「雲泥の差」の意味とは?類語、使い方や例文を紹介!
暖簾に腕押し、青天の霹靂など、聞いたことはあるし、意味もなんとなくはわかる、という慣用句やことわざってたくさんありますよね。
「雲泥の差」も、そんなことばのひとつなのではないかと思います。
この機会に「雲泥の差」とはどんなことばなのか、覚えておくと、どこかで役立つシーンがあるのではないでしょうか。
目次
- 「雲泥の差」の意味とは?
- 「雲泥の差」の類語や言い換え・似たことば
- 「雲泥の差」の使い方
- 「雲泥の差」を使った例文
- 「雲泥の差」の英語
- 「雲泥の差」の語源
- 「雲泥の差」の対義語
- 「雲泥の差」と「月とスッポン」の違い
「雲泥の差」の意味とは?
「雲泥の差」は、大きなちがい、隔たりがあることを意味することばです。
おわかりの方もおられるでしょうが、「雲」は天を、「泥」は地を表し、天と地ほどに差がある、という意味のことばになっています。
雲泥、といわれてピンとこない方でも、天地、というとしっくりくるのではないでしょうか。
- 「雲泥の差」の読み方
「雲泥の差」の読み方
「うんでい(の)さ」と読みます。
「雲」に「くも」という読みがあるのは周知されています。
空に浮かぶ雲を表すこともあれば、雲の上の人、というように、身分の高い人などに対しても「雲」ということばで表現することがありますね。
「泥」は「デイ」「どろ」のほかに、「なず-む」という読みがあります。
暮れなずむ空、という美しい表現がありますが、これは、夕日が落ち、暮れてしまいそうでいて、なかなかそうならない、という意味です。
「なずむ」は「滞む」とも書き、停滞している、とどこおっている、拘泥する、という意味を持ちます。
「雲泥の差」の類語や言い換え・似たことば
はじめに挙げたとおり、日本には古来からの美しい日本語の表現がたくさんあります。
ここで、「雲泥の差」と類語表現にあたるものや、似たような意味で使われている慣用句などをいくつか紹介します。
近代化された日本では逆にわかりづらさを感じさせる表現もありますが、知っていると一目置かれたり、年配の方に喜ばれることもあるでしょう。
- 「提灯に釣鐘」【ちょうちんにつりがね】
- 「雲泥万里」【うんでいばんり】
- 「雪と墨」【ゆきとすみ】
「提灯に釣鐘」【ちょうちんにつりがね】
形は似ているが、重量的なちがいが格段にある、というところから、ものごとが釣り合わない、ということに使われています。
二つのものが、まったくちがうようすである、という点で似たことばとして挙げられます。
また、「提灯に釣鐘」は、片方が重い、ということから、「片思い」という洒落に使われることもあるそうです。
「雲泥万里」【うんでいばんり】
「雲泥」は、上記のとおり、天と地を表し、両者の隔たりがとても大きいことを表しています。
また、万里は、距離的にもかなり長い状態を意味しており、隔たりが大きい、という意味のことばを二重にしてつくられたことばになっています。
「雪と墨」【ゆきとすみ】
ずいぶん風流なことわざですが、こちらも、真っ白な雪と真っ黒な墨の対比から、二つのものに大きな隔たりがあること、また違いが大きすぎて比べられない、というような意味で使われています。
「双子だというのに、雪と墨ほど性格が違う」
「雲泥の差」の使い方
「雲泥の差」は、「雲泥の差がある」の形で使われることが多いでしょう。
「雲泥の差だ」と切れることもあるでしょうが、その場合も、「雲泥の差がある」という意味で使われていることがほとんどと思われます。
AとBの両者のあいだに、なにかしらの開きがあるときに、「雲泥の差」ということばが使われます。
「雲泥の差」を使った例文
では、例文のなかで「雲泥の差」がどのように使われているのか、具体的に見ていきましょう。
ことわざや慣用句を含め、なにかことばを覚えたい、ものにしたい、というときには、意味や読みがわかったうえで、例文を見ておくというのがポイントです。
文脈から、どんなときに使うとよいのかがわかれば、使い勝手がわかり、応用がきくでしょう。
- 「雲泥の差」の例文1
- 「雲泥の差」の例文2
- 「雲泥の差」の例文3
「雲泥の差」の例文1
「兄とは同じくらい食べ、同じくらい遊び、同じくらい寝ているつもりなのに、身長に雲泥の差があるのは解せない」
成績や歌のうまさ、タイピングの速さなど、比べればいくらでも上がいて、下がいるものです。
そんなとき、「雲泥の差」ということばで表現すると、どちらが雲で、どちらが泥なのかがわかります。
「雲泥の差」の例文2
「四十年前と今とでは、経済成長率に雲泥の差がある。これまでのやりかたでは、成果が出せなくなってきていることの証左ではないか」
裏番組との視聴率の差や、隣り合った商店の売上などの数字も、「雲泥の差」で表すことができます。
良くも悪くも、上下や優劣がわかりやすいことばです。
「雲泥の差」の例文3
「努力はかならず実を結ぶと先生はいうが、彼女と比べれば、容姿だけでも雲泥の差があることがわかる」
モデルやダンスなどの世界では、歴然と差が出るのがまず容姿でしょう。
スタイルのよさ、筋肉のつきかた、頭身、髪質にいたるまで、スターたる人物は、はじめから違ったものを持っているのかもしれません。
それでも、努力が結実すると信じ、天と地の差がすこしでも埋まるのであれば、それははじめから素質を持っていることよりも素晴らしいことでしょう。
「雲泥の差」の英語
“There’s a big gap between A and B. ”
“There's a world of difference between A and B.”
どちらも、AとBには大きな隔たり(=雲泥の差)があるという意味になります。
慣用句やことわざなど、日本の風習などを理解していなければ意味の通じないものについては、そのことばが、なにを意味するのか、だれにでもわかる要訳を考えると、ほかの言語になおしたり、海外の人に説明しやすいでしょう。
「雲泥の差」の語源
「雲泥の差」は、白居易の詩『傷友』のなかに書かれている、「今日長安の道、対面雲泥を隔つ」が語源とされています。
日本では菅原道真が書いたとされる漢詩、「雲泥、地の高く卑しきことを許さず」の句が、もっとも古く、「雲泥」の語が使用されたものといわれています。
「雲泥の差」の対義語
大きな隔たりや違いがあることを意味するのが「雲泥の差」ですから、大した差がないこと、違っている点がごくささいな点であること、を意味することばが対義語と考えられます。
「大同小異」や「五十歩百歩」「どんぐりの背比べ」などが対義語に当たるでしょう。
それぞれ、だいたい同じだがすこしだけ違うことや、わずかな差はあるが本質的には同じであること、どれも似たり寄ったりで、抜きん出たものがいないこと、という意味で使われます。
「雲泥の差」と「月とスッポン」の違い
「雲泥の差」とよく似ていることばに、「月とスッポン」があります。
聞いたことのある方も多いでしょう。
「スッポン」は、お腹が満月のように黄色く、まんまるであることから、月とよく似ているがまったくちがうもの、という意味で使われています。
「雲泥の差」との違いは、「雲」と「泥」とに共通項がないことでしょう。
「月」と「スッポン」は、まったくちがうものだが、似ている部分を持つもの、ですが、「雲」と「泥」は似ていないうえに、まったくちがいます。
そこが、「雲泥の差」と「月とスッポン」の違い、ととらえてください。
違いをわかっていると、どちらの表現が状況にあっているか、と考えることができますね。
「雲泥の差」は、天と地ほどの大きな差があることを意味するとわかりました。
他人と比べると、いくらでも上は見えてしまいますが、昨日の自分や一年前の自分と比べて、着実に進んでいるかを指標にすると、くよくよせずに済みそうですね。