「打たぬ鐘は鳴らぬ」とは?意味など徹底解説
この「打たぬ鐘は鳴らぬ」は、格言や例えとしてよく用いられる表現です。
目次
- 「打たぬ鐘は鳴らぬ」とは?
- 「打たぬ鐘は鳴らぬ」の概要
- 「打たぬ鐘は鳴らぬ」の類語
「打たぬ鐘は鳴らぬ」とは?
「打たぬ鐘は鳴らぬ」とは、「行わないことによる結果は得られない」という意味で使います。
何かの結果を得ようするなら、それなりの努力や苦労が必要だという意味で用いる表現です。
「自ら行動しないことには始まらない」という解釈でもよく使われます。
- 「打たぬ鐘は鳴らぬ」の読み方
「打たぬ鐘は鳴らぬ」の読み方
「打たぬ鐘は鳴らぬ」は、「うたぬかねはならぬ」と発音します。
読み方としては、そのまま読めば何も問題はないでしょう。
少し変化させて、「打たない鐘は鳴らない」と使われることもあります。
「打たぬ鐘は鳴らぬ」の概要
「打たぬ鐘は鳴らぬ」は、自ら行動しない、積極的に行おうとしないのに、結果だけを求めるような人に対して訓告として用いられることが多い言葉です。
英語でも、「何もしなければ何も生まれない」という意味の「打たぬ鐘は鳴らぬ」と同様に使える“nothing comes of nothing”という表現があります。
「打たぬ鐘は鳴らぬ」の類語
「打たぬ鐘は鳴らぬ」と似た意味のある言葉です。
これらが用いられる場合も、全く同じ意味だと考えて構いません。
- 「蒔かぬ種は生えぬ」【まかぬたねははえぬ】
- 「痛みなくして得るものなし」【いたみなくしてえるものなし】
「蒔かぬ種は生えぬ」【まかぬたねははえぬ】
種を蒔かないことには、発芽してくることはありません。
よって、「打たぬ鐘は鳴らぬ」と同じく、何かの結果を得るなら、それに必要な努力や苦労があって当然だという意味になります。
「痛みなくして得るものなし」【いたみなくしてえるものなし】
こちらも、何かを得るならそれなりの痛みがあって当然だという解釈になります。
この「痛み」は努力や苦労を表現していると考えてください。
「打たぬ鐘は鳴らぬ」は、結果が伴うことに対して広く使える言葉だと言えるでしょう。
どんなことであっても、楽をして結果だけ得ることはできないものです。