「唯心論」の意味とは?類語、英語や使い方、例文を紹介!
「唯心論」という言葉は、聞いたことはあるけど使ったことはない、という方が多いのではないでしょうか。
なんとなくわかるけど、曖昧だ、という方も多い言葉ですので、ここでは「唯心論」についてご紹介します。
基本的な意味から、類語、対義語、英語なども紹介していますので、この機会にぜひ一読ください。
目次
- 「唯心論」の意味とは?
- 「唯心論」の読み方・宗教的見方
- 「唯心論」の漢字
- 「唯心論」の英語
- 「唯心論」の対義語
- 「唯心論」の言葉の使い方
- 「唯心論」を使った例文や短文
- 「唯心論」の類語や類義表現
「唯心論」の意味とは?
実在のものは物質的なものではなく、心的なものである、とする哲学上の立場を「唯心論」といいます。
古代ではプロティノスにはじまり、中世のアウグスティヌス、近世ではヘーゲルやショーペンハウアーがこの論を支持し、時代とともに展開されてきています。
「唯心論」の読み方・宗教的見方
「唯心論」は「ゆいしんろん」と読みます。
「唯心」とは仏教の用語でもあり、実在する現象のすべては心によって生み出されたものであり、心がすべての実在を生み出している、すべての根源である、という意味で使われています。
また、「唯心論」は理想主義とも呼ばれ、キリスト教とともに西洋思想を支えてきた哲学思想のひとつでもあります。
「唯心論」の漢字
「唯」という漢字にはほかに、「イ」「ただ」の読みがあり、ただ、それだけ、という意味で使われています。
ほかに、「唯々諾々」の形で、はい、と応答を表す語としても使われます。
「心」という漢字はほかに、「こころ」「うら」という読みを持ち、こころ、気持ち、精神といったここで使われている意味のほかに、心臓のことや、まんなか、かなめという意味でも使われることがあります。
「論」という漢字はほかに、「あげつら-う」「と-く」という読みがあり、道理を説く、善悪を述べる、筋道だったかんがえ、などを意味しています。
「唯心論」の英語
「唯心論」を英語にすると、“spiritualism”、“idealism”、“mentalism”などと表されます。
どれも、物質的なものではなく、精神的なもの、心的なものが現象をつくりあげているのだ、とする見方を指します。
現実にあるものも、どう見えるか、どう見るか、もしくはどう見えないか、どう見ないかなど、心の動きによって見える世界が異なる、ということを表しています。
「唯心論」の対義語
「唯心論」つまり、心がすべての現象を司っているとする立場の逆にあたるのは、「唯物論」になります。
「唯物論」では、観念的なもの、精神的なもの、心的なものの根底にはかならず物質があるのだ、とする立場をとっており、心的なものの実在を認めない見方です。
原子論とも呼ばれ、物質をつくりあげている要素である原子などと、それらの相互作用によってすべての物事は説明がつくという考えで、非物質的なものの存在を否定するものです。
「唯心論」の言葉の使い方
「唯心論」という言葉は、心的に物事を見るときに使われることが多いです。
また、「唯物論」と比較して使う場面もあります。
どちらにしても、すこし堅苦しい印象にはなってしまうため、相手が意味を知らない場合に伝わらないおそれがあります。
論文作成など、公的な文書等には使い勝手のよい言葉ですので、覚えておくと便利でしょう。
「唯心論」を使った例文や短文
それでは具体的に、「唯心論」を使用した例文を見ていきましょう。
例文のなかで文脈がわかると応用がききます。
- 「唯心論」の例文1
- 「唯心論」の例文2
- 「唯心論」の例文3
「唯心論」の例文1
「母の死後、ふしぎなできごとがいくつも起こってからは唯心論者になった」
物質的な世界を認める立場、つまり「唯物論者」的な立場をとっていた人でも、非科学的、非物質的な世界を認めざるをえない事象に出会うと、「唯心論者」にならざるをえない、ということがあります。
世の中には数値には出ないが明らかに起こる、ふしぎとしかいいようのない出来事に遭遇することがあり、そのようなものの存在まで認められるのが「唯心論」ともいえるでしょう。
「唯心論」の例文2
「唯物論的に見るか、唯心論的に見るかで、ものの見え方がまったくちがう」
たとえば急に風が吹いた、というだけのことでも、「唯物論」的に見れば、空気の流れを追うことになりますが、「唯心論」的に見ると、神が知恵を与えてくれたとか、気づきのきっかけだとかいう見方もできます。
ひとつの物事が起こったとき、多角的に見ることができると、面白い発見が増えるのではないでしょうか。
「唯心論」の例文3
「同じ街の風景でも、唯心論的に見ると日々、自分の心に添って変わっているように感じる」
わたしたちは日々、ちがう気分で生きていますし、細胞的にもつぎつぎと生まれ変わっています。
心と物質と、どちらがさきに起こっているのか、と問われると、鶏が先か、卵が先か、といった論争になります。
変化が自分の心から生み出されたとするのが「唯心論」で、物質的変化によって心にも変化が見られる、とするのが「唯物論」と考えるとわかりやすいでしょう。
「唯心論」の類語や類義表現
最後に「唯心論」の類語表現について見ておきましょう。
類語表現を知っていると、「唯心論」の理解も深まり、語彙力もアップします。
- 「観念論」【かんねんろん】
- 「形而上」【けいじじょう】
「観念論」【かんねんろん】
英語の項で“idealism”というものを挙げましたが、これは「観念論」を指し示すものでもあります。
「観念論」とは、観念的、精神的なものだけで世界は成立しており、すべての物事は観念のなかでつくりあげた仮象の世界でしかない、とするほか、現実に基づいておらず、頭のなか、心のなかだけでつくりあげた物事のことを意味する言葉です。
「形而上」【けいじじょう】
「けいじじょう」と読み、形を超えたもの、形のないもの、精神的なもの、という意味の言葉です。
逆に物質的、形のあるもののことは「形而下」と言い表すことができますので、あわせて知っておくと便利でしょう。
「形而上学」というと、目には見えない、究極の真理、本質について詳らかにすることを目的とする学問のことをいいます。
「唯心論」とは、心的なものが実在をつくりあげている、という立場を意味する語とわかりました。
「唯心論」と「唯物論」、どちらも一理ありますが、どう感じるかで見え方が変わること、というのはだれしも経験があることかと思います。
どちらの立場も知っていることでひとつの物事をふたつ以上の見方で考えられると、人生が豊かになるのではないでしょうか。