「たわけ者」の意味とは?「うつけ者」との違いや例文、由来や類語、英語を紹介!
「たわけ者」という言葉を聞くことがあります。
古い悪口というイメージですが、類語も併せて大変趣深い言葉なのです。
目次
- 「たわけ者」の意味とは?
- たわけ者の類語や似た言葉
- たわけ者の語源
- うつけ者との違い
- たわけ者を使った例文
- たわけ者の英語
- たわけ者の対義語
「たわけ者」の意味とは?
「たわけ者」とは、愚か者、馬鹿者という意味を持ちます。
また、その人そのものだけではなく、そのような人をののしる際に使うののしり言葉でもあります。
現在ではあまり使われることは少ないのですが、時代劇などでは怒号で用いられることも多く、この場合は年配者や位の高い人から若年者、位の低い人に使われます。
たわけ者の類語や似た言葉
「たわけ者」の類語には、日本で独自に発達した言葉が多くクレジットされています。
たわけ者そのものも語源に諸説ありますが、その類語も色々と説の分かれる趣深い言葉ばかりです。
そのほんの一部をご紹介します。
- ぼんくら
- ひょうろく玉
- のろま
- 二本棒
- 戯け者【おどけも】
- あんぽんたん
- ぼけナス
ぼんくら
「ぼんくら」とは、ぼんやりしている人を指す名詞、あるいはぼんやりしているということを指す形容動詞です。
もともとは賭場の用語だったとされ、盆の上で勝負をする賭け事に弱いということ、つまり盆に暗いことから「ぼんくら」と言われたとされます。
なお、別な説としては日本のお盆時期に作られた蔵のことを言うという説もあります。
お盆時期は盛夏で暑く、蔵の土が均一に乾燥しないため良いものにならないという事柄からです。
いずれにせよいいイメージではありませんが、たわけ者の持つ自ら愚かなことをすると言うプッシュ型のイメージと比較して、ぼんくらは受動的なプル型のイメージで使うことが多いようです。
ひょうろく玉
「ひょうろく玉」とは漢字で表六玉と書き、まぬけな人をあざけって使う言葉です。
ぼんくらは日本由来の言葉ですが、ひょうろく玉は中国の故事からの言葉です。
表六とは亀の手足頭、そこに尻尾を加えた六本を表しています。
亀は本来、危険を察知した時にそういった柔らかな部分を隠し、身を守ります。
しかし、それができない亀がいた時に、身の安全を守れない間抜けと揶揄したのが始まりです。
また、兵六玉と書く説もあるようです。
昔、名狩人の兵六が、傷ついた熊を狩った悔恨から住んでいた村を離れていったそうです。
そのため、その鉄砲のことを「曲がった鉄砲玉」、どこに行くか分からない人として評するようになったと言うことです。
のろま
「のろま」とは、江戸時代の野呂松勘兵衛という人形遣いが演じた「野呂間人形」に由来するとされています。
平らで、青黒く、狂言回しとされている野呂間人形。
またそのしぐさがスローで愚鈍なことから、動作が遅いこと、気が回らないことを指すようになりました。
たわけ者と違うのは、のろまは圧倒的愚者を指す言葉ということです。
もちろん、たわけ者という言葉のニュアンスにも、のろまと共通するイメージは含まれているのですが、のろまという言葉にたわけ者を含めることはあまりないでしょう。
二本棒
これは、鼻を垂らした子供の様子を意味しています。
二本の筋が棒のように見えるため、二本棒ということです。
もちろん、こどもの幼稚な愚かしさを表しており、まぬけなことをあざける言葉です。
しかし、それだけではなく大人の男性、特に女性に甘い男性に向けてあざけり言葉として使われることもあります。
そこから転じて、甘い男、間抜けな男という意味でたわけ者に近いニュアンスも含むようになりました。
戯け者【おどけも】
これは、「おどけも」のと読みます。
わざとおどけたり、こっけいなことをする様子、あるいはその人そのものを指す言葉です。
たわけ者も、漢字で戯けと読むこともあることから、大変近しい意味であることが感じられます。
あんぽんたん
あんぽんたんとは、漢字では安本丹と書きます。
これは江戸時代、反魂丹(はんごんたん)や萬金丹(まんきんたん)といった字面の薬が流通していたことが由来です。
愚か者を示す「阿呆」という言葉は、口語では「あっぽ」と発音することもあり、高名でよく効く薬にあてこすった形であんぽんたん、と言われるようになりました。
ぼけナス
ぼけナスとは、色つやの褪せたナスのことを言います。
その精彩を欠いた様子から、ぼけナスと言えばのろまで頭のめぐりが良くないという悪口として使われるようになりました。
また、別な説もあり、ナスは環境が良く、栄養が豊富な土で育てると、実がならないことがあるため、育ちのいい坊ちゃん育ち、お嬢様育ちの人のことをぼけナスと揶揄するようになったと言うことです。
たわけ者の語源
たわけ者という言葉には、2つの説があると言われています。
しかし、この語源は実は同一のもので、江戸時代の洒脱なセンスで生み出されたということが言えます。
- 説1「田を分ける」
- 説2「戯ける」
説1「田を分ける」
たわけ者の説のひとつは、田を分けるという「田分け者」であるという説です。
過去、日本の税は基本的にコメでした。
各大名の力を表す「〇〇万石」の意志という字は、米殻の体積の単位であり、現在の会社の資本金ととらえてもいい指標でした。
そのように大切なコメのできる田んぼは、農家の重要な資源です。
しかしこれをこどもの人数で分けるということをすると、孫、ひ孫、その後の子孫にまで至る時に面積が狭くなり、収穫量が減ります。
そのため家系が廃れていってしまうと言うことから、田んぼを分けるような愚か者、たわけ者といわれるようになったということです。
説2「戯ける」
もともと、日本語には「たわく」という言葉がありました。
これは戯くと書き、ばかげたことをする、ふざけたことをするという意味です。
本来たわくという言葉があり、そこに田分けという俗説を絡めた言葉遊びだったという説が有力です。
また、演劇の脚本は戯曲と呼びます。
過去日本において、狂言や歌舞伎などの演劇はたわけた娯楽だったようです。
更に、たわくとは奈良時代から言われている言葉で、本来は「タファケ」と発音したようです。
うつけ者との違い
うつけ者とは、たわけ者と同じく愚かな行為をする人、またその人をののしる言葉です。
しかし、うつけ者とたわけ者では違うニュアンスを持っています。
うつけとは、そもそもが「空っぽ」という意味を持っています。
そのため、うつけ者という意味で使わわれる時、どちらかと言えばぼんやりして行動が遅い、考えが遅くて気が回らないというイメージを持っています。
のろまのイメージに近いかもしれません。
たわけ者が演劇的なたわく、自らふざけたことをするイメージに対し、うつけ者は行動がないことを愚かとののしる言葉と言えます。
たわけ者を使った例文
たわけ者という言葉は、現在はあまり使われていません。
耳にするとしたら時代劇を見ている時、あるいは海外のドラマや映画で、過去、それも歴史的に古い題材を扱った作品の中で、ニュアンスを込めた訳として使われるくらいでしょう。
過去の使われ方、そして現在も方言として生き残っているたわけについてご紹介します。
- 「たわけ者」の例文1
- 「たわけ者」の例文2
「たわけ者」の例文1
「中農以下は男子なんぴとあるとも田畑を分かつべからず。たわけ者ということわざもこれよりはじまる」
江戸時代の書物にこのような文書があります。
これは、大きくもない農家に、男の子が何人生まれようとも田んぼを分けてはいけないということを示しています。
「たわけ者」の例文2
愛知、特に名古屋弁で言うところの「たわけ」
たわけ者という言葉は、現代日本において公用に使用されることはありません。
しかし、名古屋の方言としてはいまだ日常的に使われる言葉として生き残っています。
たわけは、名古屋の方言して発音する場合「たぁけ」という「わ」を柔らかくするニュアンスで発声します。
意味としてはそのまま、馬鹿なこと、愚かなことという意味で使われるようです。
ちなみに活用として、頭に「ど」を付けて「どたぁけ」のように使うこともあります。
この場合、上級の表現ですから普通のたわけよりさらにたわけた、という意味になります。
たわけ者の英語
- “FOOL”
- ピエロ
“FOOL”
たわけ者は、英語に訳される場合そのまま“FOOL”と訳されます。
FOOLには馬鹿、愚か者、まぬけなどの意味があります。
英語に訳すには、日本の古語としての性質から適当な言葉があまりありません。
イギリスの古典演劇などで使われるクラッシック英語であれば該当する言葉もあるかもしれません。
また、英訳は難しくても、英文を日本語訳するときにはたまに使われることもあります。
イメージとしては現代ものではないドラマなどで、古い年長者が怒鳴り声で使うような時です。
そんな時にはぴったりとマッチした訳になります。
ピエロ
これは訳ではありませんが、演劇の世界などでは西洋と日本の戯曲を置き換えた時に役割を訳されることがあります。
戯曲のストーリー上、「たわけ者」をいわゆるピエロであると理解されることがあるのです。
そもそも、戯けという言葉自体が演劇から発生した言葉。
演劇の中で、愚かで、こっけいな発言をする狂言回しの役割を果たすのがたわけ者です。
ということですから、西洋の演劇で見れば、意味合いとしてはピエロに近くなってくるのです。
たわけ者の対義語
たわけ者の対義語としては、直接的な言葉はありません。
たわけ者という言葉の発達が独特であり、意味の上で対をなす言葉がともに育たなかったのです。
もちろん、それに近しい言葉はあります。
「利口である」「尊敬できる」「合理的な」「賢明な」などが相当します。
しかし、やはりぴったりとフィットする対義語ではありません。
悪口の文化は進化しやすいですが、いい言葉は育ちにくいのはどの言葉も共通です。
たわけ者という言葉は、一見すると単なる悪口ですが、その言葉から日本の過去の流行や考えを知ることができます。
現在の日本では、こどもを均一に扱い、財産も同一にすることは良いこととして認識されています。
しかし、言葉遊びとは言え田んぼをこども達に分けることが愚か者の代名詞として使われ、それが広まっているというところは時代背景を強く感じせるところです。
口にすることはないワードですが、このルーツを知りながら時代劇などを見ると楽しいかもしれませんね。