「立て板に水」の意味とは?読み方、反対語や使い方、例文や例えを紹介!
今回は日本語の表現としてもよく使われる、「立て板に水」という慣用句について解説していきたいと思います。
目次
- 「立て板に水」の意味とは?
- 「立て板に水」の言い換えや類語
- 「立て板に水」の使い方や例文
- 「立て板に水」の対義語や反対語
「立て板に水」の意味とは?
慣用句のひとつとして、「弁舌が達者である」ことの比喩表現に用いられます。
この「立て板に水」という慣用表現は、「立て板に水を流す」というのが本来の形で、立てかけられた板に水を流すと、滞りなく流れ落ちていくという様子を指しており、水がさらさらと流れていく様が、人が淀みなくすらすらと喋る様子と重なったことで、「流暢に喋ること」「弁舌が達者であること」という意味合いを含むようになったと考えられます。
また、日本人の中には、言葉を喋る時に使う「舌」は「滑るもの」、同時に「言葉」というものに対しても「溢れるもの」「流れ出るもの」という意識があったようです。
そのため、板の上を滑るように流れていく水が、この「滑る舌」や「流れ出る言葉」のイメージと重なりやすかったため、慣用表現として定着したのではないかと考えられています。
- 「立て板に水」の読み方とよくある間違い
- 「立て板に水」は良い意味?悪い意味?
「立て板に水」の読み方とよくある間違い
「たていた・に・みず」と読みます。
よく見受けられる間違いに「縦板」という表記がありますが、本来の成り立ちが「立てかけてある板」に「水を流す」所から来ていますので、「縦になった板」と表記するのは誤用となります。
「建て板」という間違いをされているケースもありますが、「建てる」という言葉は建築物を造る際に用いる字ですので、これも誤用です。
また、時折勘違いとして見受けられるのが、「立石に水」という誤用です。
慣用句は、人々の生活に密着した形で広がってきた表現です。
ですので、その言葉が誤りでないかを考える時の基準として、「昔の人たちの生活はどうだったか」を想像してみることは、重要なヒントになります。
この「立石に水」という言葉を試しに考えてみる際、「石の上を水が流れる」というイメージだけに焦点を当てれば、意味合いとして近しい内容ですから、一見すると正しそうではあります。
ですが、加工がしやすく、どこにでも立てかけておける木の板とは異なり、石は加工が非常に難しく、人々の生活の場面で接する頻度はやや少なそうに思えます。
また、石材はかなりの重量があるものですから、木造家屋が多い日本の街中を想像してみると、「立てかけておく」というのはなかなか難しそうです。
沢山の言葉がある以上、勘違いや間違いはよくあることです。
とはいえ、「本当にこれは正しいのだろうか」と少し考えてみると、「おや?」と思うことは沢山あるはず。
間違いのないよう、言葉について「考える」というのも、日本語の表現を覚える際に役立つ方法のひとつかもしれません。
「立て板に水」は良い意味?悪い意味?
言葉を流暢に喋る、淀みなく話すことができている、というのが「立て板に水」という慣用句の意味になりますが、この言葉は肯定的な表現として使われるものなのか、それとも否定的な表現なのでしょうか。
実はこの「立て板に水」という表現を用いる場合、肯定的な意味合いとして使われるのが正しいとされています。
無駄な言葉をただ喋り続けるのではなく、相手にとって有益な情報をすらすらと伝えるというのが、「立て板に水」という言葉を使うのに適切な状況なだと言えるでしょう。
「立て板に水」の言い換えや類語
「水が立てかけた板の上をさらさら(すらすら)と流れていく」というところから、「言葉がよどみなく流れ出る様」に例えられたのが「立て板に水」という慣用句です。
同じように、「流れるように喋る」という意味合いの慣用句は多数存在しますが、その中でも「立て板に水」と非常にイメージの近いものをご紹介します。
- 「竹に油を塗る」【たけにあぶらをぬる】
- 「懸河の弁」【けんがのべん】
- 「一瀉千里」【いっしゃせんり】
「竹に油を塗る」【たけにあぶらをぬる】
竹は表面が非常につるつるとしていて滑りやすい、というのは皆さんもイメージが湧きやすいのではないでしょうか。
内側も同様に滑りがよく、また水も流れやすいというのは、夏によく行われる「流しそうめん」を思い出して頂ければ解りやすいかと思います。
ただでさえ滑りやすい竹に油を塗れば、更につるつると滑りやすさが増すでしょう。
それらのことから、「立て板に水」と同じように、流れやすい、滑りやすいという状態を例えるための慣用表現となり、加えて、「弁舌が得意な様」という意味合いを帯びたと考えられます。
ここでも「滑る」「流れる」というイメージが多分に含まれているという点は、日本人の感性というものを踏まえながら見ると、非常に興味深く感じられるのではないでしょうか。
「懸河の弁」【けんがのべん】
これも「水を上から流すように、滞りなく弁舌を振るうこと」という慣用句です。
「懸河」というのは、「傾斜が急で流れの速い川」という意味の言葉であり、そんな「懸河」のように言葉が溢れ、流れ出てくる様子から、「雄弁さ」というイメージに結びついたものだと思われます。
ここでもまた「流れる水」が「言葉」に例えられているのは、表現の形として非常に面白い所です。
「一瀉千里」【いっしゃせんり】
これも「水の勢い良く流れる様」を例えた四字熟語となっています。
元々は、清代の中国における下級地方官の心得を記した、「福恵全書」という書物の中に記述されていたものです。
そこには「厳然たる峡裡の軽舟、片刻に一瀉して千里す」(険しい谷間をゆく小さな舟は、あっという間に千里も下る)と書かれています。
「瀉」というのは、水が下方に向けて流れ下ることを意味しており、「千里」は、実際の距離を示すというよりも、非常に遠い距離の比喩表現として使われる言葉です。
その「川の水が一度流れ出すと一気に千里もの長い距離を下っていく」という様子から、当初は「物事が一気にはかどること」を意味する言葉として定着したようです。
そこから転じて、「弁舌が巧みで淀みないこと」という意味を持つようになりますが、ここで興味深いのは「弁舌」、つまり喋る言葉だけには留まらず、文字として記す「文章」が「すらすらと書けること」という意味合いも、この言葉が含むようになった点でしょう。
文章をすらすらと書くことができる様を「筆が走る」などと表現しますが、原典の文章の「小船が川を流れ」、勢い良く進んでいく様子から、文章を書くのが滞りなく進む、というイメージに辿り着くという感性も、言葉の成り立ちとして面白い所ではないでしょうか。
「立て板に水」の使い方や例文
では、実際に「立て板に水」という言葉はどのように使うのが正しいのでしょうか。
この言葉がどういった言葉か、どういった意味なのかを踏まえつつ、用法について解説していきます。
- 「立て板に水」の使い方
- 「立て板に水」を使った例文
「立て板に水」の使い方
「立て板に水」という言葉は、習慣として長く使われ続けた結果定着した「慣用句」です。
本来は「立てかけた板を水が流れていく」という様子を述べただけの言葉でしたが、そこに人々が「弁舌が流暢で、非常に上手に喋る」という意味合いを付け加え、そのまま今でも広く使われるようになっています。
こういった、本来とは違う意味が付加された言葉は、比喩表現という形で用いられるのが一般的です。
「まるで〜」、「〜のように」、「〜のごとく」といった言葉を補い、実際に板の上を水が流れている訳ではないけれど、「まるでそのように」「そう見えるかのような」と条件付けをしてあげることで、相手に伝わりやすい言葉・表現方法となります。
「立て板に水」を使った例文
以下に三つの例文を用意したので、それぞれを見ていきましょう。
「立て板に水のように言葉が次々と溢れ出してくる」
これは、立てかけた板を流れる水の「ように」、言葉が流れてくる、溢れ出てくるといった形の使い方です。
立てかけた板の上を水が滞りなく流れる様子と、絶え間なく喋り続けることができている様子を重ね合わせることで、すらすらと喋る「勢い」などを表現することができます。
また、ここで語られる内容は、決して無意味な言葉を一方的に語り出すような否定的な状況ではなく、淀みなく流れる水のように、非常に美しい肯定的なものです。
聴衆を前に素晴らしいスピーチをするような場面にこそ、相応しい表現と言えるでしょう。
「普段なら立て板に水のように喋るのに、今日は緊張しているのか随分大人しい」
これも、「ように」という言葉を補うことによって、「立て板に水」という慣用句を比喩表現として成立させています。
同時に、「普段は」立て板に水の「ように」すらすらと喋ると表現することで、今日はいつもと違って非常に大人しいという様子を強調しています。
「立て板に水」という言葉が肯定的な意味合いを含んでいますから、「大人しい」という部分に、「緊張している」というような否定的な意味合いを含むのが正しい形だと言えます。
「彼女は普段無口だが、好きなことに関しては立て板に水のごとく喋り出す」
これも、立てかけた板を流れる水の「ごとく」、という形で言葉を補うことにより、「まるで板を流れていく水のように」、流暢に喋る様子を表現しています。
この文章もまた、「無口」という言葉を比較対象として置くことで、好きなことは非常によく喋る、という性質を強調する形になっています。
また、喋る内容は「立て板に水」という肯定的な表現を使うことで、興味深い、面白い内容だという意味合いを含ませることができます。
「立て板に水」の対義語や反対語
「立て板に水」は淀みなく、滞りなく喋るという意味合いですが、それとは反対に「上手に喋れない」「喋るのが苦手」という意味になる、様々な対義語も存在します。
以下に紹介するものは、「板」や「水」という要素や、「言葉」というものを想起させる表現を含んだものになっています。
- 「横板に雨垂れ」【よこばんにあまだれ】
- 「横板に餅」【よこばんにもち】
「横板に雨垂れ」【よこばんにあまだれ】
「喋るのが苦手」ということを表現するための慣用句で、「非常によく喋る」という意味の「立て板に水」の対義語にあたります。
「立て板に水」は、立てかけている板、つまり地面とほぼ垂直になっている板に水をかけると、地面の方へすらすらと流れていく……という様子から生まれた慣用句です。
それに対し「横板に雨垂れ」という言葉における「横板」とは、地面と水平の状態に張られた板であると考えられます。
適度な斜度があるなど縦方向になっていれば、水は重力に従って、地面へと流れていくことができます。
ですが、横方向・水平方向に張られた板では流れは生まれず、そのまま留まってしまいます。
ましてや、板に水を勢い良くかけるのとは違い、雨垂れのようにぽつりぽつりと垂れてくるのでは、流れるだけの充分な水量も集められず、水滴となったまま、やがて時間をかけて蒸発するか、木の板に染み込んでしまうでしょう。
このような状態から、ぽつりぽつりとしか喋ることができない、つかえながらものを言うこと、更に発展して「弁舌が流暢でないこと」の例えとして用いられるようになったのだと考えられます。
「横板に餅」【よこばんにもち】
前述の「横板に雨垂れ」では水滴だった分、まだ水の流れる余地はありそうでしたが、こちらは粘り気が強い「餅」を例えに用いることで、言葉の流れが滞る様子が更に強調されています。
板に貼り付いて微動だにしない餅は、上手く回らない舌とも近しいイメージがあり、どこかユーモラスにさえ感じられます。
こういった部分が、人々が自分達の生活と照らし合わせる中で生まれた、慣用句の面白さと言えるでしょう。
今回は「立て板に水」という言葉について解説してきました。
言葉が生まれ、定着していくには、人々が受け入れやすい、想像しやすい表現であることが必要だと考えられます。
立てかけた板を流れていく水の勢いが、流暢に語られる言葉として例えられたのは、それだけ「言葉」や「流れる水」というものが人々の生活に大きく関わるものだったからなのでしょう。
言葉の成り立ちを考えることは、それを使い続けてきた日本人の感性に触れる、ということでもあります。
言葉について調べ、考えることで、日本語というものを面白く学ぶ。
この文章がその一助となりましたら、幸いです。