意味解説の読み物

meaning-book

meaning-bookは意味解説の読み物です

「高みの見物」とは?意味・類語・英語【使い方や例文】

「高みの見物」ということわざの意味や類語を紹介します。

さらに「高みの見物」の使い方や、「高みの見物」を使った例文を紹介していきます。

高みの見物

Meaning-Book
「高みの見物」とは?意味・類語・英語【使い方や例文】>


目次

  • 「高みの見物」の意味とは?
  • 「高みの見物」の意味と語源
  • 「高みの見物」の英語
  • 「高みの見物」に多い誤用
  • 「高みの見物」の言葉の使い方
  • 「高みの見物」を使った例文
  • 「高みの見物」と「対岸の火事」の違い
  • 「高みの見物」の類語


「高みの見物」の意味とは?

「高みの見物」の意味とは?

「高みの見物」ということわざを知っているでしょうか。

「高みの見物」「たかみのけんぶつ」と読む、比較的よく知られていることわざです。

「高みの見物と決め込むか」などのフレーズを耳にした事があるかもしれません。

一方で、今回初めて「高みの見物」という言葉を知った人もいるでしょう。

「何を見物するんだろう」など、様々な疑問が湧いているはずです。

そこで「高みの見物」という言葉の意味や使い方を紹介します。

この言葉の意味を知る事で、「高みの見物」とはどのような事なのかが分かり、身近な誰かがしている行為に対して「高みの見物」だと言いたくなるかもしれません。



「高みの見物」の意味と語源

「高みの見物」の意味と語源

「高みの見物」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。

「高みの見物」という言葉の意味と、その語源になっている事がについて紹介して行きます。

  • 「高みの見物」の意味
  • 「高みの見物」の語源

「高みの見物」の意味

「高みの見物」には、「利害の関係のない場所から、傍観する事」という意味があります。

「傍観」には「手を出さずに見ているだけ」「物事に関係ない立場で見る事」という意味があります。

そのため、「高みの見物」ということわざには、直接関係のない立場として気楽にまたは冷静に、物事を見るという意味があります。

またやや興味本位で楽しんで見るという意味も含まれます。

「高みの見物」の語源

「高みの見物」という言葉が生まれた背景は、どのようなものでしょうか。

「高み」とは、「周囲よりも高い場所」という意味があります。

物事が行われている場所から離れた場所で、物事が展開している様子を客観的に眺めている人々の様子が「高みの見物」という言葉になったと言われています。

この場合の「高い場所」は、現場から離れた場所という意味で、社会的立場などが高い事という意味は含まれていません。

「高みの見物」の英語

「高みの見物」の英語

「高みの見物」という言葉を英語にすると、どのような表現になるでしょうか。

「高みの見物」の英語は、“look on with folded arms”になります。

“look on”「見る」「見物」という意味の英語で、“with folded arms”「腕を組んで」という意味があります。

そのため、“look on with folded arms”には、「腕を組んで見物する」「高みの見物」という意味があります。

腕を組んで物事を見る時は、その物事に直接絡んでいない、傍観者の場合がほとんどです。

みなさんも、自分とは関係のない出来事を、腕を組みながら見物した経験があるのではないでしょうか。

このように「高みの見物」“look on with folded arms”という英語に直す事ができますので、覚えておきましょう。



「高みの見物」に多い誤用

「高みの見物」に多い誤用

「高みの見物」という言葉は、間違った使われ方をする事がありますので、その例を見て行きましょう。

まず「高みの見物」「高み」「高見」と表記してしまう人がいます。

「高見」ではなく、「高み」ですので間違えないようにしましょう。

さらに「高身の見物」ということわざには、物事と直接関係のない立場から、客観的に物事を見るという意味がありますが、「高みの見物」「高い場所から見下す」という意味で使っている人がいます。

例えば、社会的地位の高い人が、庶民が右往左往している様子を面白がって見ているという意味で「高みの見物」ということわざを使う人がいますが、それは間違った使い方ですので改めましょう。

「高みの見物」の言葉の使い方

「高みの見物」の言葉の使い方

「高みの見物」という言葉をどのような場面で使えばいいでしょうか。

「高みの見物」には、物事を第三者目線で見る、傍観者として見るという意味がありますので、そのような立場に立った時に、「高みの見物」という言葉を使ってみましょう。

例えばテレビの中で放送されるライブのニュースを見る時は、同時刻に起きている重大事件だとしても、興味本位で見る事ができます。

また、社内の誰かと誰かが壮絶な口喧嘩をしていたとしても、その二人と直接関係のない人なら傍観者でいられます。

このような時に、「高みの見物といこう」などというフレーズを使って、自分の心情を表す事ができます。

一方で、先ほどのニュースの発生地が自宅近辺だった場合は、傍観者というわけにはいられません。

家族にすぐ連絡する必要があるかもしれません。

このような時は「高みの見物とはいかない」と、自分の心情を表す事ができます。

「高みの見物」を使った例文

「高みの見物」を使った例文

「高みの見物」という言葉を使った例文を紹介します。

様々な場面における「高みの見物」を使った文章を見る事で、この言葉の使い方のコツを覚えましょう。

  • 「高みの見物」の例文1
  • 「高みの見物」の例文2

「高みの見物」の例文1

「駅の隣のホームで男女が言い争いをしていたので、『高みの見物』を決め込んだ」

この例文は「高みの見物」ということわざの典型的な例です。

隣のホームという安全な場所で、事の成り行きを興味本位で見守っている様子が見てとれます。

男女がどうなっても自分には関係ありませんし、被害が及ぶ事もないので、人の喧嘩を楽しんで見る事ができます。

「高みの見物」の例文2

「ヘタに仲裁をしたら巻き込まれるので、今回は『高みの見物』をするべきだ」

この例文のように、下手に人の喧嘩を仲裁しようとすると、いつの間にか当事者にされてしまう事があります。

このような場合は、傍観者の立場を取り、関係のないふりをするのが賢明でしょう。

逆に放置していたら、問題が後に自分たちに影響する可能性がある時は、「高みの見物」とは行かないかもしれません。

「高みの見物」と「対岸の火事」の違い

「高みの見物」と「対岸の火事」の違い

「高みの見物」とよく似ていることわざに「対岸の火事」があります。

ふたつのことわざには、どのような違いがあるのでしょうか。

「対岸の火事」という言葉の意味を知り、その違いを確かめてみましょう。

  • 「対岸の火事」の意味
  • 「高みの見物」と「対岸の火事」の違い

「対岸の火事」の意味

「対岸の火事」ということわざには、どのような意味があるでしょうか。

「対岸の火事」には、「自分には何も関係がないため、痛くもかゆくもない事」という意味があります。

みなさんの家の近くにも、大きな川が流れているかもしれません。

その川の向こう岸で火事が起こっていても、心配はするかもしれませんが、川が隔ててくれるため火が燃え広がる事はありません。

そのため、心情的にはともかく、物理的には痛くもかゆくもない出来事という事になります。

例えば、自分とはまるで関係のない部署で困った出来事が起こったとしても、心配な気持ちはあっても、全く別の世界の出来事と思う事ができます。

このように「対岸の火事」には、自分には関係がないため、痛くもかゆくもない事という意味があります。

「高みの見物」と「対岸の火事」の違い

「高みの見物」「対岸の火事」は、現場から離れた場所で傍観者として物事の推移を見るという点では共通しています。

そのため二つの言葉はとても似ている事が分かります。

ただし「高みの見物」の場合は、「気楽に」「興味本位で」物事の推移を見ている傾向があります。

家事のような当事者にとって不幸な出来事を楽しんで見ている節があります。

一方「対岸の火事」には、自分とは関係がないため、痛みを感じる事はありませんが、楽しんで見ているという意味も含まれていません。

そのため、「高みの見物」の方が、傍観者としてワクワクしている雰囲気があります。

「高みの見物」の類語

「高みの見物」の類語

「高みの見物」と同じような意味を持つことわざがあります。

それが「山門から喧嘩見る」ということわざです。

「山門から喧嘩見る」「さんもんからけんかみる」と読みます。

「山門」は、お寺の中にある門の事で、大きくて高さがあります。

京都のお寺などに行くと、山門の上に乗れる事がありますが、かなりの高さから周囲を見渡す事ができます。

このような場所から、地上で行われている喧嘩を見ると、自分には被害が及ばないため安心して見られるでしょう。

実際に「山門から喧嘩見る」には、「事件と関係のない安全な場所で、出来事の進捗具合を興味本位で見物する事」という意味があります。

ほとんど「高みの見物」と同じ意味を持つことわざですので、「高みの見物」をほかのことわざに言い換えたい時のために覚えておきましょう。

icon まとめ

「高みの見物」という言葉の意味や使い方を見てきました。

このことわざを知ると、自分も「高みの見物」をする機会が多い事に気付いたかもしれません。

何もかも当事者として捉えてしまうと、心が疲れてしまいます。

それほど深刻な事件や出来事でなければ、「高みの見物」を決めてもいいのかもしれません。