「絵に描いた餅」の意味とは?読み方や類語、使い方や英語、反対語を紹介!
お正月のお餅を始めとして、お祝い事がある度に、祝い餅をつくのが、古くからの日本の習慣です。
満一歳の誕生日には、一生食べることに困らないようにと、「餅踏み」といって、草鞋をはいて、紅白の餅を踏む儀式を行います。
もちろん、まだ、十分には歩けない子どもが、ほとんどですし、全く歩けずはいはいするのが、やっとの子どももいます。
それで、親が、両脇を支えてあげて、歩く真似をさせます。
その際に使う餅は、「一生」と「一升」とをかけた、必ず「一升餅」でなければいけません。
赤白の餅を、それぞれを五合餅として搗きあげるのです。
さらには、餅を踏む際の歌もあるようですが、詳しいことは、餅屋さんが、ご存じです。
また、新築の家に、棟木が上がったら、「棟上げ」といって、大工仕事を中断し、餅をまきます。
その際に、隅餅といって、他より二回りほど大きい餅を、新築する家の大きな四つの角(できるだけ東西南北になるように)から、播きます。
結婚式に、餅を搗く所もあります。
餅は、神聖なものであり、お祝いごとには欠かせません。
そんな、大事な餅を使ったことわざです。
目次
- 「絵に描いた餅」の意味とは?
- 「絵に描いた餅」の類語
- 「絵に描いた餅」の使い方
- 「絵に描いた餅」の英語
- 「絵に描いた餅」の対義語や似た反対語
「絵に描いた餅」の意味とは?
上手に描いた餅は、たとえ、どんなに上手に描いたとしても、本物と見間違うほど、そっくりに描いたとしても、実際には、食べられないので、何の役にも立たないことから、ものの実用にはならないことのたとえを示し、実物、本物でなければ何の値打ちもないことや、形はあるものの実際には、何の役にも立たないものを表しています。
さらに、そこから、むだやむだな骨おりをすることなども指す言葉として、使われています。
- 「絵に描いた餅」の語源
- 「絵に描いた餅」の読み方
「絵に描いた餅」の語源
餅を搗くこと自体が「ハレ」の行事であり、餅そのものもかなり高価なもので、めったには搗けなかった、食べられなかった頃に、生まれた言葉だと思われます。
なぜなら、「絵に描いた餅」そのものに、何らかの値打ちすらなかったとすると、餅の絵を描いたけど、そのままの餅の絵のままで終わった程度の話で、終始してしまうからです。
そこに、何がしかの値打ちがあるからこそ、それなりの期待があるのに、実質を伴わない、成果に結びつかない、結局のところ、ただの絵のままで終わってしまったという、結果を残念に思う気持ちが、表れているからです。
それは、単なる絵に終わってしまった餅の存在が、意味のあるもの、値打ちのあるものとしての意味をもっているからなのです。
また、「画餅」という故事を語源とする考えもあります。
3世紀末に、西晋の陳寿によって書かれた、三国志の中の「巍書」の項にある、次の言葉に端を発した考え方です。
「選び挙ぐるに、名有るを取る莫れ、名は地に描きて餅を作るが如く、啖ふべからずなり」(高級官僚に投与する人を選ぶ際には、名声が高いからといって選ぶことはするものではない。
名声などというものは、地面に餅の絵を描いたのと同じことで、その餅を食べることはできない)という意味の言葉から、「名声は、地面に描いた餅みたいな、所詮は、食べられないものだ」の部分を取り上げて、地面に描いた餅=食べられない、という関係を明確にして、「役に立たない」、「むだ」、「何にもならない」などの意味を引き出し、「絵に描いた餅」の基になった言葉だとする「巍書」を源吾とする説があります。
日本では、江戸時代に出された「為愚痴物語」の中に「絵にかける餅饑えを癒さず」とあるのが、初めて文献に、初めて言葉として出たもののようですので、ここを語源とする考えもあるようです。
「絵に描いた餅」の読み方
「えにかいたもち」と、読みます。
時々、「えにかいたようなもち」と読んでいる場に出会うことがありますが、これは、全く、違う意味を表しますので、注意が必要です。
「えにかいたようなもち」とは「絵に描いたような餅」という表記になって、実際には、絵に描いてはいないけれども、絵で表現したように美しく、素晴らしい餅であること、餅の典型的な、理想的な形であることを、意味することになります。
それは、「絵に描いたような家族」などといった使い方の場合を考えれば、違いは明確です。
この場合には、典型的な、あるいは、理想的な家族という意味になり、家族のモデルケースを指すことになります。
「絵に描いた餅」の類語
どんなに上手に描かれていても食べられない、企画は立派だが実行が伴わないなど、実際の役には立たない、使いものにならないことを意味することわざを集めてみました。
- 畳みの上の水練【たたみのうえのすいれん】
- 鞍掛馬の稽古【くらかけうまのけいこ】
- 机上の空論【きじょうのくうろん】
畳みの上の水練【たたみのうえのすいれん】
言い換えれば「畳みの上での水泳練習」ということです。
読んで字の如し、畳の上で水泳の練習をすることを指しています。
しかし、バタ足をしたり、かき手をしたりと、泳ぎの理論や方法は、練習できますが、肝心の水がないのでは、水泳で一番難しい、呼吸の仕方を練習することができません。
これでは、実際に、水に入った時には、息継ぎができずに、パニックになりそうですし、それより何より、水に浮くという感覚がありませんから、いきなり、溺れそうになる危険性すらあります。
つまり、理論や方法を知っているだけで、実際の役には、立たないことのたとえです。
転じて、ものの実用にならないこと、意味の無い、何の役にも立たない練習から、むだやむだな骨折りを意味しています。
鞍掛馬の稽古【くらかけうまのけいこ】
「鞍掛馬」というのは、乗馬の練習をするための木馬のことです。
その木馬に乗って、何度乗馬の練習をしても、実際の馬の背中に乗るとでは大違いなので、いくら木馬である鞍掛馬で練習を重ねたところで、何もならないということのたとえです
知識はいくら豊富でも、実際に役に立たなければ、何もならない、何の価値もないという意味です。
机上の空論【きじょうのくうろん】
机について、頭の中だけで考える、実際には役に立たない、現実的には生かしにくい理論や計画のことを意味しています。
絵に描いた餅が、本物でなければ、意味がないという、どちらかと言えば、ものに対する言葉であるのに対して、机上の空論は、考えや企画、計画など、思考や理論に対しての見解を示す言葉になります。
頭の中で、あれこれ考えをめぐらすばかりで、実際、その考えには、実用性があるのか、一本筋が通っているのか、その理論で、課題は解決できるのか等、実効性については、はなはだ疑問の残るところです。
結局は、机の前で、いろいろと思い巡らしてみただけという、何の役にも立たない(机上の空論)に他ならないのです。
「絵に描いた餅」の使い方
結局、役には立たない、実現はしない場合などに、今の状況や見通しについて、期待よりも、半ば、落胆気味、諦め気味に使われることが多いようです。
また、今の自分の技能や知識では、解決が難しい問題や障害であったり、難解な課題であったりする場合の目標というよりは、希望的観測の言葉として使われることもあるようです。
- 「絵に描いた餅」の例文1
- 「絵に描いた餅」の例文2
「絵に描いた餅」の例文1
「そのマンションは、駅からも近く、買い物も、大型スパーが近く、超便利です。
それより何より、間取りがゆったりしているのが、最大の魅力です。
価格もお手頃なのですが、毎月のローンと共益費・管理費を払ったら、手元にはわずかしか残らず、結局は(絵に描いた餅)マイホームを手にするのは、夢のまた夢です」
「絵に描いた餅」の例文2
「君の案は、企画としては、斬新で極めて面白い。
だけど、キャスティングとロケーションに対する予算の意識が低いようだね。
うちのような弱小プロでは、企画の前に、まずは、予算枠なんですよ。
限られた予算枠で、何をアピールするかですよ。
これ、おもしろいけど、所詮は、(絵に描いた餅)だね。
悪いけど、再トライしてくれる」
「絵に描いた餅」の英語
機械的に訳した例は、次のようになります。
- “Something which is of no practical use.”
- “Castle in the air.”
“Something which is of no practical use.”
機械的な英訳では、“no practical use”と、「実用的には使えない」という意味のフレーズが使われていて、日本語の意味するところには近いとは思うのですが、「絵に描いた」も「餅」も、登場しません。
逆に、「絵に描いた餅」が意味しているものを的確に捉えた、意味的な上からの英訳は、的を射てると思います。
“Castle in the air.”
「空中楼閣を築く」という意味ですが、「空中楼閣」すなわち蜃気楼のことを指しますので、根拠のない事柄や実際の現実からは、あまりにもかけ離れた空想的で、およそ実態のないことを指していますので、実際には役に立たないことのたとえに近い表現になっています。
「絵に描いた餅」の対義語や似た反対語
「絵に描いた餅」と反対に位置する慣用句は、直接的なものは、見当たりませんので、対を成すようなニュアンスの言葉を記載します。
- 「不言実行」【ふげんじっこう】
- 「明日の百より今日の五十」【あすのひゃくよりきょうのごじゅう】
「不言実行」【ふげんじっこう】
これは、あれこれと能書きを述べたり、ああだこうだと文句や理屈を並べたりもせずに、黙ってするべきことを行動に移すことを意味する言葉です。
「絵に描いた餅」が、形にならないものに対して、「不言実行」は、確実に実を結びますので、その点からは、対義の位置にあると言えます。
この「確実に」という点から、対義のニュアンスが感じられる言葉が、あります。
それは、次の言葉です。
「明日の百より今日の五十」【あすのひゃくよりきょうのごじゅう】
これは、将来の大きな話に乗るよりも、たとえわずかであれ、今日、確実に手に入る方を選んだ方が、賢明であるという意味の言葉です。
手に入らない、何の役にも立たない(絵に描いた餅)よりも、わずかでも、実を取った方が、夢を見るよりも確かに堅実です。
明日を待った方が、大きなものが手に入るかもしれませんが、それは確実な補償があるものではなく、明日の絵に描いた100万円より、今日、確実にもらえる50万円です。
(絵に描いた餅)は、焼くことも食べることもできず、全くのお飾りに過ぎません。
しかし、私達の暮らしの中では、よくある話です。
「捕らぬタヌキの皮算用」は日常茶飯事、あわよくば「濡れ手に粟」の幸運を願わない日はありません。
でも、「明日の百より今日の五十」そうそう美味い話は、ころがっていません。