを指していいます。
現代でも、「地の利を得る」というふうによく使われます。
「人の和」
「人の和」とは、人々の一致団結を指します。
「孟子」のなかの「公孫丑」においては、正しい道理に適った者たちが、正しい道理を欠く者を攻めるのに助け合う一致団結を指します。
「天の時・地の利・人の和」の原文
「天の時・地の利・人の和」ということわざの原文が載っている、「孟子」という書物は、孟子の一通りの活動後、弟子の公孫丑らとともに、その活動語録を編纂したものだといわれます。
- 「天の時・地の利・人の和」の漢文
- 「天の時・地の利・人の和」の訳
- 「天の時・地の利・人の和」の日本語読み下し文
- 「天の時・地の利・人の和」と孟子の思想
- 「孟母三遷」【もうぼさんせんのおしえ】
「天の時・地の利・人の和」の漢文
孟子曰、天時不如地利、地利不如人和。
三里之城、七里之郭、環而攻之而不勝。
夫環而攻之、必有得天時者矣。
然而不勝者、是天時不如地利也。
城非不高也、池非不深也、兵革非不堅利也、米粟非不多也。
委而去之、是地利不如人和也。
故曰、域民不以封疆之界、固國不以山谿之險、威天下不以兵革之利。
得道者多助、失道者寡助。
寡助之至、親戚畔之。
多助之至、天下順之。
以天下之所順、攻親戚之所畔。
故君子有不戰。
戰必勝矣。
「天の時・地の利・人の和」の訳
孟子はこうおっしゃった。
「天の与える良い機会は土地の情勢の有利さより素晴らしくはない。
土地の情勢の有利さは、人々の心の一致より素晴らしくはない。
三里平方の内城で七里平方の外城の敵を、包囲して攻めたが勝てない。
包囲して攻める際には吉凶を占い、必ず攻めるのにふさわしい、天の恵みと思える良い機会をうかがっているはずである。
それなのに勝てないのは、天の恵みと思える良い機会が地理を土地の情勢の有利さより素晴らしくはないからである。
城壁が高くないのではないのだ。
堀が深くないのではないのだ。
兵の武具が鋭くなく、硬くないのではないのだ。
食糧が足りないのではないのだ。
しかし、これを棄て去って、退却するということは、土地の情勢の有利さは、人々の心の一致による団結より素晴らしくはない。
それゆえ、『民を国境によって出入り規制することは不可能で、国境を山川の険しさによって守ることは不可能で、国々を軍事力で威圧することは不可能である。』という言葉がある。
正しい道理に適った者が、得られる援助が多い一方で、正しい道理を見誤っている者は、少ない援助しか得られない。
援助が少ない者というのは、結局親戚に背かれる。
一方、援助が多い者というのは、ついには世間までが合わせて動いてくれるのだ。
世間までが合わせて動いてくれることを用いて、親戚に背かれる者を攻めるものである。
だから、正しい道理に適った者は戦わない場合もある。
正しい道理に適った者が戦うなら必ず勝つだろう。」と。
「天の時・地の利・人の和」の日本語読み下し文
孟子(もうし)曰(い)はく、
「天の時は地の利に如かず。
地の利は人の和に如かず。
三里の城、七里の郭、環りて之(これ)を攻むれども勝たず。
夫(そ)れ環りて之を攻むれば、必ず天の時を得ること有り。
然(しか)れども勝たざるは、是れ天の時地の利に如かざればなり。
城高からざるに非(あら)ざるなり。
池深からざるに非ざるなり。
兵革堅利ならざるに非ざるなり。
米粟多からざるに非ざるなり。
委(す)てて之を去るは、是れ地の利人の和に如かざればなり。
故に曰はく、『民を域(かぎ)るに封疆(ほうきょう)の界(さかい)を以(もっ)てせず、国を固むるに山谿の険を以てせず、天下を威すに兵革の利を以てせず。』と。
道を得る者は助け多く、道を失ふ者は助け寡(すく)なし。
助け寡なきの至りは、親戚も之に畔(そむ)き、助け多きの至りは、天下も之に順(したが)ふ。
天下の順ふ所を以て、親戚の畔く所を攻む。
故に君子戦はざること有り。
戦へば必ず勝つ。」と。
「天の時・地の利・人の和」と孟子の思想
孟子の「子」は「先生」という意味です。
孟子は諸子百家と呼称される学者の大家として、戦国時代の諸侯に意見したり、もてなされたりして生きていたとされています。
現代では教育ママという意味の「孟母三遷」という四文字熟語でも知られる孟子は、勉強してばかりのイメージが強い人物です。
孟子は「教育ママ」の母(「孟母」)から自立し、儒家の大成者として知られる孔子の孫の元でさらに学びました。
そんな孟子の思想は、人間の本質は生まれながらに善であるという性善説や、易姓革命でも有名です。
「孟母三遷」【もうぼさんせんのおしえ】
「孟母三遷」は、受験戦争が一般化した現代でも、時々使われる故事成語です。
頭が良いことで知られる孟子の母が、孟子を育てるにあたり、教育のため短期間に2度も引っ越した、というお話で、実話かどうか不明ながらも、孟子の勉強熱心な人生をよく言い表している言葉と言えます。
孟子とその母が、当初、墓地前に住んでいたところ、孟子が不謹慎にもお葬式の真似をし始めたため、孟子の母は、「これじゃ教育に悪い。」と即座に、子の頭が活発になって賢い子になることを目論んで、生活に関わる人の出入りの多そうな市場前に引っ越した、しかし今度は子がそこの商人の真似をし始め、その中の悪い者のことを真似しかかったので、孟子の母は再度即座に引っ越し、ついに学問所の前にまで至ったところ、やっと孟子が学問所の学問の真似をし始めたのでそのまま暮らした、というお話です。
江戸時代の日本では既に孟子の思想はよく知られていて、「おっかさん又越すのかと孟子言い」という川柳が生まれたほどでした。
「天の時・地の利・人の和」に関する言葉
他に「天の時・地の利・人の和」に関する言葉には何があるでしょうか。
- 「天地人」【てんちじん】
「天地人」【てんちじん】
天と地と人という、世界を形成する3つの要素・働きをあらわす言葉です。
転じて、宇宙の万物をあらわすとされます。
さらには、飲食店でのメニューの「松・竹・梅」のように、物の3つの序列やランクなどを表す言葉ともされます。
「天の時・地の利・人の和」とは、一見どれが欠けても駄目なようですが、現代を生きる人にとっては、人の和だけが大事、と肝に銘じておけばいいと諭すことわざともとれます。
家庭でもビジネスでも、正しい道理に適った者どうしが助け合う指針で、仲良く協調していけるなら、どんなリスクからも難攻不落と言えるでしょう。