「光陰矢の如し」の意味・類語・対義語【使い方や例文】
「光陰矢の如し」とはとても風流な言葉です。
こんな言葉を普段から使いこなせれば好感度もアップするででしょう。
「光陰矢の如し」の意味や使い方について紹介します。
目次
- 「光陰矢の如し」の意味とは?
- 「光陰矢の如し」の由来
- 「光陰矢の如し」の言葉の使い方
- 「光陰矢の如し」を使った例文・短文(解釈)
- 「光陰矢の如し」の英語
- 「光陰矢の如し」の漢文は「光陰如箭」
- 「光陰矢の如し」の類語
「光陰矢の如し」の意味とは?
- 「光陰矢の如し」の読み方
- 「光陰矢の如し」の意味
「光陰矢の如し」の読み方
「こういんやのごとし」と読みます。
文章によっては「ごとき」「ごとく」と表すこともありますが、「ごとし」が最も一般的です。
「光陰矢の如し」の意味
「月日が過ぎるのは矢の様に速いこと」を意味します。
「光陰」は光と影、つまり太陽が行き来する様子であり、このことから「月日・歳月・時間」が流れることを表します。
「矢の如し」は「矢を放った様に速く過ぎ去り、二度と戻らない様子」を表します。
つまり、ただ時間が過ぎ去るだけではなく、その空間を心に感じていることまで言い表しているのです。
ここから転じて「時間は取り戻せないので大切にするべき」という教訓として使われています。
「光陰矢の如し」の由来
「光陰矢の如し」は、中国の唐時代に詩人として活躍していた「李益(りえき)」の作品から来ています。
ここから日本に伝わったものと思われ、和歌や仏教の経典などに使われる様になりました。
「光陰矢の如し」の言葉の使い方
- 昔を懐かしむ時に
- やるべきことができなかった時に
- 未来への動機付けとして
昔を懐かしむ時に
大人になって最も時間の流れを感じるのは同窓会に出席した時ではないでしょうか。
子供の頃に美男・美女だった人達が太ったり薄毛になってしまったり、逆に全くさえなかった人が起業家になっていたりと変貌を遂げています。
過ぎ去った時間を懐かしむと共に、あっという間に時間が流れてそれぞれが違った人生を歩んでいることを感じるのです。
その様な時に「光陰矢の如しだね」と言えるでしょう。
やるべきことができなかった時に
時間というのは余裕がある時には長く感じますが、急いでいる時や焦っている時程あっと言う間に過ぎてしまうものです。
やるべきことが山積みになっているのに全く進まず、いつの間にか月日だけが過ぎてしまい1年経ってしまうこともあります。
自分から行動を起こさなければ一生同じ状態のままで居続けなければなりません。
やらなければという焦りの気持ちを含んで「光陰矢の如し」と使います。
未来への動機付けとして
「光陰矢の如し」は、過去のことだけを表しているのではありません。
時間はこれから未来に向かって流れて行くので、自分の未来の目標に対して動機付けとして使えます。
「光陰矢の如しだから時間を大切に使おう」「光陰矢の如しだから後悔しない様にやりたい様に生きる」等と使います。
いずれも未来のことなのでまだ結論は出ませんが、「時間が経つのは速いことを前提に」目標設定をしています。
「光陰矢の如し」を使った例文・短文(解釈)
- 「光陰矢の如し」の例文1
- 「光陰矢の如し」の例文2
- 「光陰矢の如し」の例文3
「光陰矢の如し」の例文1
「入社して早10年、光陰矢の如しだ」
会社に入社した時「何年勤めよう」と決めている人はいません。
毎日出勤しているうちにいつの間にか月日が経ってしまうものです。
10年ひと昔といいますが、一つの会社に10年、20年、40年と勤めて定年退職していく人もいます。
勤めていれば10年はあっという間に過ぎてしまうものですが、その10年は自分のキャリアとして積み重ねられています。
「光陰矢の如し」の例文2
「光陰矢の如しであっという間に駅前にビルが建ち並んでいた」
以前見た時にはまだ駅前はのんびりとした風景でしたが、しばらく来ないうちに近代化してビルが建ち並んでいることがあります。
自分ではほんの数か月と思っているのですが、実は最後に訪れてから10年以上経っていることも少なくありません。
自分で感じているよりも時間が速く過ぎていたことに気付いた時にこの様に言うのです。
「光陰矢の如し」の例文3
「人生とは光陰矢の如しだから、有意義に過ごそう」
過去に何度か時間が経つのが速くて驚いたり後悔したりした経験のある人が、今後の自分の生き方について考えた時にこう言います。
今迄の様にムダなことに時間を費やしたり、人と争っているとあっという間に年を取ってしまいます。
時間の大切さを自分に言い聞かせる意味を含んでいます。
「光陰矢の如し」の英語
「光陰矢の如し」をネットで調べると“Time flies. ”(時が飛び去る)と出てきます。
普段の会話で「もう時間がないぞ」ということを意味する時に使えるので便利です。
しかしこれは単なる英語的表現であり、格言とは違います。
格言的な表現は“Time and tide wait for no man. ”(時も風潮も人を待たない)となります。
過ぎた時間の大切さを感じ入る時にはこちらの表現の方がスマートです。
「光陰矢の如し」の漢文は「光陰如箭」
「光陰矢の如し」の漢文は「光陰如箭」で、「箭」は「や」と読み「矢」と同じ意味です。
こちらは先述の通り、唐時代に見られる表現です。
「光陰矢の如し」の類語
- 「歳月人を待たず」【さいげつひとをまたず】
- 「一寸の光陰軽んずべからず」【いっすんのこういんかろんずべからず】
- 「少年老い易く学成り難し」【しょうねんおいやすくまなべなりがたし】
「歳月人を待たず」【さいげつひとをまたず】
「時間」「月日」は人の都合に関係なく流れていくもので、誰をも待ってはくれないという意味です。
ここから転じて「残り少ない時間を無駄にしない為に、一生懸命努力をするべし」と解釈されます。
但し、説によっては「人生の時間はすぐに過ぎてしまうのだから、今存分に楽しんで過ごすべし」が本来の意味であると言われることもあります。
英語の"Time and tide wait for no man. "に最も近い言い方です。
「一寸の光陰軽んずべからず」【いっすんのこういんかろんずべからず】
一寸、つまりほんの僅かな時間もムダにするべきではないという意味です。
こちらは中国の儒教を学んだ詩人の作品から使われる様になりました。
「少年老い易く学成り難し」【しょうねんおいやすくまなべなりがたし】
少年とは「人の若い時代」を意味します。
若い時代は非常に短くあっという間に年を取ってまう、そして学問は簡単に身に付けられるものではない、という意味です。
上記の「一寸の光陰軽んずべからず」の類語として別々に使われていますが、実は元々一つの文章でした。
「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」となり、意味も「若い時代は短く学問を修めるには足りないので、時間を無駄にせず勤勉せよ」となります。
「光陰矢の如し」は、ある程度の年齢になってから使うとより深い意味が伝わり易くなります。
今のうちに様々な経験をしておき、月日が経ってから過ぎた日々を懐かしむ様な風流な大人になりたいものです。