「身を削る」の意味・読み方・英語【使い方や例文】
身を削るという表現は、それだけ苦労をしていることを表す慣用句として使われます。
目次
- 「身を削る」の意味とは?
- 「身を削る」を分解して解釈
- 「身を削る」の使い方
- 「身を削る」を使った例文と解釈
- 「身を削る」を英語にすると?
- 「身を削る」の類義語や置き換えられる表現
「身を削る」の意味とは?
身を削るとは、自らの身を挺する(削る)ほどの苦労を表す慣用句です。
それほどの苦労をしたという意味で使います。
また、人に対して、かなりの苦労をしただろうという労いの意味で使うこともできます。
同様の意味の慣用句はいくつかありますが、その中でも使われろことの多い1つです。
- 「身を削る」の読み方
「身を削る」の読み方
「身を削る」は、漢字のまま「みをけずる」とそのまま読みます。
文字通り、そこまでの苦労を伴った(と思われる)時に使う表現で、この他の読み方も特にありません。
「身を削った」、「身を削りながら」などという活用形で使うことも多いです。
そのような場合でも読み方が変わることはなく、それぞれ「みをけずった」、「みをけずりながら」と発音します。
「身を削る」を分解して解釈
身を削るを2つに分け、詳しく意味を解釈していきます。
どちらも1つの言葉として普通に使われていますが、その2つがくっ付くことで、この慣用句として完成しています。
特に「削る」の方は、この慣用句では比喩として使っているので、そこをよく理解しておきましょう。
- 「身を」
- 「削る」
「身を」
この「身を」は、「自分の身体を」という意味で使っています。
ですが、実際に身体に影響が出るほどの苦労を伴ったという場合はもちろん、それに等しいほどのという意味で使うことも多く、身体に実害までは出ていない時に使っても構いません。
(そのケースの方が多いでしょう)
「削る」
「削る」はあくまで比喩表現で、「〜を呈するほど」、「〜を酷使するほど」と解釈して使っています。
この「身を削る」と同様の意味の慣用句がいくつかあると書きましたが、その中には同じような形で、比喩によってその過酷さを表しているものがほとんどです。
「身を削る」の使い方
身を削るという表現は、それ相応なことがあった場合に使います。
現在の状況に対しても使えますが、過去にそういったことがあったことを表す時の方が多いと言えるでしょう。
その為、そんなことがありながらも、今はその(そこまでの苦労をした)お陰で、以前より状況が改善したという使い方をよく見ます。
「身を削る」を使った例文と解釈
実際には大した苦労をしていないのに、この慣用句を使っているケースがまま見られます。
文章を見ただけではその区別は付きませんが、後でそれが分かった時にどう思われるか(大袈裟だと揶揄されるような心配)まで考えて使いましょう。
- 「あれだけ身を削る思いをしたのだから、この結果も当然だ」
- 「ここまでにかなり身を削ったが、やっと軌道に乗せることができそうだ」
- 「あそこまで会社を大きくするには、どれだけ身を削る思いをしたのだろうか」
「あれだけ身を削る思いをしたのだから、この結果も当然だ」
相応の苦労をした甲斐あって、望んだ結果が得られたという例文です。
どれほどの苦労も、それが必ず結果に繋がるとは限りませんが、苦労もせずに結果だけを得ようなどという調子のよいことを考えてはいけません。
「ここまでにかなり身を削ったが、やっと軌道に乗せることができそうだ」
苦労の結果、商売や長期プロジェクトなどの時間を掛けて結果を出す対象を成功させることができそうだという例になります。
上の例も含めて、このような自らの苦労に対して使うことが多い慣用句です。
ただし、先に書いたように、実際にはそこまで苦労はしておらず、大袈裟にこの慣用句で表現していることも少なくないので、いつも額面通りに捉えていいのかは難しいところです。
「あそこまで会社を大きくするには、どれだけ身を削る思いをしたのだろうか」
これは、人に対して使っている例です。
このような場合には、前述のように労いの意味も含むと考えていいでしょう。
「身を削る」を英語にすると?
「身を削る」は、英語では“go through hardships”が適切な表現となります。
「大変な苦労をする」、「とても困難な思いをする」という意味の熟語表現で、日本語の「身を削る」の意味にちょうど相当します。
その他に、“struggled to〜”という表現で、「〜に苦労をした」という意味になり、身を削るというまでには至らないと思う場合、この方が合っています。
大袈裟には言いたくないという時にはこちらの方を使ってください。
「身を削る」の類義語や置き換えられる表現
「身を削る」と同様の意味を持つ慣用句は多く、そのどれを使っても、同じように苦労をしたことを如実に表現できます。
多少大袈裟な表現のものもありますが、あくまで比喩表現です。
- 「寿命を縮める」【じゅみょうをちぢめる】
- 「骨身を惜しまず」【ほねみをおしまず】
- 「神経を摩り減らす」【しんけいをすりへらす】
- 「血のにじむような」【ちのにじむような】
「寿命を縮める」【じゅみょうをちぢめる】
本当に寿命そのものが縮まったという訳ではなく、それに相当するような苦労をしたという意味で使います。
「〜思いだった」などと過去の苦労を振り返る時によく使われる表現です。
「寿命を縮めた」と変化させて使う場合もあります。
(このケースでも、本当に寿命が縮まった訳ではありません。あくまでそれほどだったという比喩表現です)
「骨身を惜しまず」【ほねみをおしまず】
「骨や身体をことなど気にせずに頑張る」様子です。
「身を削る思いだった」をこの表現で置き換えると、「骨身を惜しむことはなかった」となります。
このように、そのままの表現ではなく、色々な活用形で使えます。
「神経を摩り減らす」【しんけいをすりへらす】
この表現は、苦労そのものを指す場合より、「気苦労」に対して使うことが多いです。
肉体的な苦労も大変ですが、気苦労も場合によってはそれ以上に大変なことが少なくありません。
「〜思いをした」と使うことが多く、それだけの気苦労をした(と思った)時に使います。
「血のにじむような」【ちのにじむような】
「〜努力」、「〜苦労」という形で使います。
「身を削る」とそのまま置き換えられる表現です。
その「身を削る」もそうですが、こちらの場合も肉体的な苦労の意味だと考えていいでしょう。
ですが、「気苦労」という意味を全く含んでいない訳ではなく、「苦労」という言葉自体にその意味が多少は入っていると考えてください。
身を削るほどの苦労や努力は、簡単にできるものでもありません。
自らにこの「身を削る」という慣用句を使う場合には、本当にそれだけのこと(少なくとも自分ではそこまでだと思っている)があった時だけにしておきましょう。