「鬼の目にも涙」の意味とは?四文字熟語、使い方や例文、英語を紹介!
「鬼」というと、豆まきの節分行事や桃太郎の鬼退治の物語、百鬼夜行など、日本に昔から伝わるお化けのような、怖いイメージを真っ先に思い浮かべますよね。
「鬼」に「涙」はまったくそぐわないはずです。
さて、「鬼の目にも涙」とはいったい、どんなニュアンスの言葉なのでしょうか。
目次
- 「鬼の目にも涙」の意味とは?
- 「鬼の目にも涙」によく似たことわざ、四字熟語、表現
- 「鬼の目にも涙」の使い方
- 「鬼の目にも涙」の反対語や似た対義語
- 「鬼の目にも涙」のことわざを分解して解釈
- 「鬼の目にも涙」の英語
「鬼の目にも涙」の意味とは?
「鬼の目にも涙」とは、現代では一般的に、ちょっと恐かったり厳しかったりする人でも泣くのだね、といった意味で使われています。
元々は、高利貸しが憐れみの気持ちをもよおして、取り立てをゆるめたり、証文を破ったりする場合にも使われていました。
「鬼の目にも涙」によく似たことわざ、四字熟語、表現
「鬼の目にも涙」に似た言い方には、どのようなものがあるのでしょうか。
- 「鬼の血目玉にも涙」【おにのちめだまにもなみだ】
- 「判官贔屓」【ほうがんびいき】
- 「情けをかける」【なさけをかける】
- 「血が通う」【ちがかよう】
- 「鬼も頼めば人食わず」は同義語ではない
「鬼の血目玉にも涙」【おにのちめだまにもなみだ】
「鬼は外。」と豆まきをする節分行事の始まりは、平安時代、鬼を目つぶしして、その災いを除けようとした故事にまで遡ります。
「鬼の血目玉にも涙」ということわざは、「鬼の目にも涙」よりも、性質の悪さを表す「血目玉」でさえ涙する、と「鬼」の恐ろしさを強調した形のことわざです。
「判官贔屓」【ほうがんびいき】
判官とは、ここでは源義経のことを指します。
源義経が兄である源頼朝に攻められた結果、殺されるに至ったため、その死後、当時の人々が源義経のあまりに弱い立場による死を同情したことから、「判官贔屓」という言葉が生まれました。
転じて、あまりに悲惨な境遇の人だからと同情心を持つことをも指すようになりました。
「情けをかける」【なさけをかける】
江戸時代の人間像に関連した言葉といえば、真っ先に思い浮かぶのは、「お情け頂戴」などの独特な表現ともなっている「情け」です。
ここでいう「情け」とは、他人をいたわる心や思いやり、人間味のことをいいます。
「お情け」となると、特別な哀れがりや、特別な思いやりのことになります。
江戸時代には一般庶民が情けをこうのが一般的だったので、お情け頂戴などというのです。
反対に、「情けをかける」とは、あえて哀れんだり、いたわったりすることを指します。
「血が通う」【ちがかよう】
「血が通う」とは、人間味が出ている状態を指します。
鬼ほど恐くないものの、血が通っていなかったものに血が通うというニュアンスを含んでいます。
そのため、事務的であったり形式的であったりと、非人間的な人や事物に人間味が加わる変化をいう場合もあります。
「鬼も頼めば人食わず」は同義語ではない
「鬼も頼めば人食わず」は、鬼が人を食うのが好きというならば、逆に積極的に食うように頼むと、難を切り抜けられるという意味。
好きとされていることでも、相手が期待してくると急に嫌なことになり、かえって食いたくなくなる人間の性癖のことをたとえたことわざです。
似た言い回しですが、雰囲気当たりしてほろりともらい泣きする「鬼の目にも涙」とは意味合いが異なります。
「鬼の目にも涙」の使い方
「鬼の目にも涙」ということわざは、「あっ、思いがけなくあんな人が泣いている。そしていい人そうなことをしているようだ。」という状況を指して使います。
江戸時代に「鬼の目にも涙」が使われだしてから300年以上も時代が下がった現代ではもちろん、悪代官を指して「鬼の目にも涙」と使用するわけではなくなりました。
「鬼の目にも涙」ということわざを使う場合には、では今ではどんな人を「鬼」にたとえるのかについてだけ、少し注意が必要です。
先生や身内の目上、どこか非人間的な人や怒りっぽい人、涙と無縁な感じの人がヒューマニズムを持つとき、使用されています。
- 「鬼の目にも涙」を使った例文1
- 「鬼の目にも涙」を使った例文2
「鬼の目にも涙」を使った例文1
「あの普段めったに笑わない祖父が、昔の友達に再会して泣いているなんて、まさしく鬼の目にも涙だね。」
祖父や父など、家族をしきる権威を漂わせるがゆえに、普段は怖い相手を指して使うのもいいでしょう。
この場合、面と向かって使用されることはほとんどありません。
「鬼の目にも涙」を使った例文2
「あの子、飼っていた犬を亡くして殊勝にも涙目だ。まるで、鬼の目にも涙だね。」
普段悪さをしているイメージの強い人が、自身に深く関連した冠婚葬祭では感涙する様にも使われます。
「鬼の目にも涙」の反対語や似た対義語
「鬼の目にも涙」ということわざにでてくる涙は、つい油断してほろりともらい泣きしてしまった、という瞬時の真実味を含んでいます。
そのため、たとえ悪代官を目の前にしていても人間的で当然であるがゆえに普段よりいい反応が期待できるという、一種肯定的な意味を持つことわざといえます。
やや複雑ですね。
では、「鬼の目にも涙」の反対語は、いったいどんな否定的な意味合いを持っているのでしょうか。
- 「ワニの涙」【わにのなみだ】
- 「鬼の空念仏」【おにのそらねんぶつ】
- 「鬼の空涙」【おにのそらなみだ】
「ワニの涙」【わにのなみだ】
昔、西洋では、獰猛なワニが水中に獲物を引き込んでバックリ食べながら泣いているとして、不思議がられていました。
泣きまねをして獲物を誘っているようだとか、獰猛に食べる罪深い感じを涙でごまかしているとかいった懐疑を抱かせる存在でした。
獲物をバックリくわえて涙を流している、という偽善的で矛盾のある見た目、そしてうそ涙が当時の人々に恐怖を与え、邪悪なうそ泣きの象徴として忌避されたのでした。
実際には、ワニの「うそ泣き」はワニの涙腺と唾液腺が近いせいなので特に不思議はないというお話もあります。
「鬼の空念仏」【おにのそらねんぶつ】
「空」は空っぽの「から」ではなく、空々しいの「そら」と読みます。
鬼も心にもなく念仏を唱えられることから、「鬼のそら念仏」とは、無慈悲で残忍な者が、一見、慈悲深そうに取り繕ったり、善性があるかのように振る舞ったりする様をいいます。
まるで心動かされたかのように見え、情け深い人情を期待させる状態ですが、「鬼の目にも涙」の反対で、「あれは牙をむいているぞ。」という警句に捉えられます。
「鬼の空涙」【おにのそらなみだ】
「そら」とは、うそ、真実ではないことを指します。
「鬼の空涙」は、鬼がうそ泣きのうそ涙で、殊勝そうに見せかけている状態をたとえています。
「あれは鬼の空涙だね。」ということになったら、「あっ。悪いことをたくらんでいる。」とうわべのいい人そうな感じに隠された真意を見破らなくてはなりません。
「鬼の目にも涙」のことわざを分解して解釈
鬼の起源は、仏教、中国の陰陽道です。
あくまで想像上の怪物で、赤鬼と青鬼が地獄に住んでいるというのがお話もあります。
鬼は人型ですが、頭に角が生えていて、口が横に裂けていて、牙を持っています。
金棒を握っている場合もあります。
怖そうに弱い者を脅す、気の荒い性質を持っていますから、いくら擬人的な怪物とはいっても、目に涙など浮かべそうにもありませんが、いったい、どんな目に遭っているということなのでしょうか。
- 「鬼の目」の解釈
- 「涙」の解釈
「鬼の目」の解釈
「鬼の目にも涙」ということわざの由来は、鷹筑波という江戸時代前期の日本の書物です。
旅は道連れ、世は情けの江戸っ子達にとっての「鬼」とはいったい何だったのか、気になりますね。
中世から江戸時代にかけて年貢徴収や司法警察を任務とする代官が、庶民に幅を利かせていました。
太平の世の中で唯一怖いのが代官、中でも悪代官だったのです。
そして、生活の糧を取り立てるという点では、高利貸しも同じでした。
「鬼の目にも涙」の「鬼の目」の意味にはそもそも、悪代官や悪徳高利貸しの目という意味合いが含まれているのです。
「涙」の解釈
江戸時代に庶民に流行したお話といえば、心中物やお家騒動、仇討など、暗黒ドラマや人間活劇でした。
大岡裁きも有名ですが、現代よりずっとウェットで、自分の事情を話す価値が高かったのです。
代官もまたすぐさま年貢を納めない庶民を断罪したりとって食ったりしたわけではなく、相手の話をよく聞き、人情で年貢の取り立てをゆるめるケースも多々あったのです。
江戸時代の庶民がそこを心得て、切々と年貢を納められないお話をたたみかけ続けて、お涙頂戴で年貢逃れをしようとする姿が生き生きと浮かんでくるようです。
悪代官が年貢取り立てをしていた地域では、特に、「鬼」がもらい泣きするまで人情話で長々と粘る……そう、涙は情けの表れという意味合いを持っているのです。
このように、「鬼の目にも涙」に描かれる「涙」は、決して号泣の涙ではなく、冷酷で残忍な性質や見た目を有する者が、周囲の人間味あふれる雰囲気の中で、思わずほろりときた、という程度の涙です。
「鬼の目にも涙」の英語
「鬼の目にも涙」の英訳には、次のようなものがあります。
“Even the hardest of hearts can be moved to tears.”(最も無情な心さえ動かされ涙しうる。)
“A tear in the ogre's eye”(悪鬼の目の中の涙)
“Tears from the hardest heart”(最も無情な心からでる涙)
どうでしょうか。
仏教世界の鬼を英訳すると、“demon”(悪魔)、“devil”(悪魔)、“ogre”(悪鬼)、“evil spirit”(悪霊)などの英単語になってきて、ゴーストと並べて使われもします。
一方で、悪魔は仏教世界では仏道修行を妨げるものを指して使われています。
英語圏の国々は主にキリスト教国家ですので、仏教世界の用語の入ったことわざがあるとはいまひとつピンと来ない部分もありますが、アメリカ軍将校が、部下の兵達からこっそりと思われていそう……そんなイメージが浮かんできますね。
「鬼の目にも涙」は、周囲のちょっと恐かったり厳しかったりする人のことに関連して、難しい状況に直面してしまっても、軽く揶揄したり、まぜ返したりして、かえってユーモラスに表現することも可能な、便利なことわざといえるでしょう。
反対語の「うそ泣き」を表現する「鬼の空念仏」や「鬼の空涙」といったことわざも、いつも何らかのプレッシャーをかけてくる誰かやだだっ子について使い回すなどすることによって、ユーモアのある会話をしやすくなりますね。
このように現実的なシチュエーションが描き込まれたことわざを知ると、表現力も高まります。