「おぼし召す」の意味とは!類語や例文など詳しく解釈
小説などで「おぼし召す」という言葉が使われていることがあります。
一体どの様な意味なのか、語源や使い方なども併せて紹介します。
目次
- 「おぼし召す」とは?
- 「おぼし召す」の表現の使い方
- 「おぼし召す」を使った例文と意味を解釈
- 「おぼし召す」の類語や類義語
「おぼし召す」とは?
「おぼし召す」の概要について紹介します。
- 「おぼし召す」の読み方
- 「お思いになる」の意味
- 「心をお寄せになる」の意味
- 「おぼし召す」の語源
「おぼし召す」の読み方
「おぼし召す」は「おぼしめす」と読み、漢字で書くと「思し召す」です。
読み方が難しいのですが、どちらでも読み書きできる様にしておきましょう。
「お思いになる」の意味
「おぼし召す」は「思う」の敬語で「お思いになる」「お考えになる」という意味です。
非常に高貴な人が「思っていること」を表します。
「心をお寄せになる」の意味
高貴な人が、その人やものを非常に愛したり、目をかけたりなどして大切にお思いになることを言います。
こちらも「目をかける」という言葉を敬語で表した言葉です。
「おぼし召す」の語源
「おぼし召す」は、古文で「思う」の意味である「おもほしめす」が変化したものです。
「おぼす」よりも尊敬度が高く、庶民が使う言葉ではありませんでした。
「おぼし召す」の表現の使い方
「おぼし召す」の使い方を紹介します。
- 「思う」の尊敬語として
- 高貴な人に対して使う
- 「神様のおぼし召し」とは
「思う」の尊敬語として
「おぼし召す」は、「思う」の尊敬語です。
「思う」の丁寧語は「思う」で、尊敬語は「思われる」「お思いになる」「おぼし召す」で、「おぼし召す」は最上級になります。
高貴な人に対して使う
「おぼし召す」は単に目上の人、年上の人であるというだけでは使いません。
非常に高貴な身分で、皇族や王族に対してか、世話役や執事などが主人となる人に対して使う言葉です。
日常で使う時には冗談であることを理解してくれる人に対して使いましょう。
「神様のおぼし召し」とは
「神様のおぼし召し」とは、「神様がお望みの通りになる」という意味で使われます。
良いことも悪いことも神様がそう望まれている、という考え方です。
「おぼし召す」を使った例文と意味を解釈
「おぼし召す」を使った例文と解釈を紹介します。
- 「おぼし召す」を使った例文1
- 「おぼし召す」を使った例文2
「おぼし召す」を使った例文1
「女王はご退位なさろうとおぼし召している」
女王が退位して王位を譲ろうと考えていることを表しています。
「おぼし召す」を使った例文2
「この出会いは神がおぼし召していることに違いない」
婚活で素敵な人に出会ったのは、神様がしたことに違いないと思っていることを表しています。
「おぼし召す」の類語や類義語
「おぼし召す」の類語を紹介します。
- 「御意」【ぎょい】
- 「勅旨」【ちょくし】
「御意」【ぎょい】
「高貴な人や位の高い人の考えや意向のこと」という意味です。
偉い人が自分の意見を述べた時に「その通りです」と言う相槌代わりに使われます。
「勅旨」【ちょくし】
「天皇のご意向」「律令制における天皇からの勅命」という意味です。
「おぼし召す」は「お思いになる」「心をお寄せになる」という意味です。
日常で滅多に使う機会はありませんが、「思う」の最上級の敬語と覚えておきましょう。