「罪業」の意味とは!類語や例文など詳しく解釈
この「罪業」という言葉は、日常生活ではまず耳にしないでしょう。
目次
- 「罪業」とは?
- 「罪業」の表現の使い方
- 「罪業」を使った例文と意味を解釈
- 「罪業」の類語や類義語
「罪業」とは?
「罪業」とは、仏教用語で「罪になるべき業」という意味の言葉です。
それによって将来的に自分が苦しむことになり、死後に地獄に堕ちてしまう原因となってしまうとも言われている為、そのような業は積まないに限ります。
この「業」とは、行い(行為)のことで、この言葉自体は仏教の世界以外でも普通に使われています。
- 「罪業」の読み方
「罪業」の読み方
「罪業」は、「ざいごう」と読む言葉です。
一般に使われることはほとんどなく、もし会話中にこの言葉が出てくるようであれば、その人は仏教にそれなりに通じた人だと考えて構いません。
日本では無宗教と言われる人でも、葬儀は仏教式で行うことが普通となっており、特にこれといった信仰がない人は潜在的な仏教徒だと考えることができます。
ですが、この「罪業」といった言葉は本当に仏教に通じていないと使うことはないでしょう。
「罪業」の表現の使い方
「罪業」という言葉は、人間が生きている間に犯した罪(行った業)のことです。
仏教は基本的に性善説なので、生まれてくる時には無垢な状態ですが、生きていく間に(人によっては)罪を重ねてしまうという考え方です。
それに対して、キリスト教では人間は生まれながらにして既に罪人であるという性悪説を唱えており、全く考え方が違うので、この「罪業」という言葉とは無縁です。
宗教ごとにこのような考え方の違いがある為、「罪業」は仏教の世界でのみ使える(意味が通じる)言葉だと解釈しておいてください。
「罪業」を使った例文と意味を解釈
「罪業」を使った例文と、その意味の解釈です。
先のように仏教用語なので、どうしてもそちらよりの例文になります。
- 「罪業」を使った例文1
- 「罪業」を使った例文2
「罪業」を使った例文1
「罪業を全て清算してこそ、浄土への扉が開かれる」
仏教では、人間は「罪業」によって死後に生まれ変わること(「転生」と言います)ができるか、地獄に堕ちてしまうか決まると考えられています。
宗派によって少々の解釈の違いはありますが、「罪業」をいかに積まず、清算する為に生きていくかという教えとなっています。
「罪業」を使った例文2
「罪業に数えられる行為とまではいかないだろう」
「罪業」は、刑事罰になってしまうような行為だけでなく、日常のふとした行為がそのようにとられてしまう場合もあるものです。
その為、常に正しい行いを心掛けて生きていかなければいけません。
これは何も仏教だけに限った話ではなく、当然のことだと言っていいでしょう。
「罪業」の類語や類義語
「罪業」と同様の意味で使われる言葉です。
こちらも宗教用語と考えていいでしょう。
- 「カルマ」【かるま】
「カルマ」【かるま】
仏教の発祥元であるインドでは、「業」はこの「カルマ」と表現されます。
そして、多くの場合で罪になるような(悪い意味の)業に対して使われる為、「罪業」と同様に使うことができる言葉だと解釈できます。
日本の仏教における正式な用語ではありませんが、実質的な意味はほぼ一緒です。
「罪業」と表現されるような行為は行わないに限ります。
この言葉は仏教用語ですが、意味は一般にも充分に通る言葉です。