「ふつつかもの」の意味とは?「不束者」の本来の意味?類語、返事や返答の方法、英語を紹介!
初出社での挨拶や、訪問先の会社での初対面の挨拶など、正式な場だけでなく、日常生活の中でも、改まった場で、自分を紹介するのは、緊張もしますが、切り出しの言葉を選ぶのにも神経をつかいます。
目次
- 「ふつつかもの」の意味とは?
- 「ふつつかもの」の類語や言い換え
- 「ふつつかもの」の本来の意味
- 「ふつつかもの」を使った例文や使い方
- 「ふつつかもの」と聞いて思い浮かべるのは嫁入り
- 「ふつつかなものですがよろしくお願いします」の返答
- 「ふつつかものですがよろしくお願いします」の英語
「ふつつかもの」の意味とは?
辞書を引くと、実に多くの意味が出てきますが、一般的には「気のきかない人」「行き届かない人」を意味している言葉です。
ところが、おもしろいのは、例えば、「のんきもの」と言った場合には、自分にも相手に対しても使えますが、「ふつつかもの」は、相手ではなく、あくまでも自分自身についてのみ使われる言葉です。
仮に、相手に対して「あなたは、ふつつかもの」と言った場合には、相手を「気のきかない人」と断定したことになり、はなはだ失礼なことになります。
自分についてのみ使える言葉ですので、注意が必要です。
「ふつつかもの」の類語や言い換え
- 若輩者【じゃくはいもの】
- 至らぬ者【いたらぬもの】
- 未熟者【みじゅくもの】
若輩者【じゃくはいもの】
年が若いために経験に乏しく、いろいろなことについても、まだ、未熟である者を指している言葉です。
年が若くて未熟な者のことを指していますので、ある程度、年齢を重ねた人が、「ふつつかものですが、よろしくお願いします」のように使うのは、適当だとは言えません。
至らぬ者【いたらぬもの】
「至る」に否定形の「ぬ」がついた言葉です。
従って、まだそこにまで「至っていない」ことを指す言葉で、「〜するまでには及んでいない」と、いう意味を表しています。
転じて、「注意が十分に行き届かない」という意味にもとられています。
「至らぬことをして」と叱責する時などが、十分に注意を払っていないという意味合いで使われていることになります。
未熟者【みじゅくもの】
学問や枝芸、人格などが、修練不足で、十分な域に達していないことが未熟という言葉の意味です。
従って、学問や技術、芸、あるいは人格などが、まだまだ修練が足りず、十分な域にまでは、達していない者という意味合いになります。
この「未熟者ですが」という表現は、日常生活の中で、よく耳にする言葉です。
誰にでも未熟な点は、多多ある訳ですし、生活の中の様々な場面ごとにでも、未熟な点がありますので、言いやすいのかもしれません。
「ふつつかもの」ほどに改まることもないので、気楽に使える言葉です。
「ふつつかもの」の本来の意味
「ふつつかもの」は、漢字では「不束者」と書きます。
「束」の字は、薪を束ねて縛った形からきた象形文字です。
それに否定の「不」がつきますので、「束ねられていない、未だまとまっていない」、つまりは、「未熟」と言う意味になりますということで、説明がつきそうですが、かつては、プラスのイメージで使われていたこともありますので、さらに説明が必要です。
もともとは、「太束(ふとつか)」が転じた「ふつつか」という言葉に「不束」という字を当てて、「太くて立派な様。
重々しい様」と、プラスの方向の意味合いで、源氏物語(木の巻)などでも、使われています。
それが、時代の流れの中で、優美・繊細といった趣をよしとする考え方が生まれてくると、太いことは、繊細さに欠けていることから「太くて不格好な様」とマイナスの方向を表す言葉としての意味合いを持ってくるようになりました。
それで、同じ源氏物語なのに、(浮舟の巻)では、「太く不格好なもの」としての意味合いで「ふつつか」が、使われています。
さらに、式部日記の中では、「優美・繊細さがない様」「大雑把な様」の意味合いで使われるなど、はるかに遠い平安の時代に使われた言葉の意味が、現在使われている言葉の意味と、極めて近いということには、驚かされます。
また、「行き届かない人」「不調法者」と類似した意味では、「下品で見苦しい」「不躾。不調法。未熟なこと」とあり、この他にも「思慮や能力が足りず、行き届かない様」「教養がない様。たしなみがない様。」
また、野暮」と、いった意味もあります。
いずれにせよ、自分を低く評価して、へりくだった表現をすることで、相手に尊敬の意を伝える言葉です。
「ふつつかもの」を使った例文や使い方
- 「ふつつかもの」の例文
- 「ふつつかもの」の使い方
「ふつつかもの」の例文
唐突に「ふつつかものですが」と切り出すのは、何となく、常套句を並べているようで、そこにこめた気持ちが感じ取れません。
それで、できれば、前後を考えて、使いたいものです。
「この度、異動してきました佐藤です。
サトウの名前通りに、仕事が甘いと言われるふつつかものですが、心機一転がんばりますので、よろしくお願いします」
「同じグループになりました佐藤です。
ふつつかものですが、グループの足を引っぱらないよう努力しますのでよろしくお願いします」
「新人の佐藤です。
右も左もわからないふつつかものですが、ご指導の程、よろしくお願いします。」
「ふつつかもの」の使い方
初対面の挨拶や初めて参加する会議での挨拶をかねた自己紹介など、相手のことが、まだよく分かっていない、自分のことも、よくは理解されていない場合に使うのが、ほとんどです。
場合によっては、心にもなく、あえて自分の立ち位置を下げ、へりくだることで、敬意を表す言葉です。
そのため、言い方によっては、嫌みにもなりかねませんので、イントネーションには、気を付けることが大切です。
また、年賀状や暑中見舞い、異動の挨拶状や昇任の挨拶状など、礼状に関する書面にも「ふつつかものですが、今後ともご指導の程、よろしくお願いいたします。」
といった一文を添えると書面がしまります。
その際に、一文の頭に「見かけ通りの」「まだまだ」「右も左も分からない」「年期を重ねただけの」といった言葉を付けると、さらにへりくだった言い回しになります。
ただし、くれぐれも嫌みを感じさせる文面にはならないように、文章を整えることが大事です。
「ふつつかもの」と聞いて思い浮かべるのは嫁入り
一定の婚礼にともなう行事の中で、「ふつつかもの」の言葉を口にする場面は、1.婚家への挨拶、2.結婚披露宴での新郎謝辞の場面の二ケ所が、想定されます。
- 婚家への挨拶
- 新郎の謝辞
婚家への挨拶
結婚に向けた話がまとまり、両親と共に、相手の女性の家に挨拶に行く場合や、めでたく結納を納めに行く場合には、この言葉は欠かせません。
婚家への挨拶や結納の際には、女性側の両親が「ふつつかな娘ですが、何分とも、よろしくお願いします」という言葉を発する場面が、必ずあります。
同様に、男性の側からも「ふつつかな息子ですが…」と、切り出す場面が出てくる場合があります。
タイミングも分かりやすく、場にも対応した、文字通りこのためにあるような言葉です。
新郎の謝辞
結婚披露宴も、いよいよ終わりに近づいた際に、披露宴の式辞に、新郎からの謝辞が設けられている場合があります。
その際には、新郎から、自分たちの披露宴に参加いただいた方々へ、感謝の意を伝える謝辞を述べます。
「まだまだ、ふつつかな二人ですが、力を合わせて幸せな家庭を創り上げて行きます」といった、まだ「未熟な二人だが」の意が通じるような謝辞の文を練ることが大切です。
この時も、新しく結婚生活を始めるばかりの新郎、新婦の言葉ですから、「ふつつかもの」が、ぴったりとヒットする最適の言葉です。
「ふつつかなものですがよろしくお願いします」の返答
「ふつつかなものですが」は、自分を低くしているへりくだった表現ですから、応える方も同じように、へりくだった表現となる言葉を使うのが、ベストです。
その際に「こちらこそふつつかものですが」と同じ言葉で返すのは、芸がありませんし、第一、言葉に込められた「こちらこそ、未熟者ですが」と、自分もまだまだ一人前ではない旨を含んだ表現をします。
同様に「こちらこそ」に続けて、「不行き届きの点が多々あるかと」「至らぬ点が多々あるかと」などといった言葉で切り出せば、相手に対して失礼にならず、この後の会話を気持ちよいものにします。
なお、「至らぬ点が」の部分を「至らない点が」と言う場合もあります。
どちらがよいか迷うところですが、いずれも「至る」に、否定形の「ぬ」「ない」がついて語尾が変化したものですので、どちらでも構いません。
ただし、「ない」を使った方が、やわらかく聞こえますので、女性は「至らない点が」とした方が、よいでしょう。
「ふつつかものですがよろしくお願いします」の英語
“Is a careless person、but thanking you in advance”
「ふつつかもの」を“careless person”「不注意な人」と英訳し、そんな人間だけどよろしくお願いしたいととらえられた部分は“thanking you”と英訳され、「あなたに感謝したい」という英文に、「前もって、あらかじめ」といった英文“in advance”が付け加えられています。
このように英訳することで、不注意な人間であることを、あらかじめ認めてくれることへの感謝の気持ちを表現した英文になっています。
そして、結果的には、そうある自分を認めてもらうような英文に、なっています。
この文章の核となる「ふつつか」が、「不注意な」に英訳されたことで、かなり幅の狭い言葉になってしまいました。
違う言語の間で、その言葉の持つ意味は、何とか伝えられるとしても、墓妙なニュアンスは、なかなか伝えにくいものです。
それこそ「ふつつかもの〜」と、続きそうな雰囲気です。
「ふっつかもの」という表現は、かなり硬い表現ですので、昨今は、あまり耳にしない言葉です。
それよりも、自らが下がってものを言うといったことが、あまりなくなったので、へりくだったものの言い方という文化そのものが失われつつあるのかもしれません。
自分が下がることで、逆に、相手を立てるといった謙譲語の他、尊敬語や丁寧語など、日本語だけがもっている言語文化を、後世に伝えていくことは、わたし達の使命でもあります。
「ふつつかもの」の言葉にも見られたように、言葉は時代と共に、変化します。
死語になる言葉もあります。
現在、JK言葉といわれている言葉が、正規の日本語として取り上げられるかもしれません。
へりくだって表現する「ふつつかもの」の言葉は、相手を大事にする意味で、使う場は限られつつあるものの、後世に残すべき言葉の一つです。