「生者必滅」の意味とは!使い方や「盛者必衰」まで詳しく解釈
「生者必滅」という表現は「どんな権力者でも、生者必滅の普遍的な摂理には抗えません」などの文章で使われますが、「生者必滅」にはどのような意味があるのでしょうか?
「生者必滅」という表現の「意味・読み方・使い方・例文と解釈・類義語」について、詳しく解説していきます。
目次
- 「生者必滅」の意味
- 「生者必滅」の表現の使い方
- 「生者必滅」の類語・類義語
- 「生者必滅」と「盛者必衰」の違い
「生者必滅」の意味
「生者必滅」という仏教用語を語源とする表現は、「無常のこの世界では、ひとたび生まれた者は必ず死んで滅びることになる」ということを意味しています。
「生者必滅」というのは、「生命あるものは、必ず死ぬことになる」を意味している表現なのです。
「生者必滅」は仏教における普遍的な真理の一つであり、「世の中のはかなさ・人生(生命)の無常と虚しさ」を示しているのです。
- 「生者必滅」の読み方
「生者必滅」の読み方
「生者必滅」の読み方は、「しょうじゃひつめつ」になります。
「生者必滅」の表現の使い方
「生者必滅」の表現の使い方を紹介します。
「生者必滅」の表現の使い方は、「生命があるものは、いずれ必ず老いて死ぬ(滅びる)という普遍的なこの世の摂理」を指し示して使うという使い方になります。
「生者必滅」は、「いったんこの世に生まれたものは必ず死ぬことになるという無常観に基づく運命・真理」を意味して使われる言葉なのです。
例えば、「生者必滅というのは避けられない無常の運命ですが、私は私にできることを頑張ってやるだけです」といった文章で使うことができます。
「生者必滅」の類語・類義語
「生者必滅」の類語・類義語を紹介して、その意味を説明していきます。
- 「諸行無常」【しょぎょうむじょう】
- 「会者定離」【えしゃじょうり】
「諸行無常」【しょぎょうむじょう】
「諸行無常」という仏教用語の表現は、「この世に永遠に変わらないものは存在しないこと」や「この世界に存在する万物・生命は常に生成流転していて、すべては虚しくて儚いという摂理」を意味しています。
その意味合いから、「生命あるものは、必ず老いて死滅するという儚い無常の運命」を示す「生者必滅」と近い類似の意味を持っている類語(シソーラス)として、「諸行無常」という仏教用語(四法印)の言葉を上げることができるのです。
「会者定離」【えしゃじょうり】
「会者定離」という仏教用語の表現は、「この世で出会ったものはすべて、必ずいつか別れることになるという運命」や「現世で知り合った人たちとどんなに親しくなっても、いずれ必ず死別することになる苦しみ」を意味しています。
この意味から、「会者定離」という仏教用語(四苦八苦)の表現を、「生命あるものは、いずれ必ず死ぬことになる」を示す「生者必滅」の類義語として解釈することができます。
「生者必滅」と「盛者必衰」の違い
「生者必滅」と「盛者必衰」の言葉はどちらも、「無常観(諸行無常)の真理」を意味しているもので、似たような意味を持っています。
「生者必滅」とは「この世に生まれたものは、必ず死んで滅びることになる運命」を意味していて、「盛者必衰」とは「この世でどんなに権力や財力を手に入れて栄えても、いずれ必ず衰退して滅びる(死ぬ)ことになる運命」を意味しています。
「生者必滅」と「盛者必衰」の違いは、「生者必滅」が「生から死(滅亡)へと変化していく無常の流れ」を表しているのに対して、「盛者必衰」は「俗世における権力・地位・財力などが永遠には続かず、いずれ衰えていく(本人は死んでしまう)無常」を表しているという違いになります。
この記事で解説した「生者必滅」の表現には、「この世にいったん生命を受けたものは、必ず老いて死ぬことになるという無常の真理」などの意味があります。
「生者必滅」の類語・類義語として、「諸行無常」「会者定離」などがあります。
「生者必滅」という言葉について詳しく調べたい時は、この記事を参考にしてみて下さい。