「博覧強記」の意味とは?類語、使い方や例文を紹介!
「博覧強記」とは、たくさんの書物を読んでいて、色々な物事を良く記憶していることです。
「博覧強記」の「意味・類語・言い換え・使い方・例文・言葉」などについて、詳しく説明していきます。
目次
- 「博覧強記」の意味とは?
- 「博覧強記」の類語や言い換え・似た言葉
- 「博覧強記」の言葉の使い方
- 「博覧強記」を使った例文
- 「博覧強記」を分解して解釈
- 「博覧強記」の対義語
「博覧強記」の意味とは?
「博覧強記」の意味は、「たくさんの書物を読んでいて知識が豊富であり、色々な物事を良く記憶していること」です。
博覧強記とは、多くの書物・資料を読んだことによる「知識・情報の多さ」といったん覚えたことを忘れない「記憶力の高さ」を意味しています。
博覧強記とは優れた知識人・文化人の特徴であり、非常にたくさんの書物・資料を読み込んで、膨大な知識情報を蓄えているだけではなく、一度目にした知識は忘れないという驚異的な記憶力を備えているのです。
知識量が多くて記憶能力に秀でた知識人・賢人の特徴のことを、「博覧強記」という四字熟語で表現することができます。
- 「博覧強記」の読み方
「博覧強記」の読み方
「博覧強記」の読み方は、「はくらんきょうき」になります。
「博覧強記」の類語や言い換え・似た言葉
「博覧強記」の類語や言い換え・似た言葉には、どのようなものがあるのでしょうか?「博覧強記」の類語・言い換え・似た言葉について、分かりやすく解説していきます。
- 「博学」【はくがく】
- 「物知り博士」【ものしりはかせ】
- 「生き字引」【いきじびき】
「博学」【はくがく】
「博覧強記」の類語・言い換えとして、「博学(はくがく)・博学多識(はくがくたしき)・碩学(せきがく)」があります。
博学とは「幅広く色々なジャンルの学問に精通していること・各学問やの知識が豊かであること」を意味します。
博学多識という四字熟語は、「幅広く色々なジャンルの学問に通じていて、知識が多く見識が広いこと」を意味しています。
碩学とは「修めている学問・専門分野が深くて広いこと」や「学問に優れていて見識が広い人物」のことを意味しています。
「博学・博学多識・碩学」は、博覧強記の類語として解釈することができます。
「物知り博士」【ものしりはかせ】
「博覧強記」の類語・似た言葉として、「物知り博士」があります。
「博士」という言葉自体に、「博士号の学位の俗称」や「学問分野やその道の知識に詳しく造詣(ぞうけい)が深い人」の意味があります。
「物知り博士」とは、「学問に精通していて幅広い知識を持っている人・知らないことがないほどの膨大な知識情報を持っている人」を意味しています。
「物知り博士」は「博覧強記」と似た言葉になっています。
「生き字引」【いきじびき】
「博覧強記」の類語・言い換えとして、「生き字引(いきじびき)・歩く百科事典」があります。
「生き字引」とは、生きている字引き(辞書)ということで「辞書・辞典の役割を果たせるほどにたくさんの知識を持っている人」のことです。
同じような意味を持つ言葉として「歩く百科事典」がありますが、「百科事典の代わりになるほどに多くの知識を持つ人」のことを意味しています。
博覧強記の言い換えとして、「生き字引・歩く百科事典」を考えることができます。
「博覧強記」の言葉の使い方
「博覧強記」の言葉は、たくさんの本を読んでいる読書家で、非常に優れた記憶力を持つ人物の個性・特徴に対して使うことができます。
分かりやすく言えば、「膨大な知識情報を持っている記憶力に優れた知識人・読書人」の特徴を指して、「博覧強記」という四字熟語を使用することができるのです。
広く書物を読んでいて色々な学問・分野の知識を持っている人、あるいは見識が広くて記憶力が高い人がいる時に、「博覧強記」という言葉を用います。
「博覧強記」という言葉は、基本的に「知識・見識・教養・記憶力に秀でている知的な人」を肯定したり賞賛したりするポジティブな意味合いを持っています。
一方で、現代ではインターネットやコピー技術が発達したことで近代初期以前よりも「博覧強記な知識量に頼った人材の相対的価値」は落ちているという側面もあります。
「博覧強記」を使った例文
「博覧強記」を使った例文には、どのようなものがあるのでしょうか?「博覧強記」を使った例文について紹介していきます。
- 「博覧強記」の例文1
- 「博覧強記」の例文2
- 「博覧強記」の例文3
「博覧強記」の例文1
学生時代から博覧強記で知られた友人は、現在でも雑学・時事を含めて非常に広範な分野の知識を持ち続けている。
「博覧強記」の例文2
マスメディアから「知の巨人」として賞賛されていた学者は博覧強記の読書家であり、毎日休むことなく色々な分野の本を読み続けている。
「博覧強記」の例文3
膨大な知識を蓄えた博覧強記の人材であっても、その知識と記憶力を生産的に活用できる環境が与えられなければ、実社会で活躍することはできない。
「博覧強記」を分解して解釈
「博覧強記」を、「博覧」と「強記」に分解して意味を解釈していきます。
- 「博覧」
- 「強記」
「博覧」
博覧強記の「博覧」とは、読んでいる書物(本)の数が多くて、非常にたくさんの知識情報を持っていることを意味しています。
「博覧」は「博覧会」という単語でお馴染みの言葉ですが、「幅広く書物を読んだり経験したりして物事を良く知っていること」や「一般の人々が広く見ること」の意味があります。
「強記」
博覧強記の「強記」とは、記憶する力が強いことであり、簡単に言えば「書物を読んで知識や物事を覚える記憶力が高いこと」を意味しています。
「強記」の「記」は「記憶する能力」、「強」は「強いこと・優れていること」を示しています。
そこから、「強記」とは「記憶力が優れている事や人物」を意味しているのです。
「博覧強記」の対義語
「博覧強記」の対義語には、どのようなものがあるのでしょうか?「博覧強記」の対義語について紹介していきます。
- 「寡聞浅学」【かぶんせんがく】
- 「無知蒙昧」【むちもうまい】
- 「無教養」【むきょうよう】
「寡聞浅学」【かぶんせんがく】
「博覧強記」の対義語として、「寡聞浅学(かぶんせんがく)・浅学非才(せんがくひさい)」があります。
「寡聞浅学」の意味は、「物事を見聞した経験が少なくて、学問が浅く知識もないこと」になります。
「浅学非才」の意味も「学問や知識が浅くて未熟であり、才能にも欠けていること」になりますが、「寡聞浅学・浅学非才」は自分自身のことを実際の能力・知識よりもへりくだって言う時に使われることが多い四字熟語です。
書物を多く読んでいてたくさんの知識を持っている博覧強記の対義語として、「寡聞浅学・浅学非才」があります。
「無知蒙昧」【むちもうまい】
「博覧強記」の対義語として、「無知蒙昧(むちもうまい)」があります。
無知蒙昧の意味は、「知識が無くて物事の道理がよく分かっていないこと」になります。
無知蒙昧の「無知」とは「知識が無いこと」であり、「蒙昧」は「物事の道理・筋道が分かっていないこと」「愚かなために正しい物事の判断ができないこと」を意味しています。
幅広い読書経験によって豊かな知識・見識を持っている博覧強記の対義語として、「無知蒙昧」を考えることができます。
「無教養」【むきょうよう】
「博覧強記」の対義語として、「無教養(むきょうよう)」があります。
無教養の意味は、「教養がないこと」です。
教養というのは、「精神的な豊かさや人格的な生活を向上させるための知識・情緒・意志(知情意)の修練のこと」や「教え養うこと」です。
教養とは「読書・学問・生活経験・人間関係などを通して培われる総合的な人格の深みや精神の豊かさ」のことであり、教養を蓄積することによって精神的能力を開花させて向上させることができます。
広く書物を読むことで知識を蓄え、記憶力に優れていて物事・知識を忘れないことを意味する博覧強記の対義語として、「無教養」を上げることができます。
「博覧強記」という言葉について徹底的に解説しましたが、「博覧強記」の意味は、「たくさんの書物を読んでいて、色々な物事を良く記憶していること」です。
「博覧強記」の類語・言い換えには、「博学・碩学」「物知り博士」「生き字引」などがあります。
「博覧強記の対義語」には、「浅学非才」「無知蒙昧」「無教養」などがあります。
「博覧強記」という言葉について詳しく調べたい時は、この記事を参考にしてみて下さい。