「因果一如」の意味・読み方・類語【使い方や例文】
「因果一如」とは、禅宗の言葉で原因と結果が同じであること、今この瞬間の行為に集中すべきことを示しています。
「因果一如」の「意味・類語・言い換え・使い方・例文・英語・因果一如と因果応報の違い・因果を使った言葉」などについて、詳しく説明していきます。
目次
- 「因果一如」の意味とは?
- 「因果一如」の類語や言い換え・似た言葉
- 「因果一如」の言葉の使い方
- 「因果一如」を使った例文と解釈
- 「因果一如」の英語
- 「因果一如」と「因果応報」の違い
- 「因果一如」を分解して解釈
- 「因果」を使った言葉と意味を解釈
「因果一如」の意味とは?
「因果一如」という言葉は、「原因と結果が究極的には同じであること(原因が結果であること)」や「原因(行為)が結果なのだから、先のことを考えずに今やることにだけ集中すればいいこと」を意味しています。
「因果一如」という言葉は、江戸時代の臨済宗中興の祖である白隠禅師の言葉とされています。
白隠禅師は「坐禅和讃」において「因果一如の門開け 無二無三の道直し 無相の相を相として往くも帰るも余所ならず」と書き残しています。
原因(今の行為)と結果が同じであるとする「因果一如」という言葉は、「今この瞬間にやるべきことをやればいいというだけであること(過去の原因について悩んだり、未来の結果について不安に思ったりする必要などないこと)」を示唆しているのです。
- 「因果一如」の読み方
「因果一如」の読み方
「因果一如」の読み方は、「いんがいちにょ」になります。
「因果一如」の類語や言い換え・似た言葉
「因果一如」の類語や言い換え・似た言葉には、どのようなものがあるのでしょうか?「因果一如」の類語・言い換え・似た言葉について、分かりやすく解説していきます。
- 「一日一生」【いちにちいっしょう】
- 「永劫回帰」【えいごうかいき】
- 「因中有果論」【いんちゅうゆうかろん】
「一日一生」【いちにちいっしょう】
「因果一如」の類語・言い換えとして、「一日一生(いちにちいっしょう)」があります。
「一日一生」という言葉は、人の命はいつどのように終わるか分からないので、毎日を一生の最後の日だと思って一瞬一瞬を大切に生きていきなさいという意味です。
今この瞬間を頑張れば良いとする「因果一如」の類語として、「一日一生」を上げられます。
「永劫回帰」【えいごうかいき】
「因果一如」の類語・似た言葉として、「永劫回帰(えいごうかいき)」です。
「永劫回帰」は実存主義の哲学者ニーチェが提唱した言葉で、「今生きている人生が永遠に繰り返されることの想定」を意味します。
そこから「何度繰り返し回帰しても、後悔しないような人生を生きなさい」という意味が生じました。
今この瞬間に集中すべきという意味から、「因果一如」と「永劫回帰」は似た言葉と言えるでしょう。
「因中有果論」【いんちゅうゆうかろん】
「因果一如」の類語・似た言葉として、仏教概念の「因中有果論」があります。
因中有果論は、原因(行為)の中にすでに結果が含まれているとする考え方のことであり、「因果一如」に等しい意味のニュアンスを持っています。
そのことから、「因果一如」の類語として「因中有果論」を指摘できるのです。
「因果一如」の言葉の使い方
「因果一如」の言葉の使い方は、「結果にこだわらずに今やるべきことに集中しなさい」や「原因と結果は究極的には同じである」という意味合いで使うというものです。
「因果一如」という言葉は、過去の原因に囚われず未来の結果ばかりを追い求めずに、「今この瞬間に集中することが大切・今やるべきことをただやればいい」とういうニュアンスで使用することができます。
「因果一如」を使った例文と解釈
「因果一如」を使った例文を紹介して、その意味を解釈していきます。
- 「因果一如」の例文1
- 「因果一如」の例文2
- 「因果一如」の例文3
「因果一如」の例文1
自分にできるだけのことはやってきたから、後は因果一如の心境で入試に臨むつもりである。
この例文の「因果一如」は、「過去の試験勉強と未来の入試合格の因果関係」に執着していないフラットな心理状態を示唆しています。
例文の「因果一如の心境」というのは、入試に際しても「今やるべきことをやるだけ・ただ本番のテストと向き合って回答するだけ」という落ち着いた心境を意味しています。
「因果一如」の例文2
人生を楽しむには未来の結果ばかりを追い求めるのではなく、因果一如の真理を知って今を生きることが大切です。
この例文の「因果一如」は、「現在の行為とは別に過去の原因や未来の結果があるわけではない(原因と結果は同じであり、今やるべき行為があるだけである)」という人生の真理の一端を指摘する意味で使われています。
「因果一如」の例文3
因果一如という言葉を頭で理解するだけではなく、実際に今やりたいことを思い切ってやってみれば良いのです。
この例文の「因果一如」は、「現実主義に即した行動・実践の大切さ」を伝えるという意味で使われています。
「因果一如」の英語
「因果一如」の英語は、ストレートに直訳で表現すれば“Cause and result are the same.”になります。
あるいは、過去の失敗や未来の不安にばかり囚われずに、「今この瞬間を頑張ればいい」という「因果一如」の意味で、“You can stick to this moment now.”や“I live this moment desperately.”といった英文で表現することができるでしょう。
「因果一如」と「因果応報」の違い
「因果一如」と「因果応報」の違いは、「因果一如」の方は「原因」と「結果」の間に先後関係をつけずに、「原因と結果が究極的には同じである」と考えることにあります。
「因果応報」は「因果一如」とは違って、「過去の業(カルマ)という行いの原因があって結果が生まれる」という意味になっています。
「因果応報」というのは「善因善果・悪因悪果」に象徴されるように、「善い行為をすれば善い結果がもたらされ、悪い行為をすれば悪い結果がもたらされるということ」を意味しています。
それに対して、「因果一如」というのは「原因(行為)と結果は同じなので、今の行為こそが大事であること」を意味しているのです。
「因果一如」を分解して解釈
「因果一如」という言葉を分解してその意味を簡潔に解釈していきます。
- 「因果」
- 「一如」
「因果」
「因果一如」の「因果」は、「原因と結果という二つのこと・事象」を意味しています。
「因果一如」はその後に「一如」が続いていることから、「原因があって結果があるという先後のある因果関係」を意味しているわけではなく、「原因と結果という独立した二つの事象」を並列に並べているのです。
「一如」
「因果一如」の「一如」は、「一の如し(いちのごとし)・一つの如し(ひとつのごとし)」と読み下すことができ、「原因と結果は究極的には一つであること・同じであること」を意味しているのです。
「因果一如」という言葉は、「原因があって結果がある」のではなく「原因の中にすでに結果が含まれていること」を示唆しています。
「因果」を使った言葉と意味を解釈
「因果」を使った言葉とその意味を分かりやすく解釈していきます。
- 「因果応報」【いんがおうほう】
- 「因果関係」【いんがかんけい】
- 「因果な人生」【いんがなじんせい】
「因果応報」【いんがおうほう】
「因果応報」という言葉は、自分が過去にした善い行為や悪い行為に応じて、それに相当する善い報いや悪い報いがあるということを意味しています。
過去にした善い行為は「善因」となり、善い結果としての「善果」をもたらしますが、このことを「善因善果」といいます。
また、過去にした悪い行為は「悪因」となり、悪い結果としての「悪果」をもたらしますが、このことを「悪因悪果」といいます。
「因果応報」とは、自分の行った行為にふさわしい報い(結果)を受けることであり、「原因があって結果としての報いがあること」を意味しているのです。
「因果関係」【いんがかんけい】
「因果関係」という言葉は、「原因と結果の関係」のことを意味しています。
古代インドのゴータマ・シッダールタ(仏陀)を始祖とする仏教の理論は、一切の現象の原因と結果の法則を取り扱っています。
仏教理論では、「六因+四縁+五果」の概念を用いることですべての因果関係を整合的に説明しています。
「因果性」という言葉は「原因と結果の関係」を意味していて、関係が法則に従って生じる時にその法則を「因果律(因果の法則)」と呼んでいます。
「因果な人生」【いんがなじんせい】
「因果な人生」という言葉は、「不幸な運命(不運な因果律)の下にある人生」や「嫌な巡り合わせの人生」を意味しています。
「因果な奴」という言葉は、「会いたくない嫌いな相手・奴」や「不運にも巡り合ってしまう相手・奴」のことを意味しています。
「因果」という言葉自体に、「不運や不幸・不幸な運命・不運な巡り合わせ」という意味があるのです。
「因果一如」という言葉について徹底的に解説しましたが、因果一如は禅宗の白隠禅師の言葉であり「原因と結果が同じであること」や「原因に結果も含まれているのだから、今この瞬間の行為に集中すべきこと」などの意味があります。
因果一如の類語・言い換え・似た言葉としては「一日一生」「永劫回帰」「因中有果論」などがあります。
「因果一如」という言葉について詳しく調べたい時は、この記事を参考にしてみて下さい。