「金は天下の回り物」の意味とは?類語や使い方、例文や反対語を紹介!
今回は「金は天下の回り物」という言葉をテーマに解説を行いたいと思います。
よく耳にする言葉ではあるものの、正確な意味合いをいざ聞かれると、本当に自分の記憶が正しいか不安になることがあるかもしれません。
実際の用法などを交えながら、どういった意味をもつ言葉なのか、説明していきたいと思いますので、お付き合い頂ければ幸いです。
目次
- 「金は天下の回り物」の意味とは?
- 「金は天下の回り物」の類語や似たことわざや四文字熟語
- 「金は天下の回り物」の使い方
- 「金は天下の回り物」と反対の意味を持つ言葉
「金は天下の回り物」の意味とは?
「金は天下の回り物」という言葉はそのものずばり、お金・富というものは一箇所に留まるものではなく、何かを買う時にお金を払い、労働の対価としてお金をもらうなど、常に人から人へと移り、回っていくものだというのが基本的な意味です。
ですが、この言葉には更に一歩踏み込んだ言外の意味があります。
日本という国は、例えば大きな戦もなく平和とされてきた江戸の世でさえ、人々における貧富の差は非常に激しいものでした。
「富める者はより富み、貧しい者はそこから這い上がれない。」
現代にも通ずる社会的問題を抱えていたのです。
そのため、お金がないことで苦しんでいる人々も当然存在していました。
そういった人々に対し、励ましの言葉として使われたのが、この「金は天下の回り物」という言葉だったと考えられています。
お金が無いことを悲観している人に対し、今が貧しいからと言って決して腐ってはいけない、お金というものは世の中を回り続けているものなのだから、真面目に働いていればいつか、あなたのところにも回ってくるはずだ。
そう言って、金銭の問題に悩める人たちを元気付けようと、この言葉が頻繁に使われるようになったのです。
- 「金は天下の回り物」の読み方
「金は天下の回り物」の読み方
「かね・は・てんか・の・まわりもの」と読みます。
時折、「回り物」という言葉を間違って覚えている方もいるようで、「周り物」や「回し者」という誤用を見かけることがあります。
「周(り)」という漢字は「周囲」のことを意味しています。
それに対して「回(り)」という字は、巡っていく、移っていくといった意味で、特に「金は天下の回り物」という言葉だけを見るのであれば、様々な人の手を循環していくということを表していますから、意味をきちんと理解すれば、誤用であると気付いて頂けるはずです。
「回し者」はそもそもが全く関連性のない、「相手の内情を探るために送り込まれた間者、スパイ」という意味合いですから、ここで使用する言葉として相応しくないことが分かります。
「金は天下の回り物」の類語や似たことわざや四文字熟語
「金は天下の回り物」という言葉にも、近しい類語などが存在します。
どのようなものがあるのか、例を見て行きましょう。
- 「金は湧き物」【かねはわきもの】
- 「貧乏難儀は時の回り」【びんぼうなんぎはときのまわり】
「金は湧き物」【かねはわきもの】
これも「金は天下の回り物」という言葉のように、金銭問題で悩んでいる人々への励ましの言葉として使われていましたが、意味を聞いてみると、ニュアンスが随分違います。
お金というものは思いがけない時に、また意外な所から、まるで湧いてくるように自然と手に入るものだ。
だから、金がないと言って心配する事はない。
これが「金は湧き物」の意味となります。
「金は天下の回り物」という言葉の意味と比べると、随分楽天的というか、あまり根拠のない話のように思えますが、悲観してもはじまらないという前向きな精神は、相通ずるものがあるでしょう。
「貧乏難儀は時の回り」【びんぼうなんぎはときのまわり】
これもまた、お金のない人への励ましの言葉として使われたものです。
「難儀」というのは苦しい思いをすること、という意味ですが、貧乏をするのも苦しい目に遭うのも、時のめぐり合わせだから、今の辛いことがいつまでも続く訳ではない、というのが、この言葉の概要です。
今は辛くても、やがて幸運が巡ってくる番になる。
そのように、幸せは順番でやってくるという考え方が、日本には古くから存在していたようです。
「金は天下の回り物」の使い方
「金は天下の回り物」という言葉は、どのように使うのが適切なのでしょうか。
この言葉を使うにあたって、やるべきではない間違いと、正しい使い方という二つの観点から解説していきたいと思います。
- 誤った使い方
- 「金は天下の回り物」の例文
誤った使い方
これまでの章で、「金銭問題で困っている人への励ましとして使う」のが正しいと記載しました。
ですが、これを読んでいる皆さんの中で、こんな使い方をしているのを聞いた事がある方も多いのではないでしょうか。
「金は天下の回り物だから、今ここでお金を使って飲み明かしても、すぐに自分の所に帰ってくるさ」
実は、これは言葉の用法として、決して正しいものではありません。
元々、お金が無い状態が続いても、努力をしてそこから抜け出そう、そういった意味合いの励ましとして使われてきた言葉です。
前述の例のように、「お金なんてどんどん使ってしまって構わないのだ」という態度ではあまりに投げやりで無責任な、本来の意味と相反する姿勢だといえるでしょう。
また、その失ったお金を稼ぐために努力をするのなら良いでしょうが、そうでなければ、ただの根拠の無い散財になってしまいます。
古くから使われてきた言葉には、必ず人々の心への「戒め」の意味が含まれています。
これらをきちんと踏まえた上で、正しく使いたいですね。
- 誤った使い方
- 「金は天下の回り物」の例文
「金は天下の回り物」の例文
「病気でお金がかかってしまったけど、金は天下の回り物と言うじゃないか」
生きていればそれは一時のことだよ。
現在、病気や怪我で働けなくなってしまうリスクについて、各所で盛んに叫ばれています。
一度そういう状況に陥ってしまうと、全てが絶望的に見えてしまい、生きる希望さえ失ってしまうことさえあるでしょう。
ですが、それはあくまでもその瞬間だけのこと。
苦難を乗り越えて、少しでも自分にできる何かを見つけることができれば、もう一度社会復帰をすることも可能でしょうし、周囲に目を向ければ、サポートをしてくれる人達は必ず居るはずです。
もちろん、言葉だけで相手の問題が解決する訳では有りませんが、「苦しいのは解るけれど、辛いのは一時のこと。助けになるから、乗り越えよう」
親しい人からそう言ってもらえることは、きっとその人の勇気になるはずです。
こういった、誰かにとって良い影響を与える、素敵な言葉遣いを心がけたいものです。
「金は天下の回り物」と反対の意味を持つ言葉
様々な言葉には、それぞれが相容れない、全く逆の内容を説くものが存在します。
ひとつの見解だけで、世の中を語ることはできません。
「お金」という要素ひとつを取ってみても、多種多様な捉え方があります。
ここでは、「金は天下の回り物」という言葉とは全く逆の言葉や、金銭感覚として少しずれていると感じられる言葉をご紹介したいと思います。
昔の日本人の様々な金銭観を考えるきっかけとなれば幸いです。
- 「金は片行き」【かねはかたいき】
- 「金と子供は片回り」【かねとこどもはかたまわり】
- 「江戸っ子は宵越しの銭は持たぬ」【えどっこはよいごしのぜにはもたぬ】
「金は片行き」【かねはかたいき】
この「金の片行き」という言葉は「金は天下の回り物」という言葉や考え方と比べ、完全に正反対の意味合いを持つ言葉になっています。
金というものは、持っている者の所へはどんどん集まってくるが、ない者の所へは一向に集まらないもので、金銭の所在というのは片寄っているものだ。
これが「金の片行き」という言葉の意味です。
どちらもお金というものの特性を考えている言葉であるにもかかわらず、面白いくらいに真逆の内容になっていることがお分かりになるかと思います。
人間の気持ちというのは複雑怪奇です。
すねてみたくなる時もあれば、前向きに捉えたい時もあるもの。
「お金というものは、決して自分の思うようにはならないものだ」と、どうにもならない状況を諭し、諦めさせることが相手のためという場面もあれば、「一生懸命に努力をすれば、いずれお金持ちになる機会も巡ってくる」と相手を励まし、奮起させる言葉が必要になる時もあるでしょう。
その時の人の心の有り様、状況に合わせて、伝えるべき言葉を変える。
それは嘘だ、方便だという考えも当然あるでしょうが、こういった相手の事を考えて配慮をしながら言葉を選ぶというのも、日本人特有の文化として、興味深いものと捉えることができるのではないでしょうか。
「金と子供は片回り」【かねとこどもはかたまわり】
これも「金の片行き」という言葉に非常に似ていますが、そこに「子供」という要素が加わっているのが興味深い点です。
かつての日本は決して豊かな国ではなく、先にも述べたとおり、貧富の差が非常に激しい国でした。
子供を育てたくてもお金がなく、やむなく丁稚奉公に出したり、酷い場合は子供を人買いに売るような、悲しい別れもありました。
そのため、子供をきちんと養うことができるのは、お金がある家庭のみ。
子供と一緒に暮らしたい、子供を幸せにしてやりたいと思いながら、お金がないことでそれを諦めざるを得なかったという、社会状況。
現代でもこういった問題は数多く報道されていますが、かつての日本人も、同じ悲しみや苦しみを味わってきたことが分かる言葉でしょう。
こういった言葉が必要なくなるような社会になるよう、大人としてできる役目を果たしていきたいですね。
「江戸っ子は宵越しの銭は持たぬ」【えどっこはよいごしのぜにはもたぬ】
これは意味として、「金は天下の回り物」と反対の意味という訳では有りませんが、金銭の使い方や感覚について考えてみたときに、「金は天下の回り物」という言葉の意味からは大きくかけ離れてしまうため、ひとつの考え方の比較対照としてご紹介させて頂きます。
かつての日本、江戸の町では「粋」という概念が非常に強い意味合いを持っていました。
今でこそ堅実で真面目と評される日本人ではありますが、かつての江戸の人々は、その日一日を楽しく生きることに全力を傾ける、言ってしまえば「ラテン系のような人々」であったという説があります。
そんな彼らの考え方は、明日の自分がどうなっているのかなど解らないのだから、今日を楽しく生きるために、その日に稼いだ金は、その日の内にぱっと使ってしまおう、というものでした。
その中で、自分の友人たちの飲食代をおごったり、あるいは店で同席しただけの人に酒をおごったりするなど、人に遠慮なく金銭や食事を分け与えるようなことは日常茶飯事です。
そうした「気風のよさ」を江戸の人々は「粋」のひとつの形として考え、人生をより楽しんで生きるひとつの方法と見ていた所があります。
とはいえ、勿論現代の状況とは大きく違いますから、必ずしも現代の日本人が同じ事をして、良い人生を送れるとは限りません。
この江戸の人々の「宵越しの銭は持たぬ」という考え方についても、実のところ、貧富の差が著しく激しい江戸の社会の中で、「金をためておくなんてろくなもんじゃねぇや」と多くのお金を持っている人たちへの当てつけや負け惜しみとして、この考え方が定着したのではないか、という説もあるほどです。
とはいえ、幸せの形は人それぞれ。
こういう江戸の人たちの中に、お金をどんどん使うという考え方がありながら、「やはりお金は大事なものだ」という戒めの言葉も同時に存在しています。
様々なお金に対する価値観に触れながら、自分はどうだろうと考えてみる。
言葉を学んでいく中で自分の生き方を省みることができるというのも、学習をするということの良い作用のひとつではないでしょうか。
今回、「金は天下の回り物」という言葉について解説を行いました。
この言葉が、決して自分の都合を正当化するためのものではなく、苦しい人を励まし、奮起させるための言葉だとご理解頂けたかと思います。
相手とのコミュニケーションを図る上で、相手の気持ちを考える事は重要です。
傷付いている人を罵倒する人は、決して正しいとは言い難いでしょうし、悲しみにくれる人に、立ち直るための言葉を投げかけたい、そう思うのは人として正常な心のありようだろうと思います。
言葉は使い方次第で人を傷付けることも、助けることもできるものですが、できれば良い方向に、自分の言葉を役立てたいものですね。
最後まで読んでいただき、誠に有難うございました。