「ざらにある」の意味とは?反対語や使い方、例文や例えを紹介!
言葉の意味を知ると何気なく使っている言葉も、とても興味を覚えてくるものかもしれませんね。
比喩的な表現のことわざもあれば、使われている漢字を見て、すぐに理解できる言葉もあります。
中には、口語体で使うより、文章にして使うものもあります。
その中で「ざらにある」という言葉。
普段よく耳にしたり、自分でも使う言葉ではないでしょうか?
目次
- 「ざらにある」の意味とは?
- 「ざらにある」の類語や言い換え
- 「ざらにある」の使い方や例文
- 「ざらにある」の反対語や似た対義語
- 「ざらにある」の例え
「ざらにある」の意味とは?
普段よく使うことがある「ざらにある」ですが、どのような意味を持っているのでしょうか?
この意味は、特別に珍しくもない、ごく普通のことを指しています。
何ともない、むしろ、平凡にありふれていると言えるような状態の意味があります。
自分が驚くくらいの出来事があっても、周りの人から見れば、何ともない日常の出来事ということがあります。
この時に「ざらにある」が適した言葉でしょう。
- 「ざら」とは?
「ざら」とは?
「ざらにある」の「ざら」という語句も気になるところです。
「ざら」は、形容動詞の役目をしているのですが、もっぱら「ざらにある」の形で用いられることが多いです。
ざらを漢字で書くと、「粗」となります。
粗い(あらい)ということになりますが、粗品、粗末、粗食などに使われている漢字です。
落ち着いた上品な質ではなく、何処にでもありそうな意味で使われる感じです。
少し荒っぽく雑なイメージを連想するのですが、ざらめ(粗目糖)という言葉を知ると、理解できるかもしれません。
一粒一粒がとても大きな砂糖で、こ粒の目が粗くなっているものを、さらに小さく細かく砕いたグラニュー糖です。
カステラのようなお菓子の下の部分や綿菓子を作る時に使います。
粗目に触れてみると、その感触は、とても粗くてスベスベとしていません。
かなり「ざらざら」しています。
この「ざらざら」も「ざらにある」の「ざら」と同じ意味なのです。
「ざらにある」の類語や言い換え
「ざらにある」という言葉は、他に次のような言葉に置き換えることもできるでしょう。
- 「何処にでもある」
- 「珍しくない」
- 「往々にしてある」
「何処にでもある」
「ねえ、さっきとんでもない格好をしたおじさんがストリートを走ってたぞ。女装してるんだから、気持ち悪い!」
「ここでは珍しいことじゃないよ。
この街では、何処にでもあることさ。
だって、ここはオカマの集まるところだよ。」
少し例えが悪かったかもしれませんが、特別、驚くようなことでもないのです。
ごくあり触れたことが、この街ではあったのです。
「何処にでもある」という言葉が使われるワンシーンです。
「珍しくない」
「すごいよ。あそこの浜辺でグリーン色した貝殻を見つけの。とってもきれいだわ。ねぇ。見て見て。」と大喜びしている彼女。
それを見た彼氏は、「きれいだな。良かったね。でも、この海岸では珍しくないことなんだ。よく見つけることができるんだけどね。」
こんな時に使います。
でも、彼女の感動に水を指すような言葉なんで、言い方にはちょっと気を付けた方がいいかもしれませんが。
「珍しくない」という言葉は、「ざらにある」より、表現がストレートなので、とても分かりやすいのではないでしょうか?
「あのラーメン店の味は、とてもいいね。すごく濃厚で食べ甲斐があるなぁ。」
「確かに美味しいね。でも、最近はあの味と同じラーメン店が、あちらこちらにあるので、今では珍しくはないんだよ。」
この時でも「珍しくない」を使います。
日常の会話の中でも、頻繁に使う言葉の1つでしょう。
「往々にしてある」
「往々にしてある」も「ざらにある」と同じ意味で使われます。
「往々」とは、全く何もないゼロの状態からすると、結構あることを意味しています。
特別に珍しい出来事でない状態やありさまを、「往々」という単語で表すことができます。
「昨日、いきなり流れ星が大量に落ちてきたのをゆっくりと見れたよ。」
「うん。ここでは空気が澄んでいるところなんで、往々にしてあることだよ。」
他には、「君には珍しく感じるかもしれないけど、往々にしてあること。」
そんなふうに使われるのでしょう。
「ざらにある」の使い方や例文
では、「ざらにある」は、どんな場面で使われるでしょうか?
- 「ざらにある」の使い方
- 「ざらにある」を使った例文1
- 「ざらにある」を使った例文2
「ざらにある」の使い方
「ざらにある」は、珍しくないことや、よくある出来事の時に使います。
全く環境の違う人が見れば、特別で驚きの現象や出来事でも、そこにいる人からすれば、もう昔からよくある出来事という場面を珍しいことではありません。
今、この文章でも「珍しくはない」という語句を使いましたが、こんなシチュエーションの時に、使うのが、「ざらにある」なのです。
「ざらにある」を使った例文1
「昨日さ、やっと現象が出てきたよ。これで論文のために、研究が進むよ。」とある大学のゼミの学生の言葉です。
「うーん。残念だけと、昨日の現象はざらにあることなだなあ。もう、1回割り直してみ必要があるかもね。」
この言葉を聞いた学生はショックを受けました。
こんな時にも使える言葉です。
「ざらにある」を使った例文2
「今、さっき通り過ぎた人って、ミュージシャンのタカオじゃない?」
「うん。そうだよ。」
「何、何、すごいじゃない。こんなところで、タカオに会えるなんて、とてもラッキーだわ。」
「そんなにすごいかな。この街では、ざらにあることだね。」
「うっそ。ざらにって言うけど、そんなにしょっちゅう会えるわけ?」
とても珍しく出来事と喜ぶ彼女。
でも、ミュージシャンのタカオさんは、この街に住んでいるのか、よく目にするのです。
こんな場面でも、「ざらにある」を使いたくなりますね。
「ざらにある」の反対語や似た対義語
「ざらにある」とは、ごくありふれたことを意味しています。
特別に珍しいことではない場面で使うことになりますが、逆の場合には、どのような言葉が当てはまるでしょうか?
- 「ごく稀に」
- 「めったにない」
- 「そうそうない」
「ごく稀に」
「ごく稀に」とは、普段ならあまり起きないような時に使われます。
ある現象や出来事で、普段ならあり得ないことを指しています。
「昨日、やっと目的とした現象が出たよ。これでやっと論文の研究が進むなぁ。」
前述したシチュエーションでの言葉です。
「いやあ、君が言った昨日の現象は、ごく稀に起きることだ。良かったな。とてもラッキーなことだと思うよ。珍しい現象だから、そんなに頻繁に起こることでないよ。」
こんなふうにとてもラッキーとしか言いようのないことが起きたのです。
確率的にも、とても低い出来事なので、とても希少価値のある出来事です。
「めったにない」
「めったにない」も近い言葉です。
「めった」は、漢字では「滅多」と書きますが、この「滅多」には、「ごく稀に起きる様」の意味が込められています。
「昨日、ミュージシャンのタカオに会ったの。」
「何処であったんだ?」
「あなたがよく行くあのカフェで見たわ。」
「そりゃラッキーだなぁ。時々、あのカフェにタカオさんが訪れるって、聞いたことあるけど、そんなに頻繁に来るわけじゃなさそう。めったに見ることがないな。」
「私って、ホントにラッキーなのね。」
こんな時にも「めったにない」という言葉を使います。
普段の日常会話の中で使われる言葉です。
「そうそうない」
これは、普段では起こり得ない、あり得ないことが起こる状況を指しています。
とても珍しい場面で用いられる言葉です。
「今起きた事故は、とてもそうそうにない。」
「昨日、オフィスでサーバーがダウンしたけど、普段はセキュリティがしっかりしているから、そうそう起こることではない。」
「この前の試験では、半分以上の人が赤点だったけど、普段はもっと簡単なレベルだよ。そうそうないよ。」
こんなふうに使いますね。
進学塾でラストスパートの時期の12月に講師と父兄を交えた面談がありました。
「お子さんの学力レベルでしたら、希望校に合格するには、全く問題はありませんね。落ちることはそうそうないですよ。」
その言葉を聞いた母親と生徒さんは、ホッと胸を降ろしたのです。
「でも、油断大敵ですよ。そうそうないにしても、落ちる確率もゼロとは言えないのですから。」
と念のために釘を刺す講師でもありました。
「ざらにある」の例え
「ざらにある」=「よくあること」、「確率的に発生しうる可能性がたかいこと」。
こんなふうに特別に珍しいことではない時に使われる言葉が、「ざらにある」です。
この言葉は、私達の会話の中でも、あまり意識することなく使われている表現です。
「ざらにある」を使う事例は、前項でいくつか紹介しましたが、よく使うだけに、その意味を深く考えることがないのかもしれません。
それだけに「ざらにある」は、生活習慣の中に溶け込んだ言葉なのかもしれませんね。
私達が生活している環境の中では、実に色々な出来事が起きてきます。
驚くこと。
悲しいこと。
嬉しいこと。
怒ること。
様々な感情の起伏が含まれていることもたくさんあります。
その中で、とても珍しいレアなことさえあります。
例文でもあったように、めったに会えないメジャーなミュージシャンに出会ったり、真面目に大学の研究室で発生した特別な現象を体験したりと。
そんなに時は、とても感動にしたり、驚いてしまいます。
まさにサプライズ的な出来事です。
しかし、それを見る日とによっては、決して特別なことでないこともあります。
さっき見た車が、友人にとっては珍しくラッキーなことかもしれません。
でも、自分にとっては、驚くことでも感動するには値しない、ごくありふれた日常の光景立ったということも、よくあることです。
その時に「こんなことって、ざらにあるんだ。」と言いたくなるでしょう。
しかし、その言葉を聞いた人は、
「そっか。羨ましいな。」と感じることもあれば、「私が感動しちゃってるのに、何か興ざめする言い方なのね。」と、感動して高まっている気分をちょっと下げてさせてしまうこともあるでしょう。
そんなふうに考えると、「ざらにある」という言葉は決してプラスには、ならないような使い方になるのかもしれません。
気を付けて言葉を選ぶ必要もあるような感じもします。